2017年4月わたしが大学院修士2年のときに指導教員であったWに「俺の女にしてやる」と言われたセクシュアル・ハラスメントのことは、わたしの在学中、少なくとも9名の教員が知っていた。わたしが直接話した人もいれば、間接的に知った人もいる。被害があってから1〜2ヶ月くらいのあいだわたしはわりと多くの知人や友人たちに相談したから、学内・学外にかかわらずこの件を知っている人は少なくなかっただろう。
 
 にもかかわらず、2018年3月にわたしが中退したのち、Wのハラスメントが報道によって明らかにされるまで、Wは何らお咎めもなく教壇に立ち続けていた。報道によってその事実が公にされてからは、一部Wを庇う人たちもみられたが、Wの言動はあきらかなセクハラとして認識され、彼が教員として不適切であるということ自体に異議をはさんだ人はあまりいなかったと思う。けれども、わたしの在学中はセクハラの事実を知りながらもWの責任を追及する人はいなかったし、その後も『早稲田文学 2018年初夏号』では他の何人かとともに表紙を飾っていた。わたしが告発しなかったら彼はそのまま有名な批評家として扱われ、それまで通り名物教授として教壇に立ち続けていたのではないかと思う。

 なぜこうした事態が生じたのか。

 被害を受けた3日後、わたしは同級生に付き添ってもらって当時の主任教授のところへ相談しに行った。わたしが口を開く前から、主任はWについてのこういう相談事に慣れているような軽い口ぶりで話し始めた。わたしが被害を具体的に話したあとも、特に根拠なく「たいしたことじゃない」「大丈夫」と言われ、セクハラというものについての持論を展開された。終始笑い混じりの主任の言葉にわたしは、たいしたことじゃないのに自分が大袈裟に騒いでしまったのではないかと罪悪感と羞恥心にかられた。主任の話を聞いているうちに、このことで騒げばお世話になった方々にも迷惑がかかるのだとどんどん怖くなり、最後にやっとどうしたいかと希望を聞かれたときはとりあえず様子を見ると答えるしかなくなっていた。

 それをもって主任は「Aさんが大ごとにしたくないと望んでいる」と他の教員らに伝え、わたしの「希望を尊重して内部解決を図っ」たという。

 でも当時のわたしは主任がそんなふうに周囲に説明していることをまったく知るよしもなかった。

 主任に相談にいく前日、わたしとたまたま話した女性教員はWのセクハラの話を聞くと呆れ、指導教員を変更した方がいいなどとアドバイスをくれていたが、その後他に、わたしに対してWの話題を出した人はいなかった。修士論文作成を控えた修士2年の学生が突然指導教員を変更するということは結構大きなニュースだと思っていたのだけれど、他の教員からも何も事情を訊かれなかった。わたしが受けたセクハラの一件は空白のようにぽっかりと浮かび、それについては誰もが直接語らず、他の話題をしゃべっていた。

 はじめのうちわたしにはその状況がうまく理解できなかった。わたしの一件はもう終わりってことだろうか? 学生を「俺の女」扱いしておいて、謝罪することもなくWが教壇に立ち続けているこの状況に首を傾げる教員は誰もいないんだろうか? ある男性教員は授業内にWの業績を賞賛するだけでなく、Wの過去の失言や失態エピソードを披露して「かわいい」「憎めない」と笑い話にしていた。この人はわたしが被害にあったということを分かった上で、Wを愛すべきキャラクターとして語っているのだろうか? なんでそんなことをわざわざ授業中にわたしの目の前で話すのだろうか? 後輩たちは笑って聞いていたが、わたしは笑うことができなかった。また、Wにはわたしに対し接近禁止命令が出ていたはずだったが、時にわたしがいる部屋にWがやってきてわたしに気づいたのにその場を去るそぶりを見せなくても、Wに対し注意してくれる人はいなかった。

 この件について沈黙し、Wや主任と平常通り笑いながら話しているその教員達は、わたしの目にはWのセクハラをなかったことにしようとしている風にしか映らなかった。わたしはその教員達に日頃から親切にしてもらっていたから裏切られたように感じた。結局なにか事件が起こっても教員たちはいざとなったら権力側について手を差し伸べてはくれないんだ。わたしには彼らが信頼できなくなり、その後は談笑していても本音を明かさなくなった。わたしの出席日数は被害前と比べると明らかに減っていたが、そのことをわたしが受けた被害と結びつけて考えている教員もいないようだった。参加必須であった秋の学会に行けば、Wが前の方の席で発表者たちに以前と同じように大きな声をはりあげていた。その後の打ち上げの場でWはわたしのすぐそばに座った。いつまでもWが移動する様子がないので、わたしは席を立ち、離れたところに移って、そこからみんなの様子を眺めていた。Wも含めコース全体で和気藹々としていた。わたしは自分の頭がおかしいのかと思った。それからひどく落ち込み、心配した知人につれられて三日後には精神科に行き、薬を処方された。

 主任がそういうふうに「Aさんが大ごとにしないことを望んでいる」のだと他の教員たちに説明していたという事実をわたしが知り、一部の教員たちとの誤解がやっととけたのは、翌春に新年度の主任となって前主任の引き継ぎ書類を読んだ教授が、前主任の矛盾や不備に気づいて驚愕し、急いでわたしに連絡を取ってからだった。

 その後、数名の教員の方からは「気づいてあげられず申し訳なかった」と直接に謝罪を受けた。なかにはわたしの知らないところで上記の男性教員から実質「口止め」されていた教員たちもいたようだった。それから彼らは学内の環境を改善するため、学生たちにヒアリングを行うなどしてくれたと聞いている。

 一方、過ちを認識することなく、わたしの意見を聞き入れることなく、ただ自分の主張を繰り返しているW、そしてWや主任や男性教員の行動を許した早稲田大学には、その責任を追及するため、2019年6月にわたしから提訴し、現在、裁判で争っている。

   *

 わたしが申立書を提出してから約2ヶ月後、はやくも大学はすべての調査を終了したとし、公式HPに最終調査結果を発表した。

 そこでは主任(報告書:教員A)も男性教員(報告書:教員B)も、「訓戒」という処分にとどまった。構成メンバーも実体もわからない大学の調査委員会によれば、「口止めをされているとの誤解を招くような発言をするなど配慮の欠ける対応や不適切な対応があった」ものの、「隠ぺいの事実は認められなかった」と結論づけている。

 そして、主任やその男性教員による明らかな二次被害と思われる発言については特に記述されていない一方で、わたしに指導教員を変えるようアドバイスしてくれた女性教員のふるまいが「直接の被害者にとっての二次被害を引き起こす可能性」があると書かれていた。彼女は以前からWのハラスメント を問題視しており学生らに注意を呼びかけていたのだが、大学によればそれがなぜかわたしへの二次被害となり得るということらしい。

 わたしが被害を訴えたわけでもない女性教員の言動が公式HPで「二次被害」と書かれ、わたしからWに謝罪をさせたりお礼を言わせようとした主任や男性教員の言動については訴えても記載なし。その他にも調査結果には不可解な点が多々みられたため、わたしは大学に再調査を求めたが、受け入れられることはなかった。

 大学からの事実説明が不十分だったため情報が錯綜し、このあと学内では女性教員側につくか男性教員側につくかで学生間の対立も生じたそうだ。

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「被害者のため」——その言葉は、一見被害者に寄り添っているようで、ある時は被害者から離れて一人歩きしているのが実情のように感じる。いったいこの言葉は誰のための言葉になっているのだろう? 

 最初の報道後、とある大御所作家はわたしの一件についてSNS上で、「まあ女性の方も無用心だ」ということを述べていた。わたしはこの作家のいくつかの作品を読んでいたから失望したし、セクハラというものに対しなんて無知な発言だろうと驚いた。でもこの大御所作家の一言は炎上することなく、たくさんの「いいね!」がつきリツイートされていた。

 一方で、Wの口説き文句をおちょくった合コンイベントを企画した学生達はネット上でバッシングをくらっていた。わたしはすぐにはその企画のことを知らず、あとでことの顛末を知ったのだが、それを読んだときはおかしくて吹き出してしまった。こういうのは個人差があるから事件をネタにされると傷つく被害者もいると思う。でもわたしに限っていえば、Wのセリフをおちょくられても別に何も思わなかったし、少なくともわたしへの二次被害とは感じなかった。でもなぜか彼らは、わたしから離れたところで批判をくらい、わたしの知らないあいだにわたしやわたしの家族・関係者への謝罪文を発表していた。

「不謹慎だ」と言って彼らを批判していた人たちの多くは、きっとわたしのことを気遣ってくれたのだと思う。そういうふうに被害者の気持ちを細やかに考えてくれる人たちがいることはありがたいことだ。でも、わたしとしては、一部の学生の悪ふざけよりも、大衆に影響力のある大御所作家の時代錯誤な発言が、「まああの人はそう言う人だから…」となんとなくスルーされてしまっていることの方がはるかに問題があるように感じる。

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「被害者のため」という言葉は、それをシステム側が用いれば容易に隠れ蓑と転じる恐れもある。

「被害者保護の観点」から多少なりとも事情を知る者たちに対して箝口令を敷き、外部に与える情報を恣意的に取捨選択するシステム。「被害者の気持ちを考えろ」と人々の言葉を取り締まるパトロールたち。パトロールに怒られるのではないかとびくつき「被害者のため」と思って沈黙する人々。人々の沈黙という空白の中心でさらに孤立を深める被害者。そして孤立のなか被害者が力尽きていくのを揺らぐことなくじっと待っているものたち。

 なぜこんなにも度々「被害者のため」「被害者保護のため」という言葉が飛び交っているのにもかかわらず、被害者であるわたしの希望とは遠くかけ離れた結果になっているのだろう? わたしが求めたものはクローズドではない場で加害者側としっかり言葉をやりとりすることだった。わたしの言葉や意志をちゃんと受けてもらい、自身の言動を認識し直し、謝罪すべきことを謝罪してほしい。大学には意識や体制を改善してほしい。しかし依然として彼らからは面と向かった言葉が返ってこないままだ。

「正式な調査が終わるまで第三者は何も言わないほうがいい」という考え方は、一見すると至極まっとうに映るかもしれない。わたしも自分が当事者でなかったら信じてしまっていたんじゃないかと思う。でも、「双方で決着がついた上で総括」という態度は、大学の調査委員会や裁判という場がつねに「公平」で「中立」なものであると無邪気に信じている人の空論だ。現実には、原告となる個人は、直接的な加害者とも大学とも圧倒的な力の差があるところからスタートしなければならないし、裁判というシステムは力の弱いものに寄り添ってくれるわけじゃない。対等どころか、声を上げた弱い立場のものは声を上げてからも引き続き弱い立場のまま。はじめから不均衡極まりないレースなのに周囲の人々がただ観客席で「決着」がつくのを待っていたら、弱い方の力はどんどん削がれてしまう。被害者の側はたいがいにおいて教授や大学ほどの経済力も社会的地位もないし、限られた条件のなかで、自分の生活を維持するために、家族の安全のために、いたしかたなく戦いをやめてきた人たちだっているだろう。そうした個人が長期にわたって戦い続けるには、積極的に駆け寄っていく周囲のサポートが不可欠だ。

 わたしが2018年に被害を訴えてから、なんとか今まで身を壊さずに続けられているのは、数々の出来事に心を痛めても、その度に家族や周囲の友人・知人たちが支えてくれてきたからだ。直接の知り合いでなくても、報道を見て行動を起こしてくれた人たちの声にも励まされてきた。わたしは絶対に一人ではここまでこられなかった。ときに精神不安定になるなかで、わたしに振り回されたり傷つけられた人もいると思う。それでもわたしを見捨てず、時に叱咤激励し、何の見返りも求めずに力を貸してくれた、そういった人たちの存在がなかったらわたしはとうの昔に音を上げていた。

 もちろん、サポートする/しないだけでなく、何か事件が生じて、それについて発言する/しないかどうかは本人の自由だ。他人が強要することじゃない。何か言った方がいいかもしれないとためらいながらも沈黙を選ぶこと、その意思は尊重されるべきだろう。でも、あくまでそれは「あなたのため」であって「被害者のため」の沈黙ではないはずだ。「被害者のケアの観点から」という理由で、関係者が沈黙することを肯定的に捉えてしまうことは、わたしには非常に危険なことのように思える。

   *

 2018年の最初の報道からしばらく経った後、わたしはひどく落ち込んでいた。今から振り返るとおそらくこの3年間でもっとも傷ついていた時期だったと思う。それは誰かにこころないことを言われたからではなく、大学や相手方から次々と送られてくる書類の攻撃的な言葉に叩きのめされたからでもなく、休む暇もなく続くメディアへの対応に疲れたからでもなく、関係者や学校の知り合いたちの反応が「沈黙」だったからだ。

 すでに協力してくれていた同級生たちや一部の教員達、学外の友人たちとはこまめに連絡を取り合っていたし、報道が出てから2名の先輩は励ましのLINEを送ってきてくれたのだけれど、学校の他の知り合いに関してはその2名をのぞいて無反応だった。わたしはここまでみんな何も言ってこないということをまったく予期していなかったのでその反応のなさに肩透かしをくらった。それでも学校に意見を届けるにあたって多くの証言や学生の声を集めなくてはならなかったので、LINEで連絡をくれた先輩を通して他の人たちに呼びかけてもらった。でも、どれだけ待っても反応はなかった。決して彼らと仲が悪かったわけではないと思う。先輩後輩にかかわらずよく一緒に読書会や勉強会をしていたし、同人誌を出せばお互い買って読みあったりもしていた。わたしはWらから受けたハラスメントには長らく苦しめられたが、同じ夢を持つ他の学生たちと過ごす時間は純粋に好きだった。沈黙しているスマホの画面を見て、わたしには”LINE”という言葉が皮肉にしか思えなくなってしまった。あれほど言葉を交わしたのにわたしたちはいったい何で繋がっていたんだろう? こういう理不尽な力に抗うために共に文学を志していたのではなかったのか? 今ここで「沈黙」を選びながら文学を志すのなら、その文学はいったい何のための、誰のためのものなのか? そしてわたしは必要最低限の人にだけメールを送り、LINEのアカウントを消し、SNSも一切やめてしまった。

「人間不信」というのはハラスメント被害者にみられる大きな後遺症の一つだ。信頼していたはずの人間から予測不可能な形で人格を侵害され、安全を脅かされることは、他者に対する信頼感を根こそぎ失うこととなる。被害の場を去ったのちも強い不信感から他人に対して過度に防衛的になり、周囲もその人を敬遠するようになってさらに悪循環にはまってしまうこともある。

 本当はもっと前からガタがきていたのかもしれない。わたしの体には自覚のないままダメージが蓄積されていて、張り詰めた糸がぷつんと切れたようだった。自分のアパートにこもって誰にも会わず、あらゆる言葉がインチキに感じられて本を読むこともできず、他者に対して攻撃的になっていった。生活も昼夜逆転し、食べ物に対して強迫観念的になり、拒食と過食を繰り返していた。

 だから、友人が電話をかけてきて、「大丈夫?」と本気で心配してくれているその声を聞いた途端、わたしは自宅のアパートの洗面所で力が抜けてしまって座りこみ、嗚咽がこみ上げるのを抑えてしばらく喋ることができなかった。彼女は大学の頃からの友人で、特に早稲田とは関係なく、前にもこの件で何度か話を聞いてくれていたけれど、証言を書いてくれたり書類作成を手伝ったりしてくれたわけではない。フェミニズムに詳しいわけでもないし運動をやっているわけでもない。ただ報道された記事を読み、わたしがLINEもSNSもやめてしまったことに気づいて、わたしの安否を心配して急いで電話をくれたのだった。

 それはたった5分か10分程度の電話だったと思う。でもその一本の電話のおかげで、わたしは凍っていた心を少し解きほぐすことができた。

 何をしてくれるわけでもない、ただそこに変わらずいて見守ってくれる存在を感じられるだけで、孤立した被害者は救われることがあると思う。そのために必要なのは沈黙ではなく言葉だ。もしかしたら手をさしのべても払い退けられることもあるかもしれない。でも、そうだとしても、もし身近に被害者の人がいるのなら、「そっとしておくのが一番」だと一方的に思い込まずに、まずは空白に足を踏み入れてみてほしいとわたしは思う。

 

原告A