死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画——※ネタバレしてます
編集部 瞬間湯沸かし器みたいに怒っていいんだと思うんだけど、でも、ショックを引きずらない人はいないですよね。何かのときにまたふっと思い出して、それでも生きていかなきゃいけない。日常生活を続けていくと考えたときに、何をしたらいいか——映画見るのもいいし、漫画でもいいし、本を読むのでもいいけど、自分にあったものをどうやって見つけられるかということが大事になってきますよね。
——そうそう。その後の日常を延々と生きていかなきゃならないから。わたしの場合は、映画がすごく助けになっています。でもはじめは映画も全然見られなかったです。
北村 ですよね。わたしもそうでした。
——長い間何も見たくないという状態だったんですけど、たまたま知り合いからポール・ヴァーホーベンの『ELLE』を勧められて、全然期待しないで見てみたんですね。でもそのおかげで、「あ、被害者って“良い人”じゃなくていいんだ」って気づくことができて。
わたしは被害のあとも「君に隙があった」ということをいろんな人から言われてきたので、自分が悪かったんだという思いが払拭できなくて、「自分に非があってはいけない、完璧でなくてはいけない、そうじゃないとわたしのせいにされてしまう」って常に気を張って生きてたんです。でも『ELLE』って、既存の“被害者像”をことごとく壊してくるじゃないですか。あれのおかげでだいぶ吹っ切れました。
その次に見たのはミヒャエル ・ハネケの『ピアニスト』で、もっと吹っ切れました。
北村 あれは不思議な映画ですよね。
——『ピアニスト』は北村さんのブログの「女の子が死にたくなる前に見ておくべきサバイバルのためのガールズ洋画100選」にも載っていますよね。わたし、このリストのおかげでなんとか生き延びています。「必見映画」とかじゃなくて、「サバイバルのためのリスト」というのがいいです。応援されている感じがして。
北村さんご自身は、回復されるときにどういう映画が役立ちました?
北村 わたしはひたすら『PUI PUIモルカー』というのを見ていました。
——モルカー!
北村 3分くらいだから落ち込んでいても見られたんですよ。それから、ジョーダン・ピール&キーガン=マイケル・キーというアメリカのコメディ・デュオがいるんですけど、あの2人が5分くらいのコントをひたすらYouTubeにあげていたので、そういうのを見ていました。あとはわたしの連れ合いがチョコレート・プラネットのコントをたくさん見せてくれたりもしたんですが、わたしは基本的にコメディが好きなのでひたすらそういうのを見ていました。
——YouTubeはマジで人命を救ってくれていると思いますね。
北村 それから『リチャード3世』に元気づけられた気がしました。リチャード3世ってたくさん悪いことをするんですけど、殺した人たちが夢に亡霊で出てくるんですよ。その亡霊たちが同じ夢の中でリチャードの敵を祝福するんです。で、リチャードの敵の方は、「リチャードが殺した人たちが出てきて褒めてくれたんですよ」とか言うんですよ。それを見たあと、わたしも知らないうちにTwitterのハッシュタグで、「#さえぼう先生への二次被害に抗議します」っていうのができていて、「あ、亡霊が出てきた」って(笑)。
——亡霊だと思ってたんだ(笑)。
最近、モラハラ的支配から解放されるような映画が増えてきているような気もします。『透明人間』や『Swallow』、さっきの『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』もそうですよね。『ミッドサマー』も全然救いのないホラー映画なのになぜかカタルシスがあって、女性から相当支持されていますね。
北村 『批評の教室』でも書いたんですけど、『ミッドサマー』は、作りはロマンチック・コメディーみたいなもので、パーツがいちいち怖いだけなんですよね。
——他に、見ていて解放されるような映画はありますか?
北村 最近だと、あんまり明るい映画じゃないんですけど、『モロッコ、彼女たちの朝』という、モロッコが舞台の映画があります。未婚で妊娠しちゃった女性がいて、中絶ができなくてホームレス状態になっちゃうんですが、パン屋をやっているシングルマザーがその女性を受け入れてあげて、そこで子供と交流したり、パンを作ったりするんですけど、最後にその妊娠した女性が子供を産んで育てることにしたのか養子に出すことにしたのかわからないまま終わるんですよね。
北村 つまりそれって、見ている人がどういう決断をしたかは見ている人に任せていて、ヒロインがどう行動したのかを見せないことで、辛いことがあったときにどういうふうに対処してもいいけど、自分で決めたことが正しいんだ、というようにお客さんがどう選択しようがその選択を肯定するという映画になっていて、そこがすごくよかったです。
——ああ、なるほど。その点、『Swallow』は前半すごくよかったですが、後半で選択肢が絞られてしまいますよね。
北村 わたしもあれなんか最後びっくりして終わったんですけど。
編集部 あとは自分で考えなさい、ってのがいいかもね。
作品を通してコミュニケーションをする——「楽しさ」の役割
——北村さんのこのサバイバルリストのはじめに、「30本見るとボーイフレンドとさっぱり別れることができ、50本の時点で貯金が200万円に達し、70本の時点で虐待的なボーイフレンドにコップの水をぶっかけて・・・」ってあるじゃないですか。わたし実際に35本みた時点でダメ男と別れることができたんで、たぶん100本見たら念じただけで周りにいるセクハラ野郎が全員吹っ飛ぶレベルになれると思います。
北村 でもそれ入手できない映画とか結構あるんですよね。
——そうそう。あと、なんでこのリストに入っているのか最初わからなかった映画もあって、『あの頃、ペニー・レインと』は、ロックバンドのグルーピーをやっている女の子の話ですよね。そもそもグルーピーって他者基準になっちゃうから危ないんじゃないかと思ってたんですが、でも、そのあと北村さんの『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』で、「ファンとして芸術を楽しむ女性は、取るに足らないことに心を奪われていると軽視されやすいが、実際のところ、楽しみを追い求める人々が芸術の普及と保存に果たしている役割は計り知れない」と書かれていて、そっかそういう女性たちの歴史があるんだな、と知りました。

北村 はい、わたしもたぶんそれでリストに入れたんだと思います。ただ、今考えると、抜いたほうがいい感じの映画も結構あるんですよね。同じテーマでもっといい映画ができているので、そっちの路線の映画だともっといいのがあるかもしれない気がする。たとえば、『抱きしめたい』(1978)とかをもっとプッシュしたほうがいいのかな、と今は思ってますね。
——わたしはファン文化や解釈共同体というモデルにそれまで全然理解がなかったんですが、北村さんの本では、「正典」を形成するものとして、ファンによる「楽しさ(pleasure)」というものに主眼を置かれていますよね。そういう、堅苦しくない“不真面目”なスタンスが、先ほどの北村さんと学生さんとの相互的な意見交換への姿勢とも結びついているような気がしました。
北村さんはそういったファンダムを昔からもっていたんですか?
北村 それがわたし、田舎に住んでいたので、わたし以外に昔の映画が好きな子が全然いなかったんですよ。『スター・ウォーズ』が好きな子もそんなにはいなかったし、高校になってやっとグランジロックを聴いている子がクラスに一人だけいる、という感じだったんです。
でも、大学に入ったり英語が読めるようになったりすると、『スター・ウォーズ』を好きな女の子が世界の各地にいるんだなということがわかって。わたし、全然友達がいないし、人と話すのも得意じゃないんですけど、作品について話そうというテーマがあると、比較的コミュニケーションがとれるんですよ。そういう「コミュニケーションのバリアを下げるものとしての作品」というのが大事なんじゃないかと思ったので、博士論文で『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』を書こうとしたというのはあります。
古典映画とどう向き合うべきか——同じ系統で更新されているものを探す
——そういう「ないものとされてきた存在」と対極にあるものとして、“巨匠の作品”的な、古典映画の系譜がありますよね。ただ、アントニオーニでもフェリーニでも、今見ると「ジェンダー観やべーな」と思わざるを得ないんです。でも映画史を学ぶとすると絶対に外せない作品だったりするじゃないですか。古典映画への向き合い方ってどうしたらいいですか?
北村 やっぱり見ないで済ますわけにはいかない気がするので、そういうところは「同じ系統で更新している作品ってなんだろう」と常に考えるのがいいのかな、と思っています。
たとえばわたしは『すばらしい新世界』が全然面白いと思わなかったという話を『お砂糖』で書いたんですけど、『侍女の物語』とかナオミ・オルダーマンの『パワー』で——わたしが面白くないと思ったところはかなり方向性が違いますけど——更新されている感じはします。そういうふうに「フェリーニとかアントニオーニと同じことをやっているようで更新されているのって何だろう?」「新しいことをやっているのは何だろう?」と常に考えるのがいいと思います。
——なるほど。具体例はありますか?
北村 エドガー・ライトが『ラストナイト・イン・ソーホー』でアントニオーニを更新しようとしていると思うんですが、あんまりうまくいっているとは思わなかったです。あとは、それこそジョーダン・ピールのような人たちが昔のホラーの人種差別的なところを今のホラーは更新しなくちゃいけないと思ってやっている感じがします。
——古いのと新しいのと両方入れていくという感じですかね。
北村 そうですね。
——批判で終わらずに、新しい作品も取り入れて、観る側も共に考えていく感じをいつももっているといいのかもしれませんね。
どうしてティモシー・シャラメの映画を見ると「最高だった…!」になっちゃうんだろう?——自分の性的嗜好を自覚する
——あと、『批評の教室』では、自分の性的嗜好を自覚することの重要性が強調されていますよね。しかもそれを抑圧するわけではなく、自覚したうえで批評に利用する、というスタンスがすごくいいなと思いました。
北村 それができてないと、ゼミでハラスメントする先生とかいると思うんで、それは書くときにやったほうがいいかなとすごく思っています。
——そうそう。それってハラスメントでも同じで、「自分はこういう子を好きになりがちだ」とか「自分はこういう子に強くあたりがちだ」とか、人間なので誰しもあると思うんですけど、それを分かった上で接するというのは抑止力になるのかな、って思いました。
で、わたし自分の性的嗜好なんだろうって考えたときに、めちゃくちゃイケメンに弱いんですよ。
北村 はいはい。
——わたしはもともとディカプリオが好きで。
北村 わかります。わたしもイケメンが好きでディカプリオも好きです。
——今はもうティモシー・シャラメがひたすらやばくて。
北村 わたしもそう思います。
——この前『DUNE/デューン 砂の惑星』を見たとき、「最高だった……!」って満ち足りちゃったんです。ただその満足感というのが、美しいシャラメを見られたことに対する満足感なのか、ダンカン(ジェイソン・モモア)とシャラメという最高の絡みに対しての満足感だったのか、あんまり公正に判断できなかったんですけど、そのあと北村さんのブログを読んで、「あ、こういう作品としての欠点があったんだな」と冷静になって。
北村 わたしもティモシー・シャラメの映画をみると、1時間くらいは「最高だったような気がする……!!」ってなるんですけど、やっぱり1週間くらいは考えてこなさないといけないな、って思います。
——そういうときにさっきの「1週間の冷却期間」が出てくるんですね(笑)。
北村さんのブログを読んでて笑っちゃったんですけど、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』の批評で、「(シャラメ演じる)ローリーから髪の毛を乱して求愛されて断れるかを小一時間くらい真剣に考えたのだが、自分の意志の弱さでは無理だという結論に達した」って書いてましたよね(いや無理でしょう)。
北村 『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』は本当に時間がかかりました。見ているときは「すごい、シャラメ最高だ!」と思ったんですけど、最高だと思っている自分に対して不信感がつのったというのがあって、これたぶん監督(グレタ・ガーウィグ)は狙ってやってるんだろうな、と。
——絶対狙ってますよね。
北村 この映画には、その「最高だ」と思う感じと「最高だと思う感じが嫌だ」という感じ、その両方が必要なんだろうなと思って、じゃあその理由はなんだろう? というのを言語にするのは1週間くらいかかりました。
——好きなものに対する距離感って、ほんとうに難しいと思いますね。わたしリヴァー・フェニックスも好きなんですけど。
北村 わたしも好きです。
——『マイ・プライベート・アイダホ』とか大好きだったけど、どうして好きかを説明しようとすると、「リヴァーが最高だから」以外に何も言えないんですが、それだけだとイケメンを消費しているだけなような気がしてしまって。好きなものを言語化するにあたってコツとかありますか?
北村 自分は何が好きと思うのかを、ちゃんと理解しておくといいんだと思うんですよ。わたしも『マイ・プライベート・アイダホ』好きなんですけど、あれはシェイクスピアの『ヘンリー4世』がベースなんですね。ああいう現代の世界に古典的なレトリックがすんなり入ってしまって、人類の歴史に入っている古典が日常生活に浸食してくるような感じが自分は好きなんだろうな、と思ってわたしは見ています。
で、ディカプリオとか、リヴァー・フェニックスというのは、そういうのにスポッとはまりやすい感じの役者さんなんだと思うんです。ちょっとよくわからない気品があるじゃないですか。ああいう見た目の感じが、日常生活にぽっと古典や人類史が入ってくるような構成によく合ってるのかな、と思いながらわたしは見たりしているのですが、やっぱり自分が何に惹かれるのかをよく考えておくと言語化しやすいのかな、という気がしますね。
——ちなみにディカプリオはおじさんになってからはどうですか?
北村 いやもう全然好きなんですけど、映画によってはあんまりよくないかもというのがあって。一時期ずっと「亡くした妻のことを後悔し続ける」みたいな役ばっかりやってたじゃないですか。
——ああ、『インセプション』とか『レボリューショナリー・ロード』とか。
北村 一作一作はよくてもここまで続くと「大丈夫かレオは」みたいになってきて(笑)。最近はアカデミー賞とかとってもう少しリラックスした感じになった気がするので。
——ティモシー・シャラメのよさはなんなんですかね。シャラメとリヴァーとディカプリオで共通点があるとしたらなんでしょう?
北村 なんですかね。たぶんああいう繊細で広い感情表現のレンジみたいなのを平気で出してこられる役者さんというのがわたしは好きなんですけど、男性の役者さんってそうではない人が結構多いと思うんですよ。
たとえば、ジェイソン・モモアとかわたしもすごく好きですけど、いきなり床を這って泣き出したりとかしなさそうじゃないですか。
——しなさそう(笑)。
北村 でもティモシー・シャラメとかディカプリオは平気で床這って泣いたりしそうじゃないですか。あれってたぶんよく舞台で女性がやらされることなんだけど、でも彼らは男優ですが普通にできちゃうんだと思うんですよ。そういう、すごい美貌なのにわりとなんでもできちゃうところ、あの感情豊かさみたいなところが惹かれるところなのかな、という気がしています。
おすすめフェミニズム本
——北村さんのブログには、「フェミニストとしてすすめる、フェミニズムに関心を持つための本」のリストも載っていましたが、入手困難な本が多かったです。もうちょっと気軽に手に入るおすすめのフェミニズム本はありますか?
北村 すごくおすすめのものは品切れしてしまっているのが多いんですが、たとえば定番ですけれども、田中美津の本は最近比較的入手しやすくなっていますよね。あと、北欧のジェンダー絵本が翻訳されていて、それはいいものが多いと思ってます。

北村 それと韓国文学で売れた本だと『82年生まれ、キム・ジヨン』がありますね。あと、『ハヨンガ』という韓国での女性に対するネットいじめと闘う様子を描いたドキュメンタリーっぽい小説が出ています。韓国文学ではそういうのが格段に入手しやすくなってきているので、その辺がいいのかなと思います。

北村 あと男の人向けだと、『プロジェクト・ファザーフッド』という、黒人男性のお父さん教育を主題にしたもので、治安がよくない貧しい地域で、黒人男性が自分の子供の子育てにトラブルをかかえていて、どうやって子育てするかというドキュメンタリーがあるんですが、そういうのも新しい本ではよかったです。

権力をもったときにどう振る舞えばいいのか——若い教員たちのための環境づくり
——最後になりますが、もともとサブカル的な立場だったり、自分は弱い側に立つと言っていたような人が、あまりにも大きな存在になってしまって寂しいな、と思うことが多々あります。
小説家だと村上春樹はやっぱりそうでしょうし、あと映画評論ではわたし町山智浩さんの批評が昔から大好きだったんですけど、近年はちょっと齟齬を感じるようになってきていました。そこで北村さんのような批評が出てきて、それまでなかった部分を補ってくれているような気がして嬉しいです。
北村 わたしも町山智浩さんの批評すごく好きなんですけど、この人ができないことをやろうと思って批評を書き始めたんですよ。なので、同じようなことをやってもつまらないから、この人ができないことはなんだろうかと考えながらやってきたところは結構あるので、そうかもしれませんね。
——町山さんの批評はとてもおもしろいけど、ジェンダーについてはちょっと物足りなさがあったので、そこに北村さんの批評が現れて、がちっとハマった感じがします。
そういう大きな存在となってしまった人がまだ現役でおられる場合、なかなか付き合い方が難しいと思いますが、ぜひともおふたりの対談とか聴いてみたいです。
(※ インタビュー収録後、町山智浩さんが北村紗衣さんとそれを攻撃した人を並べて、両方を遠回しに揶揄するような発言をツイッターで行いました。がっかり…)
北村 いいところは認めつつも、批判は適切にしないといけないだろうと思うんです。あと、権力をもつこと自体が悪いわけではなく、権力があると自覚することが大事だと思うんですよね。大学で教えていると、ある程度自分が権威を得られるのはわかるのですが、その権力をどう使うかは気をつけないといけなくて。
だから、もし自分に権力があるとしたらどう振る舞えばいいのかということで、わたしがしょっちゅう何にでも反撃したりするのは、自分は納得できないことに対して強く出るべき立場だし、それだけのガッツもある、と考えてやっているところがあります。
——なるほど。やはりそこも使えるところは使うという感じで。
北村 そのあと来る若い先生たちのための環境が少しでもよくなるように、自分の権力を悪用(笑)してそういう環境を作ったほうがいいんじゃないかと思っています。
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