24 聞き入れられない抗議(2017年5〜6月)
5月21日、川口晴美さん(甲53)と北参道のカフェで詩集の打ち合わせをした際、大学でハラスメントの被害を受けて精神的に参っていることを相談しました。川口さんはフェミニズムやジェンダーの問題に詳しい方ですが、わたしの話を聞いて川口さんは、Wのしたことは明確な人権侵害であり、WだけでなくMの対応も間違っていると言って憤慨していました。Mの「君に隙がある」という発言は、セクハラの典型的な二次被害のセリフだということを教えて貰いました。客観的な立場から言語化してもらったことにより、わたしは明確に自分の受けた被害を理解していきました。
しかしながら、学内では、わたしの指導教員変更後も変わらない日々が続いていました。
たとえば、I氏に論系室であった際、わたしから「ゼミ変更になりました」と報告したら、「知ってる」と言われて終わりでした。修士論文作成を控えた修士2年の学生が突然指導教員を変更するということは結構大きなニュースだと思っていたのですが、なぜ詳しいことを聞かれないのだろうか? この人はわたしがセクハラを受けたことを知らないのだろうか? と不審に思いました。セクハラについて聞いていたのなら、「大丈夫?」「困ったことがあったらいってね」などというのがまっとうな教員だと思います。わたしはセクハラの事実がコース内にちゃんと周知されているのか、I氏はどういう立場から「知ってる」と言ったのか不安になりました。
それだけにとどまらず、大学院の授業においてI氏は、授業内容とまったく関係なく、唐突にW氏の業績を賞賛するだけでなく、W氏の過去の失言や失態エピソードを披露して「かわいい」「憎めない」と笑い話にしました。この人はわたしが被害にあったということを分かった上で、W氏を愛すべきキャラクターとして語っているのだろうか? なんでそんなことをわざわざ授業中にわたしの目の前で話すのだろうか? と思い混乱しました。後輩たちは笑って聞いていましたが、わたしは笑うことができませんでした。自分の被害が矮小化され、自分が孤立していくようでしたが、わたしは修論審査の副査であるI氏に、論文を公平に審査してもらえなくなっては困ると思い、苦痛に思いながらも聞き流すよう努めました。
早稲田大学はI氏のこの言動があった事実を認めながらも、「学問の自由に属することであり不法行為を構成しない」(被告準備書面4)と主張していますが、学生の就学環境をハラスメントによって侵害した教員の問題行動を庇う言動が、「学問の自由」とどう関係あるのでしょうか? これらはI氏によるW氏の個人的擁護にすぎません。W氏にしろI氏のこの件にしろ、早稲田大学は「学問の自由」ということを乱用して、教室内における教員の言動を野放しにしています。それと対照的に、ゼミ選択などでわたしだけでなく、多くの学生たちの学習権が侵害され「学問の自由」を奪われていることをまったく問題視していません。
I氏が「知ってる」という一言で会話を打ち切ったのは、W氏のセクハラについてそれ以上何も話すな、という態度であり、その後の授業でW氏を過剰に持ちあげたのは、自分は加害者のW氏を守るぞという表明だったのでしょう。I氏がT氏に対して、W氏のハラスメントを大学外に話すことやわたしとの関わり方について考えなおすよう繰り返し求めた事実は、T氏に対する牽制行為であるとの判断が他の判決においてくだされましたが(原告準備書面(8)の第2)、このときわたしは、W氏はこれきり咎められず大学における立場も安泰で、わたしの被害は誰からも省みられず、これで終わりということになるのか、と愕然としました。
その疑念が決定的になったのが以下の出来事でした。
ハラスメント問題の周知が図られていないのに、W氏に遭遇してしまったらどうしようという不安を抱えながら大学に通っていた5月の後半、危惧したとおり、わたしが一人でいるときにW氏本人に出くわしてしまいました。33号館の2階の廊下で、W氏はわたしの姿を認めると笑い、「卒業できるんですか?」「単位は大丈夫なんですか?」などといつもと変わらない威圧的な態度で話しかけてきました(甲8 4.その他の不適切な行為⑶)。このことはメディアの取材でW氏も認めている通りです(甲6の1)。わたしが答えに窮し、口を濁していると、W氏は「まあ頑張ってください」と言って去りました。
W氏の4月20日の言動が、本当にただの「冗句」で、その後、わたしのことを心配し、反省していたのなら、メールでも電話でも謝るタイミングはいつでもあったと思います。それが難しくても、偶然あってしまったこの時に、謝罪の言葉をかけることはできたはずです。ですが、このときの様子から、W氏が自分のしたことを少しも悪いと思っていないとわかりました。わたしはショックを受けるのと同時に、だったらM氏の「注意」とはいったいなんだったんだろう、何をどう注意してくれたんだろう、と騙されたような気持ちになりました(甲8の4.その他の不適切な行為⑷)。ましてW氏が主任から「距離を置く」ことを命じられており(甲27)、「接近禁止命令が下りた」(乙イ1の88頁)ということが本当であれば、このような振る舞いはありえないことです。また、そうした注意の内容がわたしに説明されていれば、わたしも会話を拒否することができたはずです。
ちなみにM氏は、この注意の内容に関して①指導名目で学生と2人きりで食事に行くのに現実には指導しないこと、②時間帯を考慮せずに学生に電話をかけること、③原告に対して、「俺の女になれ」などという発言をしたこと(甲10の11頁)と述べていますが、W氏は翌年2018年には他の女子学生に対し、個人的に不適切な呼び出しを行っており(甲41)、M氏の注意はまったく効果がなかったことが明らかになっています。
それからわたしは、W氏に遭遇したくなくて、TAをする際には教員らに付き添ってもらったり、あまり使われていない、校舎の隅にあるエレベーターを使用したりしました。ハラスメントによって被害者の方が行動を制限されてしまうのは理不尽なことだと思います。
同級生の██さんとは、そのあとも「先生たちの対応おかしくない?」という話をしていました。ただ、わたしはM氏に対しては明確に違和感を感じていましたが、詩集の出版を勧めてくれたH氏や、イベントなどによく声をかけてくれて文学者を紹介してくれるP氏にも異議を唱えてしまうと、卒業後までその関係性に響くのではないかという不安があり、あまり波風を立てないほうがいいのだろうかと迷い、どうしたらよいのかわからなくなっていました。コースの中では頼れるのが彼らしかいないという事実も相まって、ここで味方を失っては心細いという思いもありました。
また、W氏から受けたセクハラはわたしには衝撃の出来事だったため、感情が麻痺していたように思います。衝撃的な体験をしたあとに、こうした「感情の麻痺」の症状が出てくるということは、『ハラスメント被害者の心理的回復』(甲63の3~4頁)にも書かれています。わたしにとって、指導教員から自分が性的な対象として見られたという出来事はあまりにもショックで受け入れがたく、自分が汚れた存在、無価値な存在であるという感覚が強くなり、M氏からいわれた「隙があった」などの言葉によってさらに自責の念が増し、鬱がひどくなっていました。そのため、当時のわたしは、自分が不当な扱いをされて当然怒っていいことに対しても、怒りの感情が沸かなくなっていました。
一方、ハラスメントについてわたしより詳しくフェミニズムをきちんと勉強していた██さんは、教員達の対応は間違っていると口にしていました。しかし、せっかくわたしの指導教員が変更されたのに、第三者である立場から口出しすると、わたしに何らかの悪影響があるのではないかと心配していたようです。それから██さんはわたしの希望(=W氏からの謝罪を望んでいること)を確かめた上で、6月3日、再度M氏と面会をおこないました。██さんは「W教授からAさんに対して謝罪がないことはおかしい」と主張し、W氏からわたしへの謝罪を求めました。しかしM氏は、
「今回はW教授の発言が問題となっているとはいえ、Aさん自身にも異性を勘違いさせるような隙があったことは事実」 「セクハラの件が公になると、文芸ジャーナリズム論系全体の問題となり、コースの存続が危ぶまれる。W教授は文芸ジャーナリズムを牽引してきた功労者だから、この件は内密にしたい」 「面倒なことは困る」 「W氏の問題が明るみになると現代文芸コースの存続にかかわる、現代文芸コースには敵が多い。文学学術院や委員会への報告など、外の人には言わないでほしい」 「原告へのセクハラは言葉のみで、手は出ていない。もっとひどいセクハラもある」
といった趣旨の発言をしたそうです(甲4、46)。
結局、W氏からの謝罪は行われませんでした。
文学を学ぶ場でセクハラという人権侵害が起きているのに、文学者でもあるはずの教員たちは見て見ぬふり。小手先の対処療法的処置で問題を隠し、保身を優先し、権力側におもねって、弱い立場の学生に手を差し伸べてはくれない。そのことを身をもって経験し、わたしは教員たちと大学と文学そのものに絶望していきました。
25 中退を決める(2017年6〜7月)
わたしは2015年10月、被告早稲田大学の大学院に合格したものの、希望と違うゼミに所属させられ、その指導教員、つまり被告Wに言われて聴講した授業で、繰り返し思想や人格を否定され、強い劣等感や無価値感に苛まれ「毎日涙が止まらなくて壊れそう」「河合隼雄たちへの信頼感がゆらいで生きる指針がもてなくなっています」と██さんに訴えるほど精神的に不安定となりました。その後、日常的にバカ扱いされ、学生としてではなく性的な存在として扱われることで、慢性的な無価値感に襲われていました。
そんな心理状態のなか、セクハラの被害を受けたこと、そして、教員らによってまるでセクハラなどなかったかのようにされたことによって、わたしの鬱症状は深刻化していきました。体調が悪く、家から出ることのできない日も多くなり、一日中起き上がれない日もありました。
周藤由美子『セクハラ相談の基本と実際』(新水社、2007年、35頁)では、セクハラが被害者に与える心理的な影響として、以下のものが挙げられています。
① (加害者に対する)根強い恐怖 被害者が加害者に対して抱く恐怖心は、一種のPTSDの症状のようなものでもあり、理屈でどうにかできるものではないのです。加害者と顔を合わせたくないという被害者に対しては、その状況を理解して、速やかに対処する必要があります。 ② 自責感・罪悪感・無力感 被害者の自責感や罪悪感、無力感は本来、感じる必要のないものです。でも、自分に何も悪いことはなかったのに被害にあってしまったと考えることは、これからまたいつ被害にあってもおかしくないという恐怖につながってしまいます。自責感・罪悪感を持つことは、自分が気をつけていれば被害にあわずにすんだと思うことで、安心感を手に入れようとする防衛策のひとつであるともいえます。 ③ 自己尊重心の低下 被害にあったことで「自分は価値がなくなった」「汚れてしまった」「恥ずかしい存在だ」と感じてしまう被害者は多いのです。被害の影響で仕事や大学に行けなくなり「自分はがんばりが足りない、ダメな人間だ」と思ってしまう場合もあるでしょう。 ④ 対人関係への影響 セクハラは一定の信頼感を利用して行われることがしばしばです。そのため、被害者は自分が加害者を信頼していたことが間違っていたのだと思わされます。自分の人を見る目が信じられなくなると、新たな人間関係を作ることが非常に難しくなります。 ⑤ ライフサイクルへの影響 セクハラによって、仕事や勉強を休みがちになり辞めざるを得なくなったり、希望してた職場や専攻を変えざるを得なくなったりします。本来やりたいと思っていたことができなくなったことも、大きな被害ととらえる必要があります。
そして、「様々な影響を受けることは避けられないかもしれませんが、できるだけ早い時期に相談でき、周囲の人たちが被害者を信じ、被害者を責めず、きちんと対応できれば、深刻な影響をひきずらなくてもすみます。被害にあったこと自体はアンラッキーだったけれど、たまたま加害者がひどかっただけで、被害者である自分には何も問題はなく「この世界は信頼できる」と思えるようになるからです。そういう意味で周囲の対応は重要なのです。」と周囲の対応の重要性を訴えています(36頁)。
わたしは5月16日H氏へのメールで、「W氏との遭遇は避けたい」と希望している旨を伝えていましたが、教員たちは、わたしの指導教員変更が終わったら、問題自体が「解決済み」になったかのようで、わたしがW氏と遭遇する危険性などを考慮してくれることはまったくありませんでした。
大学に行った日も、W氏が平然と学内を歩いているのを見ると、わたしは混乱しました。なぜ学生を性的対象としようとする人が平気で教鞭をとっているのか、なぜ周囲もそれをよしとしているのか、理解することができませんでした。
わたしにとって、大学院で文学を学ぶことは長年の夢でしたが、このコースで学ぶ意味があるのだろうか、この大学に在籍している意味があるのだろうか、とわからなくなっていきました。
わたしはそういう気持ちを██さんにメールしました。
6月1日 「いつもですが、なんとなく落ち込んでいます。セクハラ問題を隠蔽されたことにたいするもやもや感もあるし、(中略)卒業後、どうやって働いていいかわからないし、この学校にい続ける意味はあるのかな、とかおもったり、(後略)」(甲26)
6月5日
「今日も学校を休んで、お昼に起きて、でもずっと、だるくて、夜8時くらいまで寝込んでいました。(中略)将来の不安とか、学校をやめるかどうかとか、いろんなことでなやんでいます。休むのが大事、とおもっても、実際、これから食べていけないかもしれない、と心配になります。3日間、家にこもっていたので、あしたはなんとか外にでたいです。」(甲26)
6月17日 「夜分にすみません。また落ち込んでしまってメールしました。今週、なにがあったとかではないのですが、体が重くて、(湿気かもしれません)、落ち込んでいて、自分の将来性のなさにもがっかりして、(中略)あまりにも鬱なので赤坂の██にいってまた鬱の薬をもらったほうがいいのかな、とも考えています」
6月のあいだ、わたしは自分がどういう選択肢をとったらよいかわからず、変わらず授業に出続けようとしましたが、だんだんと出席することが難しくなっていきました。再び学内でW氏と2人でばったり遭遇する可能性を思うと、大学へ行くことが苦痛になりました。TAの仕事は、わたしが休むと教員や多くの学生に迷惑がかかるし、生計を立てる必要があったため休まず行きましたが、出る予定だった授業もなかなか出ることができなくなり、そのことでさらに落ち込んで心身ともに不調が続き、楽しみにしていたイベントにも行けなくなりました。
大学院では、演習のほかに語学の単位も取らなくてはならず、語学の授業は出席が必須だとわかっていたのですが、どうしても大学にいけず、出席できない状態でした。
ただ、わたしはどうしても修士論文を書き上げたかったし、それを公正に評価してもらいたいという強い希望もありました。わたしは修士論文で9人の作家を扱うつもりでしたが、その中心として選んだJ・D・サリンジャーは、昔から特に敬愛していた作家で、大学在学中に論文を執筆しようとして一年がかりでとりかかったものの、どうしても仕上げることができなかったという悔しい挫折の過去があり、大学院ではその挫折を必ず成功に変えようと心に決めていました。
わたしは、中退するとしても論文だけは書き上げて提出したい、と心に決めました。 わたしはそのことを同級生の██さんや██くんには話しました(甲4、49)。
7月4日には██さんに、
7月4日
「(前略)苦しいのに誰に頼ったらいいんだろう、とおもって、ひとりで抱え込んでいたのですが、またここのところ、いやなこともあって、死にたい、死にたい、という気持ちから逃れられないのでメールしました。(中略)修士課程を卒業しないときめましたが、そのことで学校の先生に嫌われるのではないかと、余計な心配をしたりして、死にたくなるのです」
と退学の意思をはっきり伝えました。(甲26)
26 悪化する精神状態(2017年7月〜)
早稲田大学は頑なに、わたしの中退の理由がハラスメントであったとは認めず、「退学を余儀なくされるほどのハラスメントなら途中で退学を選択するのが合理的な行動である」(被告準備書面3)などと主張していますが、わたしにはわたしの精神活動があり、前述のような理由がありました。当たり前ですが人間には人それぞれ個別の内面と事情があります。職場でハラスメントの酷い被害にあった人の場合でも、生活のためにすぐ退職できない人もいるでしょうし、完成間近の仕事は自らの責任で成し遂げるしかないということもあるでしょう。そういうことを一切無視し、「合理的な行動である」と血の通わないものさしでこちらを測って切り捨てようとするのは、とうてい人を育む大学の姿勢とは思えません。
わたしは中退は決めていましたが、修士論文は絶対に書き上げたかった。提出してなんとしても公正な評価を受けたいという強い思いがありました。理不尽に奪われた大学院生活のなかで、せめてそれくらいは手にしたいと願ったのがゆるされないのでしょうか。大学は、被害者はすべてを諦め、すべてを捨ててすぐに去るべき、そうでなければ被害者とはいえない、と思われているのでしょうか。
しかし、中退するという事実が知れたら、修士論文を見てもらえなくなるかもしれないという不安もあり、さらに「中退をするのに修士論文を見てもらおうとするのは先生達に失礼だ」という助手からの意見もありました。なお、裁判においてW氏はこのようなわたしの苦渋の選択に対し、陳述書(乙イ3)において、「これは、修士論文「提出資格規定」に配する重大な学則違反である」と非難していますが、言うまでもありませんが、わたしはセクハラ被害を受けさえしなければそんな選択はしません。そもそも中退のきっかけをつくった人が何をいっているのでしょうか。同陳述書では「原告は予め意図的に、主査のH教授を始め、論文審査に当たった教員全員に対して、ほんらいであれば、読む必要のない修士論文を査読し、聞く必要のない発表を聴き、合否判定審査をする労力を強要していたことになる。」「原告は、大学と教員を「欺して」修論を提出していたことになるが、この点についての、十分な説明釈明のないことを遺憾とする」とも述べていますが、そんな些末な規則違反でも問題になるのであれば、学生や受験生の個人情報を漏らし、入学の段階から不適切な情報を伝えてわたしを「欺し」、長期間にわたってわたしの思想や人格を否定し、継続的にセクハラ行為をはたらき、挙句のはてには「俺の女にしてやる」などと学生に対して愛人になるよう求めるという重大な人権侵害行為を行ったご自分の罪の重さはいかほどのものになるのか、考えてみたらどうでしょうか。
9月24日には詩集を出版しました。
わたしは、セクハラのせいで自分の夢が壊されたり、なにか失ったりするなんて耐えられない、セクハラなんかに負けたくないという自尊心を頼りに、修士論文の執筆と詩集の制作に打ち込んでいました。詩集の栞文はH氏に、帯文をS氏と、P氏経由で知り合った詩人のQさんに書いてもらいました。第一詩集をこのように支えてもらうのは晴れがましく喜ばしいことだったのですが、これもまたわたしを苦しめることになっていきました。
10月28日、年1回行われる現代文芸コースの学会がありました。W氏も出席している場所に赴くのは苦痛だったのですが、詩集の帯を書いてくださったQ氏が講演することになっており、わたしは9月に出版した詩集をその際に手渡すことになっていたので出席し、教室の後ろの方に座りました。W氏はそれまでと何ら変わらない様子で、発表者に質問を浴びせていました。
学会が終わり、Q氏に詩集を渡して話していると、P氏から、打ち上げの飲み会の行われる定食屋までQ氏を先にお連れするように指示されました。
この時、できればQさんにハラスメント被害のことを相談したかったのですが、わたしと2人で歩いているときにQさんが、「W先生から仕事のオファーがきたおかげで来年から授業を受け持てることになった。これからどうしようと思っていたから本当に助かった」とたいそう喜んで、その後もW氏と親しげに話していたので、ハラスメントのことを話したらQさんを困らせてしまう、わざわざアメリカから帰ってくるのにその予定を狂わせてしまうと思い、話すことをあきらめました。文学業界は狭く、このような繋がりが張り巡らされているなかで生きようとする限り、わたしは口を塞いでいるしかなくなるのだろうか、と暗澹とした気持ちになりました。
Q氏と一緒に店まで行き、中の座敷に座って他の参加者を待っていると、次にW氏がやってきました。前記のとおりW氏はわたしとの接触が禁じられているはずでしたが、同じテーブルに座ってきました。
その後も、W氏がわたしのすぐそばにいることを気にかける人はおらず、W氏は自分から席を動く気配がなかったため、わたしの方から席を立ち、離れた場所に座りました。少し離れた場所から眺めていると、W氏も含め、コース全体で和気藹々としていました。わたしは自分の受けた被害はなかったことにされたんだな、と実感しました。
帰宅後、わたしは精神的にいたたまれなくなり、██さんにメールしました。
10月29日21:32 「度々すみません。あまりにも鬱がひどいので、また吐き出すだけの、メールさせてください。 昨日はとても嫌な日でした。大学院の学会があり、ゲストにQさんがいらっしゃるということで、詩集をお渡しするために、行ったのですが、Qさんの講演の前の学会の雰囲気から、元指導教官のW先生が偉そうにしていて、雰囲気がよくなかったので頭が痛くなってしまいました。 Qさんの講演はとてもたのしくて、聞いてたら元気はでてきたのですが、来年からQさんが早稲田に教えに来ることになって、それにオファーをしたのがW先生だということで、そのふたりが仲良くしているのをみて、とても嫌な気もちになってしまいました。 (後略)」 (甲26)
10月31日、██さんの助言で精神科の病院に行き、抗精神病薬を処方されました。
学会の場でもその後の店でも、W氏とわたしが遭遇してしまうことは当然予想できたはずですが、M氏が何らかの配慮をした様子はまったくありませんでした。M氏は指導教員変更を済ませたことで「面倒なこと」をすっかり片付けたつもりになっていて、わたしの「二次被害を防止する」ことなど脳裏をよぎりもしなかったのでしょう。M氏の言動が口止めを目的とするものではなくW氏によるわたしへの二次被害を防止するためのものだったという早稲田大学の主張は、空虚です。M氏の頭には当時「二次被害の防止」などなく、それは口止めしたことをごまかすために後から作った都合のいい言い訳にすぎないように思えます。
27 修士論文・中退(2018年1〜3月)
2018年の1月、わたしは修士論文をなんとか書き上げました。
1月23日、修論の口頭試問がありました。わたしが審査される番になり、席に座ると、すぐ一列うしろの席にW氏が座っていましたが、M氏はもちろん誰もそれを気にかける様子はありませんでした。
審査が終わり、論系室で打ち上げをしていると、早稲田文学の編集に携わるI氏に、卒業後の創作活動について話しかけられました。その際、「君がここまで成長できたのはW先生のおかげなんだからちゃんとお礼を言ってあげて。もうおじいちゃんなんだから」と言われ、これから文学業界で仕事をしていきたいならセクハラのことは不問にして手打ちしろ、ということなのだと感じました。耳を疑い、信じられない思いでしたが、卒業後のキャリアに関わるI氏が怖くて、反論できずに黙ってしまいました。今でも屈辱を感じます。
なお、この際のI氏の発言は、2018年の大学の調査結果では「不適切」であるとされており、「ハラスメント被害者である申立人からW教授に対し、お礼を言うなどして歩みよることを助言することは適切性を欠いている」と指摘されています(甲10 13頁)。しかしながら裁判において早稲田大学は、不適切であったことはかろうじて認めつつも、「W氏に対する「個人的な心情」を述べるにとどまり、わたしに何らかの作為を強要するものでも、ハラスメントを正当化しようとするものでもないし、二次被害を生むものではない」(被告早稲田準備書面1の27頁)などとしていますが、教員と学生という立場の不均衡に加え、I氏がわたしの修論の副査であったことを考えれば、個人的な心情などで済まされるものではなく、権力の濫用であるにもかかわらず、その問題の認識をまったく欠いているといえます。
その口頭試問の打ち上げの場で、H氏に中退の旨を伝えました。驚いた様子でした。
3月2日9:25、H氏よりメールがあり、その日に事務方より成績確定の通知があるということ、および、「来年度も籍を置き、残りの単位を取得して修士号を取得する意思があるかどうか、あるいは以前話してくれたように、「中退」の決意に変わりがないかどうか、今月中には知らせてください」と言われました。
その日の夕方、成績通知を確認し、「卒業不可」であったことをH氏に伝えた上で、思い切って以下のように伝えました(甲66)。わたしは繰り返される口止めや問題の矮小化によって無力感を覚えており、以下のメールをするのでも、やっとの思いでした。
18:44
中退のこと、きちんと説明せず済ませてしまってすみません。
メールで失礼いたしますが、一応事情をお伝えしておきます。
去年の春学期に元指導教官との問題が起こってから、H先生方が対処してくださって助かりましたが、体調を崩し、学校に行くことに抵抗を感じるようになって、ほとんど授業に出席できなくなっていました。
語学の授業は出席が必須だったのでその時点で単位がとれなくなったのですが、
もともと語学の授業にはあまり関心がなく、就職するつもりもなかったので修士号も必要なく、
とにかく書く力が身に付けばそれでいいやと、それからは修士論文を書くことだけを目標にしていました。
なので中退する意思は変わりません。
退学届には退学する理由を書かなくてはなりませんでしたが、M氏に口止めされていたので、「ハラスメントがあったため」ではなく「経済的事情により」と書きました。ですが、H氏にはハラスメントが原因だとわかっていたはずです。
しかしながら、H氏からは「事情はよくわかりました。当初の気持ちに、指導教官変更の時のことが重なっていたのですね。中退するということで、了解しました。副査の先生方にもそのように伝えておきます。」という旨だけが返ってきました。
ハラスメントが原因で中退するということになったということは重大な問題だと思っていたのですが、そういった問題意識がなく、対処も特に考えてもらえない様子に失望しました。
中退後は、大学の近くに住み続けるのも嫌だったので、郊外へと引っ越しました。