この件については、今、友人たちが改めて対応しようとしているし、まだ終わったことではないので、何かしらの展開があったら後日きちんとまとめて書こうと考えています。ですが、とにかく現在時点で出来事の記録を残し、この事がなかったことにならないようにしておきたいと思いました。友人たちもそれに同意し、了解してくれたので、ここに書き記すことにします。
きのう(2023/02/18)の夜、友人のNさんが主宰する食事会に行きました。彼女の同人誌に寄稿したことのある人たちがつどう会でした。
わたしは昨年鬱病が深刻化し、引きこもりとなり、障害者手帳をとることにして、ほとんど人とも会っていませんでした。会うとしても信頼している人と1対1でしか会えない状態になっていたのですが、今年になって、少しばかり“回復”しているように思えていました。わたしの訴える声に、多少ではありますが、真摯に耳を傾けてくれる人も増えてきたからです。
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とはいえ、知らない人がいる会合にはまず行きません。これまで、さまざまな会合で、無自覚な二次加害の言動に傷ついて、「もうあそこには行かない」と失望するということを繰り返してきたからです。
でも昨日の会合は、信頼するNさんが主宰でしたし、わたしがいまだに年上の男性に恐怖感を抱きがちなことも事前に伝えていました。第一、その同人誌の最新号に、わたしはセクハラ被害者が負っている裁判の負担や、日常生活で苛まれるトラウマについて書いたエッセイを寄稿していましたし、基本的にはみなさん事前に読んで、ある程度ご理解いただいていることを想定していました。
また、会の開催場所はNさんの友人である男性のマンションの一室であり、その男性にわたしがヴィーガンであることを伝えると、ヴィーガンのおいしいカレーを出せるよう練習しといてくれるとのことだったので、楽しみにしていました。日本ではヴィーガンに対する偏見がいまだ根強く、嘲笑する人も少なからずいるなか、ヴィーガン対応にすることをまったく面倒に思わない人ならば、信頼できるだろうと思ったからです。
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久しぶりに知らない人たちと会うことに緊張していたのか、前日は睡眠剤を3錠飲んでもほとんど寝られませんでした。日中はNさんと2人で池袋のカフェにいって、あったかい黒糖ジンジャーのお茶を飲み、プラントベースのおやつを食べながら、のんびりおしゃべりをしました。こうやって好きなお店で、安心して心の内を打ち明けられるNさんと時間を共にしていると、緊張もとけ、寝不足だった疲れが癒されていく気がしました。
わたしたちは17時すぎに店を出て、その男性のマンションへと一緒に向かいました。わたしたちが一番手で、その男性と、同居されている女性に、ご挨拶をしました。とても物腰の柔らかい方々でほっとしました。部屋にはすでにテーブルやイス、コップがセッティングされており、カレーのいい匂いが漂っていました。
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18時をまわり、インターホンが次々と鳴るたびに、Nさんや上記のお二人が手際良く対応され、まもなく10人ほどの男女が集まりました。ほぼNさんの友人でしたが、1名だけ、Nさんの知らない女性もいました。部屋を貸してくれた男性の友人だということでした。
みんなすでにおしゃべりをはじめていましたが、念のため自分の事情について改めて説明しておいたほうがいいと思い、わたしは「みなさん自己紹介しませんか?」と提案しました。それがいいですね、と快諾され、自己紹介タイムとなりました。Nさんの学生時代の旧友から、去年Nさんと知り合った方まで、それぞれのお仕事もご趣味も幅広く、いろんな方がつどっている場なんだなとわかりました。Nさんもひとりひとり、思い入れ深く、その人との固有のエピソードを語っていました。
わたしは自分の番になると、詩人であること、大学院でセクハラにあったこと、いまだに裁判をしていること、大学のハラスメントを看過しない会という団体で活動していること、会の記事をみてNさんが「エッセイを寄稿していただけませんか?」と声をかけてくれたことがきっかけとなり、Nさんと親しくなったことなどを話しました。みんな真剣に耳を傾けてくれているように思えました。また、自分がヴィーガンであることを告げ、カレーを作ってくださった男性にお礼を言うと、男性は楽しそうにカレーの作り方について話していました。
また、他の参加者の中にも、職場のパワハラを問題視されている方がいたり、難民支援をしている方がいたり、わたしも興味深く話をききました。おまけに、わたしと同じように障害者手帳を持っている方がいらして、鬱病・躁鬱病や薬依存のこと、医者のこと、障害者の利用できるサービスのことなどについて、普段めったにする機会のない、有意義な情報交換もしました。
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こうやって誰かの家にいって、はじめて会う人たちと一緒に、笑いながらお酒を飲むなんて、大学院生のとき以来だったのではないかと思います。
中退して、告発してから、わたしは多くの人間関係を失いました。それまで気さくに勉強会や食事に声をかけてくれていた友人たちからも、なんとなく距離を置かれるようになりました。
何か興味のあるイベントがあったとしても、誰か加害者の関係者がそこにいる可能性がゼロではないと考えてしまい、足を運ばなくなりました。
わたしは自分が「被害者」であることをなかなか受け入れることができず、去年名前を出すまでは、自分がセクハラ被害者であることは、ごく一部の友人・協力者をのぞいて、周囲には隠し通していました。
わたしがセクハラ被害者だということをまったく知らない大学時代の仲間は、息を吐くように性差別発言をするし、わたしがヴィーガンであることをからかったり、やめさせようとしてくるので、会うことが苦痛になり、連絡先も消しました。
セクハラについて知っているごく僅かな友人たちにも、今のわたしは「障害者」であり、就職もできず、金銭に困り、障害年金の受理を待っているところだということはなかなか言えず、仕事のことを聞かれるとはぐらかしていました。
新しい人と出会っても、なるべくわたしの素性を知られないように、表面的なことばかり話して、逃げるように去っていました。
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そんな自分が、今いるこの場所では、セクハラ被害者であることにも、障害者であることにも、ヴィーガンであることにも、なんの負い目も感じることなく、「普通」にみんなとテーブルを囲って、おいしいご飯を食べながら、堂々と存在していることに、嬉しさを感じました。
引きこもりの生活は、誰にも会わず、嫌な思いをすることもなく、自分の世界に籠もって、一見安全であるように見えますが、毎日、目が覚めてから眠りにつくまで、ものすごい重圧の罪悪感や自己嫌悪との戦いです。
やっとその孤独な苦しみから逃れて、わたしも「普通」の社交関係を取り戻し、「日常」に戻れた気がしました。
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たしか21時をまわったくらいの頃、わたしの向かいの席に座っていた方がトイレに立った時、Nさんの知らない例の女性が、突然その席に移ってきました。ちょっとびっくりしましたが、飲みの席ではよくあることなのかもしれません。もともと座っていた方は、戻ってきて自分の席にその女性が座っているのを見ると、コップとお箸を取って別の席に移りましたが、その女性は自分が話すのに夢中で、何か言葉をかけたり、気遣いを見せる様子はありませんでした。
実はその前にも、隣のテーブルにいる別の男性が、一度「柄谷行人」という名前を出した時、わたしはビクッとしました。最近、わたしにとっては“加害者”でしかないWの出した新刊本の推薦文を「柄谷行人」が書いていると友人から聞き、ショックを受けたばかりだったからです。でも、こういう「小さな傷つき」は被害者にとっては日常茶飯事ですし、そもそも彼とはテーブルが違うから、わたしはこっちのテーブルで女性と話しているかぎり、安全だろうと思ってしまっていました。後で聞くと、Nさんが、その男性がわたしの方に行かないよう配慮してくださっていたそうです。
例の女性は、フェミニズムに関心のある人のようでした。雨宮まみの読書会などに参加していたといいます。しばらく女子アナについて、その席にいたみんなで、笑いながら議論しました。それから、それぞれフェミに関心を持つようになったきっかけについて話しました。わたしは、以前は「いまどき男とか女とかどうでもよくない?」と思っていたからフェミの必要性がわからなかったけれども、自分がノンバイナリーであるにもかかわらず、大学院で指導教員から「俺の女にしてやる」といわれたことで、相手から「女」として見られたら、わたしの意図なんか関係なく一方的に「女」扱いされてしまうことを知ったからだ、と話しました。いつもメディアや関係者に話すのと同じ、テンプレートの回答でした。
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それを聞くとその女性は、「え、もしかして有名な、あの事件ですか!?」と聞いてきました。わたしは(自己紹介で話したよな…聞いてなかったのかな?)と怪訝に思いつつ、「ええ、早稲田の。文芸批評家の…」と言うと、その女性は「わっ、実在したんだー!!」と言いました。
わたしは居心地が悪くなりましたが、軽く笑って、頷きました。
冷静で、人当たりのいい、「完璧な被害者」でいようとしました。
いつもどおり。
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すると、左隣に座っていたTさんが、わたしに顔をよせて「大丈夫?」と小声で聞いてきました。わたしは「平気平気」と答えましたが、自分の顔が火照っているのを感じました。怒りや悲しみとかではなく、とにかく右の耳が熱くて、真っ赤になっているだろうと思うと、恥ずかしく、耳にかけた髪を下ろしたかったのですが、体が動きませんでした。
例の女性はその流れから、どういう意図かわかりませんが、「女が男の家に泊まりに行ったら、それはレイプをされてもしょうがないだろう」ということを語りはじめました。典型的なレイプ神話です。わたしは、さすがにこれは聞き捨てならない、このままその発言を放置しておくことはできないと思い、「一緒に食事をしようが、家に泊まりに行こうが、同じベッドで寝ようが、性的行為について相手が同意していない限り、それは同意があったとはいいませんよ」と、性的同意について淡々と説明しました。
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しかし、女性は「わたしは昭和の人間だから」といい、さらに持論を展開しようとしてきました。
その途端、隣に座ってたTさんが立ち上がって、「もうやめましょうよ」と遮りました。
女性はまだ何か言いたそうでしたが、Tさんはきっぱりと「被害者のいる前でそういう話はやめましょうよ」と言い、女性はやっと黙りました。
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Tさんはわたしに向き直り、「大丈夫? 外出る?」とそっと聞いてきました。
例の女性は変わらぬ様子で、もうすでに別の話題に花を咲かせていました。
気づいたらわたしはTさんに寄りかかってボロボロ泣いていました。
なんで自分が泣いているのかよくわかりませんでした。
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わたしが荷物をもって立ち上がると、Nさんがすぐに異変に気づいてやってきて、Tさんと二人でわたしの肩を抱え、一緒に廊下に出ました。
わたしはボーッとした頭で、廊下に座って、持ってきてもらったティッシュで鼻をかみ、二人にお礼やら謝罪やらを繰り返していました。
今、目の前で何が起こったのかよくわからず、現実感がなく、意識と身体が解離しているようでした。
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室内では、わたしたちが出て行ったあとも、変わらず談笑が続いていました。
寄り掛かった壁越しに、男性のうちの一人が、「園子温」という名前を口にしているのが聞こえました。先月、自死の報道がされた、彼の性暴力被害者である千葉美裸さんのことではなく、園子温という監督や、その作品のエキセントリックさについて、ただ称賛しているだけでした。
(一刻も早くここを出たい)
わたしはNさんとTさんが持ってきてくれた上着を着て、外に出ました。
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NさんとTさんと並んで駅までの道を歩きながら、わたしは自己嫌悪に陥っていました。
どうしてわたしは普通に楽しくできないんだろう。
どうしてわたしは今日ここにきてしまったんだろう。
どうしてわたしは自分が外に出て、見知らぬ人たちと楽しく交流できるなんて思っちゃったんだろう。
わたしさえいなければ、みんな楽しく話して終わっただろうに。
わたしなんか家に引きこもって、閉じこもっていればよかったのに。
わたしは“手のかかる存在”だ。わたしがいると多くの人に”迷惑”をかける。
今だって、こうやって二人についてきてもらって本当に申し訳ない。
すぐ泣くし。(泣けばすむと思ってんじゃねーよ)
大学のとき先輩からいわれたとおり、わたしは「トラブルメーカー」なんだろう。
わたしがいると、たいていいつも、なんらかのトラブルがおこる。
現代文芸コースだってそう。
メディアで告発したら「他の学生たちが傷つく」と教員から言われたけど、要はわたしさえいなければよかっただけの話ではないか。
わたしさえいなければ実は何も問題なかったんじゃないか。
現に、文学業界はWをもう普通に受け入れているじゃないか。
わたしがどんだけ声をあげたって、現代文芸コースは黙り続けているじゃないか。
おかしいのは全部、わたしのほうだったんじゃないか。
この国にいるとよく感じる。
「わたしはここにいないほうがいい」
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(わたしなんかいなければいいのに)
(消えたい)
(消えてなくなりたい)
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駅が近づき、Nさん・Tさんから、「一緒にゲストハウスに泊まる?」とも提案されましたが、「大丈夫だけどちょっとお茶を飲みたい」とわたしは告げました。あたりのカフェはすでに閉店し、ファミレスはどこも並んでいたので、雑居ビルの中のカラオケボックスに入りました。
隣の部屋から流れてくる、音程の外れた歌声を聴きながら、わたしは無力感に陥っていました。
今ではわたしには多少の発信力があるし、信頼できるメディアのつながりもある。協力者、他の被害者・支援者仲間も結構いる。看過しない会の記事はすべて無料公開とはいえ、ほとんどの記事が数百以上、半数は数千以上読まれていて、「陳述書」などは万単位で読まれた。わたしには他の媒体がやらないような意義のある発信をしているという自負があり、今は、二次加害発言について、海外の文献も集めて読み込んでいたところだ。わたしが頑張って「二次加害発言集」も出せば、きっと他の多くの被害者の助けになるだろう。それに現在、性暴力・ハラスメント被害者ネットワークも準備中で、自助グループについて詳しい方に相談したり、文献を取り寄せて調べている。このネットワークがあれば、孤立しがちな被害者同士がつながって、ゆるく支え合える。わたしだけではなく、志をおなじくする友人・知人たちも、自分たちの研究の時間を割いて、キャンパス・セクハラの署名運動を別でやっており、すでに数万の署名が集まったようだ。わたしたちは確実に社会を変えていっている。
そんな自信を、ポキンと折られたような気持ちになりました。
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わたしが黙ったままボーッとしていると、Tさんが、「話したいことがあったら話したらいいし、話したくなかったら話さなくていいよ」と声をかけてくれました。
わたしは、今日いたあの空間は、何も特別なものではなく、あれこそが社会の縮図なんだと思った、ということを話しました。
「泣いて出てった人がいたけど、どうしたんだろうね?」と、若干もやもやした空気が流れながらも、みんな何が起こったのかよくわからなまま、あるいはわからないふりをしたまま、結局、残った食事を食べ、酒を飲み、談笑し続ける。
被害者であるわたしと、付き添った2人は、狭いカラオケボックスに避難して、みんなで神妙な顔をして座り、一人は「もっとはやく止めればよかった」と後悔し、もう一人は「自分が甘かった」と泣く。
でも、わたしたちの声は、「彼ら」の耳には届かない。
今までわたしが声を上げていたのは、「彼ら」のいるマンションとはずっと離れた、カラオケボックスの端っこの、狭いブースの中でしかなかったんだろう。
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“実在”する被害者に気づこうともしない「彼ら」。
被害者の存在が、現実が、たまたま目に入っても自分たちの都合のよい見方でねじ曲げてしまう「彼ら」。
「彼ら」のいるところには居られないから、こうして隔てられた別室で、わたしたちがどれだけ頑張って海外の文献を集めて二次加害集を作ったって、きっと「彼ら」は変わらない。
どうしたらいいでしょう。
どうしたらいいと思いますか?
***
その後、3人で話し合い、今日あったことをなかったことにさせない、絶対に今日のできごとを残そうと決めて、ひとまず解散しました。
最寄りの駅について、電車を降りたとき、例のセリフが頭の中で繰り返されて、また涙がこぼれてきました。
“わっ、実在したんだー!!”
わたしのショルダーバッグの中には、その日みんなに配ろうと思って作ってきた、キャンパス・ハラスメントや、アニマルウェルフェアについて解説したビラが入っていました。
(10人にビラさえ配れないなんて、わたしはなんて役立たずなんだろう)
深夜1時過ぎ、駐輪場の周りには酔っ払いがうろうろしていたので、わたしは催涙スプレーを片手に、ポケットには「110」を打ったスマホを入れ、自転車を漕いで帰りました。
帰ってからも結局寝ることができず、PCを開き、この文章を書きました。
***
今回の出来事のなかで、一つ希望に思えたのは、わたしは本物の「アクティブ・バイスタンダー(行動する傍観者)」を、初めて見たということです。
正直、わたしは、例の女性からレイプ神話を語られたとき、怒りも悲しみも感じていませんでした。機械的に、暗記していた「セクハラ加害者の言いわけ集」の解答を言っただけでした。
この裁判だけでなく、今までの人生で、無神経な言葉や質問を、無数の銃弾のように浴びせられてきました。動物運動をやっていてもそう。ヴィーガンとして生きていてもそう。揉めるだけ無駄。一応説明はするが、相手に期待なんかしない。そして嫌になったら黙って去る。
でも、今回、わたしの横で、すっと立ち上がって、話をやめさせた彼女を見たとき、なんだか夢を見ているような感覚に陥りました。
(実在するんだ)
たぶん、この光景は、ずっと忘れないと思います。
***
以上、事実に多少の差異はあるかもしれませんが、わたしはこの日の出来事をこのように記憶しています。
深沢レナ