2023年4月19日
去る4月6日、東京地裁にて、わたしたちの裁判の第一審判決が下されました。その結果は、「第一審・東京地裁判決 記者会見の報告」に示したとおり、部分的な勝訴にとどまるもので、わたしたち原告側の主張のいくつもの重要な論点が、納得のいかない理由で退けられていました(※詳しくは「判決文」をご覧ください)。
直後から、わたしたちは弁護士とともに分析会を設け、判決文のさまざまな問題点について話し合いました(※分析結果については、近々にアップする予定です)。記者会見でも、控訴の選択肢を検討中であることを表明しています。全国紙や主要テレビ局の報道で裁判結果が伝えられると、テレビのコメンテーターをはじめとする多くの方々から、「声を上げた原告に勇気づけられた」という励ましの言葉や、「受けた損害に対して賠償額が少なすぎる」といった疑問の声が、きわめて多数寄せられました。
ただし、判決と記者会見後の数日間は、わたしたちにとって、嵐の日々でした。
(いまもその渦中にあります。)
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まず、記者会見で極限の緊張を強いられたその当日の晩、とある支援者男性から、いまなお早稲田の文芸・ジャーナリズム論系OB・OGの一部が、深沢の人格について出版業界でいわれなき中傷のような発言を周囲に流しているらしいという、それじたい真偽不明な情報がもたらされたことで、深沢もわたしたちも深刻なショックを受け、対応に追われた事情があります(※1)。
支援者と認識していた男性から、早稲田の関係者に対するさらなる人間不信を余儀なくさせるような発言を、よりによって裁判開始から4年にもわたったその区切りとなるねぎらいの席の場でされたことで、深沢は激しく混乱し、恐怖と怒りを抑えることが困難になりました。
もし、裁判にまで至った深沢のさまざまなふるまいや言動に問題点があったのだとしたら、教員の方々であれ関係者であれ、直接、適切な指導をしていただければよかっただけのことではないでしょうか。
また、2020年11月には設置されていたわたしたちの会の公式サイトを通じてでも、直接ご連絡をとっていただき、そのつどご指摘いただければよかったのではないでしょうか。
実際には、いかなる接触もなく、深沢はたんに「原告A」として、ほぼ実在しないかのように無視されつづけたのです。
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判決直後から、上記の問題が引き起こした底知れぬ人間不信に苦しみながら、深沢はほぼ唯一の吐き出し口であるTwitterで、自分の気持ちをツイートし続けました。
全国紙やテレビニュースに、あえて顔と名前を出してまで被害者としての存在をさらすことにはどれほどの勇気が必要か、だれにでも容易に想像はできることと思います。
記者会見を開くと決意してから、深沢は毎日その準備に追われていただけでなく(※2)、判決前から、なかなか眠れないことに苦しんでいました。
ツイートの内容が時折荒れてしまうのは、この数年間、心療内科から処方され服用している薬のオーバードーズによるところも大きいです。
彼女自身、Twitterに依存してしまう自分をコントロールしたいと願いながらも、そこで思いを吐き出すことでようやく命を保っている、というのが実情なのです。
最も近くにいる支援者にさえ、彼女のツイートも服薬も、止める力はないのです。
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この間も深沢は、判決文のなかで名前が登場する教員の方々や、その関係者らから、何らかの連絡があるのでは……と、それなりに期待をしていました。
裁判のせいで、組織としての早稲田大学に配慮したり、個人的に連絡をとりにくかった事情があったりしたのであれば、裁判後に、何らかのねぎらいの言葉や謝罪のようなものがやってきてもおかしくはない。それこそ、ごく普通の人間的な関係ではないか、と思われるためです。
まがりなりにも、深沢の主張は法的にも認められ、被告のセクハラ行為や、教員たちや大学当局の対応の不適切さが認められたのですから。
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ところが、判決から5日ほどが経っても、そのような言葉は、一名の先輩・一名の同級生を除けば、現代文芸コースの関係者からは届きませんでした。
当事者以外の方々からは次々と「勝訴おめでとう」「お疲れ様」という声をかけていただいていましたが、肝心の問題点──地裁ではたった10分の1しか主張が認められなかったこと、それが関係者たちの「沈黙」によるものであること──には光が当てられず、そのことの悔しさを嘆く彼女の声に、十分に耳が傾けられることもありませんでした。
「勝訴」という言葉だけが一人歩きし、結局、何も変わらなかったのではないかと無力感にさいなまれ、この先、避けられないであろう控訴への道のりを、また一人で歩まなくてはならないことに、「出口が見え」なくなっていきました(※3)。
外出にも困難をきたすような、極度の不安と不眠のなかで、深沢は4月11日、いよいよ耐えきれず、支援者からの理解も許可も得られていない段階で、個人としての判断で、以下の捨て身のツイートを公開しました。
◾︎ 4月11日 12:21PM 深沢ツイート 「係争中だから」沈黙貫かれても仕方ないと思ってたけど、判決でてすらだまり続けるとは。 もう黙ってても意味ないから、 告発前から事件のこと知ってた人たちの名前を出します 【以下、8名の教員たちの実名を列挙】
Reply 1:01 PM ただただ虚しい。 血反吐きながら裁判やって、 リスク背負って、 顔も名前もだして、 やっと多少なりとも勝訴を得たのに、 ここまできてもいまだに彼らは沈黙。 わたし、生きてるのかなぁ 存在、してんのかなぁ
Reply 1:28PM このうちの2名に、必死に裁判の協力お願いして、すげなく断わられたときのメール。 わたしも同級生も、かつて尊敬してた人たちからこんな返答返ってきて、悲しすぎてしばらく言葉が出なかった。本当にこのコースに入ったことを後悔した。 ※2023/1/31公開「現代文芸コース教員2名とのメール」のURL添付
この実名表示のツイートは、当然ながら、相手の教員のみなさんからの、名誉毀損の訴えのリスクをも覚悟したうえでの行為です。
会としては、代表がそうしたリスクを犯すことを、止めるべきであったかもしれません。
けれども、同時にこれは、どうしても必要なプロセスだったのかもしれないとも感じます。
人間界で起こることの真偽/善悪のすべてが、裁判所で決まるようなことがあるはずがありません。
善悪の彼岸にある物事のほうこそ、人間にとって致命的に大事なのではないでしょうか。
問題の本質は、法の次元をも超えた、倫理の要請──大学で学問を教える方々が、教え子や社会に対して誠実に応答しうる人でありうるかどうか──に関わっているからです。
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このツイートに対しては、まず、そこにお名前のあった津田大介氏(かつての深沢の教員の一人)が、ただちにツイートで反応し、津田氏なりの回答をされました(※4)。
その後、4月14日付の「ポリタスTV」にて、長尺の時間を使って大学とハラスメントの問題を取り上げ、本裁判にも言及されました。
Twitterや番組で述べられた個々の事実については、深沢の認識とかなり異なる点もありましたが、ご自身の仕方で反応をくださった点において、会としては、津田氏に一定の感謝の気持ちを有しています。
実名のなかのもう一人、佐々木敦氏(同じくかつての教員)には、今後の裁判において協力していただく可能性を含めて、交渉を試みました。でも残念ながら、「これまでずっと深沢を全面的に支持してきた」と表明される反面、大学や関係者に対するご自身の距離を繰り返し強調されるとともに、「できることとできないことがある」という当たり前のスタンスを崩されることはなく、実質的には、とくに手を差し伸べていただけないことがわかりました(※5)。
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そして、この間、第三者からの批判・攻撃・中傷、報道を見た方からの相談・問い合わせなども毎日絶えない中、わたしたちにとって最もショッキングな出来事となったのが、深沢も以前から作品を尊敬していた詩人である伊藤比呂美氏による、おもに4月12日の、以下のツイート②でした。
■ 4月11日 伊藤氏ツイート① 義により助太刀いたすとよく渡辺京二さんがいっていた。 どういう方法を取ればいいのかわからずにいる。twitterがいちばん効果的かもしれないけど、野の花や森や犬たちの世界を荒らされたくない・・・。 ■ 4月12日 伊藤氏ツイート② やっぱり助太刀いたす。早稲田の件。元同僚が実名攻撃されている。裁判で結論出ていないのか。法治国家ではないのか。わたしもあのとき早稲田にいた一人だ。なぜ攻撃しない? そして彼女の言い分はすべてが事実ではない。実名を出したのは無法で無意味な個人攻撃に思えてしかたがない。 もともとの渡部氏のセクハラについては、何も反論はない。絶対にやってはいけないこととわたしは考えている。 ■ 4月13日 伊藤氏ツイート③ 助太刀の件。たぶんいろんな意見がいっぱい来るだろうなと思って、あまりに面倒になったらtwitterを中止する覚悟でtweetしたわけです。それでも助太刀せずにはいられなかったんで。というわけでみなさんお元気で。「野犬の仔犬チトー」は秋ごろ光文社で出ます。
わたしたちは、4月13日になってから、12日に上記のツイート②がなされていたことに気がつきました。
かつて第一詩集の推薦文を書いてくれた大先輩の詩人が、労わりや励ましとは真逆の言葉を、個人的にではなく、世の中にむけて広く発信している現実に衝撃を受けた深沢は、絶句してその場でしばらく動けなくなり、これまで同じく伊藤氏の作品を愛読していた母親と涙を流し、その直後から、本当に声が出なくなってしまうほどのストレスを受けました(医学的には、心因性失声症と呼ばれる症状のようです)。
その後の数日間、支援者と深沢のあいだでは、SNSで筆談での相談を余儀なくされました。
会としては、直後にひとまず、以下のツイートを発することにしました。
■ 4月13日 看過しない会ツイート (支援者より)伊藤比呂美さま、今回のツイートの件、すでに深沢本人が吐露していますとおり、私たちはとても深く傷つきました。とりわけこの数日の、深沢の一連のツイートは、軽々しい思いつきでなされているものではなく、文字通り捨て身の、命がけの言葉で行っているものです。 日本一高名な女性の詩人の方が、第一審が終わったからといって、それで「裁判で結論出たんじゃないか」と片づけてしまい、みずから国家と司法の判断に容易に同一化しうることの根拠は、どこにあるのでしょう? その言葉は、早稲田人としては正しいのかもしれませんが、本当に文学者の言葉でしょうか? 会のサイトのいろんな資料を、どうか、なるべく多くお目通しいただいたうえで、深沢さんのどこが「事実でない」のか、詳しくご指摘いただけないでしょうか。それによって、これまで、教員のみなさんの沈黙によって集めることのできなかった新たな事実が出てくるのなら、歓迎すべきことだと思います。 もちろん、私たちにも反省すべきことがないなどとは、決して申しません。私たちも納得することのできる言葉をいただくことができれば、きちんとお詫びして、何らかの必要な対応をいたします。でも、「事実」を「事実でない」と、根拠の提示なしに全否定されてしまったことの傷は、甚大なものです。 もし、具体的なご指摘がいただけない場合は、当のツイートを撤回していただけましたら幸いです。かつて、伊藤さまがオビに推薦文を書いてくださった一人の詩人が、毎日毎日、のたうちまわるほど苦しんでいるのです。そこにかけていただく言葉は、まったく別のものであってほしいのです。(会)
このツイートを受けて、わたしたちの主張に共感を寄せてくださる方々が、伊藤氏への批判の声を発してくださったことで、伊藤氏にとっては「面倒」な事態となり、それ以降、Twitterは停止される状態となっています(4月19日現在)。
伊藤氏が、何に「助太刀」をなさりたかったのかは、明確には記されていないため不明ですが、実名を挙げられた早稲田の教員の仲間が「被害」を受けていることを憂慮して、教員側への「助太刀」をなさったことは明確です。
ただし、この行為は当然、彼らを(さまざまな濃淡はあれ)加害者側の一部と認識するわたしたちにとって、明確な二次加害の意味をもちえます。
この二次加害が、この国の文学界を代表する一人のベテランの、フェミニストの女性詩人による行為であることを、わたしたちはきわめて深刻な事態であると考えています。
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まず、詩人や文学者というものは、いかにその環境から恩恵を受けているのであれ、特定の組織や団体の旗を振るべき存在ではないでしょう。
そのような文学が、公共性を見失い、腐敗しやすいことは、20世紀の歴史を通じて明らかではないでしょうか。
文学の言葉が、「裁判官がそう判断したのだから、甘んじて法に服せよ」などという言葉を口に出したのだとしたら、もうそれは、文学の死ではないでしょうか。
国家と法の言葉しか存在しない場所には、個の自由はありません。権威による抑圧と支配しか残りません。
そのような文学であればむしろ、いちど衰退してしまったほうが、社会にとってよほど健全な空気が取り戻されることでしょう。(しかも、この裁判はまだ、「結論」など出ていないのです。)
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そして、「彼女の言い分はすべてが事実ではない」という一文も、あまりにも不可解でした。
この日本語文が、もしも「全否定」を意味するのだとしたら、伊藤氏は、今回深沢が勝訴した裁判が認定した事実内容そのものを否定することになりますから、「法治国家」に従うべしというご自身の発言を、みずから裏切っていることになります。
あるいは、この日本語文が、「部分否定」を意味するのだとしたら、深沢のどの部分が「事実でない」のかを、具体的に指摘していただかないかぎり、たんに深沢の名誉を損ない、社会的信頼度を貶めるためだけの暴力的な発言になってしまいます。(もとより、それを第一に意図したツイートだったのでしょうか。)
深沢がこの3年以上にわたって、自身の被害状況を克明に会のサイトに記し、膨大な量の情報を公開してきたことの重みを、外野からのたった1行の否定的発言で葬り去るかのような言辞には、なにか、歴史修正主義者の暴力に似たものすら感じてしまうところがあります。
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結局その後(翌日)、伊藤氏はツイート③を放つことで、説明を放棄されたまま、Twitterそのものを中止するという宣言をなさり、撤退してしまわれるような状況となりました。
それによって、伊藤氏のTwitterを楽しみにしていたファンの方々の怒りが、深沢に向かうように仕向けたかったのではないか……とすら勘ぐられてしまう、後味の悪さです。
もちろん、実名表示によって名誉を汚されうる友人の教員に「助太刀」したいという伊藤氏の友情については、一定の理解は及びます。
ただし、その行為が同時に、年少の後輩詩人に対する明白な人格攻撃ともなり、かつて年長者の渡部が授業中に深沢におこなった行為とほぼ同種のパワーハラスメントにもあたることの事実を、わたしたちは指摘したいと思います。
「ものを言う若い女性」であるがゆえに、大学から遠ざけられ、退学を余儀なくされたのに、その因果関係の認定すらされず、この文学業界で何の力ももちえなくなっている深沢の存在など、文壇にとっては、どうでもよいことなのかもしれません。
でも、そのような立場にある者の声にも、文学は耳を傾け、救いの手を差し伸べる寛容さをむしろ示すべきだったのではないでしょうか。
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4月11日に、深沢が伊藤氏の実名を出さなかったのは、伊藤氏は深沢の在学中からセクハラの事件を知って傍観していたわけではなく、告発の直前に、深沢のほうから伊藤氏に相談してはじめてこの事件を知った、という関係性があったためでした。
本当は、このように敵対したい相手などではありませんでした。
こちらに問題点があれば、直接、行き過ぎを諫めるなどの連絡をとっていただければ、もう少し傷口が小さくて済むことになったはずです。
実際、伊藤氏からの攻撃を受けて、深沢の絶望と希死念慮は、相当に深刻なレベルにまで膨らんでいます。
わたしたちは、それを押しとどめるのに必死の数日を過ごしています。
言葉が人を殺しうるものだということを、激甚な痛みとともに実感しています。
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そのうえで、あらためて会として、ここに心からのお願いを申し上げます。
深沢の言い分の、どの点が「事実でない」のかを、さまざまな資料やご自身の記憶をたどっていただき、具体的にご指摘いただけないでしょうか?(もちろん、公開でなくとも構いません。)
もし、それが不可能ならば、伊藤氏の「すべてが事実でない」発言は、強度の有毒性をはらんだ、虚偽の情報とみなすほかはなくなります。
その場合はやはり、いかなる形になるのであれ、とにかく謝罪をいただくべきではないでしょうか。
(心からの謝罪がご無理ならば、形だけの謝罪であっても、ないよりはましです。)
そして、当該ツイート内容の撤回──削除ではなく──を、わたしたちは求めます。
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実名表示については、当会自身のうちにも、そして深沢のうちにも当然、大きな葛藤がありました。
深沢は、これまで何年間にもわたって、ホームページの場ではW氏以外の教員たちの実名を出さないよう、細心の注意を払ってきました。ときに怒りの気持ちにとらわれながらも、厖大な時間と労力を費やして、支援者らとともに文書類にはマスキング処理をしてきました。
にもかかわらず、深沢が教員たちの実名を出さざるをえなくなるほど追いつめられたその理由に、想像を及ばせていただけないでしょうか。
……ともあれ、今後の高裁のプロセスを考慮するなかで、判決文の公開に伴い、実名表示のツイートは削除することにしました。
正式に控訴の方針を決定したため、このあと、控訴理由書の作成に集中しなければならないことが、その第一の理由です。
そしてまた、これ以上、想定外のトラブルが生じることを避けなければならないのも、大きな理由の一つです。
ただでさえ、全員が無償労働で、いつも多くの作業を抱えている当団体に、判決日以降、毎日のように何かと事件が起こり、深沢もその家族もメンバーも、食事や睡眠もままならず、文字通り命がけの日々を過ごしてきたのでした。
あくまでも、わたしたち自身の身を守りながら、今後の活動を続けてまいります。
(支援者・会計担当)
※1
OB・OGによるデマについての詳細は、以下の深沢のツイートを参照ください。
・4/7 午前4:45
・4/8 午前8:59
※2
また、当初3月末に予定されていた判決日が、あと一週間をきったところで、突如、裁判所から、理由が説明されることもなく、「2週間延期にする」という連絡が入り、わたしたちは、メディアや支援者への連絡など、さまざまな手配をし直さなければならなくなったという事情もありました。
※3
4/9 午後4:45 深沢ツイートより引用
※4
津田大介氏については、ご本人からの指摘を受け、4/11 午後3:11、深沢が注釈のツイートを行いました。
※5
佐々木氏と深沢とは、2019年春〜2023年4月まで、対面でもメールでもSNS上でも、一切やりとりはありませんでした。裁判の協力・支援もしていただいていませんし、傍聴に来られたこともありません。しかし、判決の報道直後である4月6日の夜に、佐々木氏がTwitterで深沢の名前を挙げて、深沢を支援していることを示唆するかのような発言(以下ツイート)をされたことに対して、深沢が不信感を抱き、リプライをし、佐々木氏に説明を求めた(以下リプライ)ことで、5年ぶりに連絡がきた、という経緯があります。