みなさまより寄せられた声

 

◾︎ YNさん
 
何年も前のことで、当時はハラスメントだとは意識していなかったのですが、
男性の学生には、全員に高い評価(A評価)をつける、と言われている女性の先生がいました。
また逆にどんな内容のレポートを出しても簡単にAをつけてくれる、と言われている男性の教員もいたのですが
後でふと、そう言っていた友人たちが「外見的に優れている」特徴を持つ(平たく言うとかわいい)女性なのでは?とはたと気づいた瞬間がありました。
その先生方は英語の科目を担当している外国籍の教員で、欧米の方はそういうオープンな評価をするのだろうか、などと謎の肯定をしていました。証拠もないので何とも言えません。
また女性の外見の特徴について、「かわいい学生にAをつけている」というのは
「そう思っている自分の僻み」のようにとらえられかねないため、
友人にも誰にも言うことができず、モヤモヤしたまま今にいたります。

現在所属している組織においても、採用や異動、評価に関する人事権は男性にあることが多いので、女性は特に外見的な特徴や、所属部署の男性の好き嫌いで評価される傾向は、確実にあります。
ある意味世の中がそういうものなので、その大学での経験によって免疫がついた、ように
自分に言い聞かせているところはあります…。
このサイトに励まされています。微力ながら、応援しています。

 

◾︎ nkさん
 
参考になれば、と思いお送りしております。
いつもご発信に勇気づけられています。
様々な記事も、興味深く拝読しています。
 
以下は、私(女性・20代後半)が地方の大学の学部生時代に、所属ゼミの教授(男性・50代)から受けたハラスメントです。
私は人文学部の哲学系統に所属し、当時3年生でした。
今から6年以上前の記憶です。
 
当時私は向学心が強い学生で、様々な教授のオフィスアワーに出向いて話をすることに面白さを見出していました。
私がハラスメントを受けた教授もその一人で、ゼミの振り分けが決まる大学二年の末あたりから、何度か面談の機会を取り付けていました。
その過程で話す中で、「なんだか面白いね君」というような声掛けや、私を褒めるような言動をされていました。
当時の私にとっては、尊敬していた教授でしたし、”見いだされる”ことへの喜びを感じていたように思います。
 
私の研究対象は地方の郷土文化で、関心領域が近い彼のゼミに所属を決めました。
ゼミ所属が決定した後、ある時に教授から「今度二人で隣の県まで〇〇(郷土文化)を見に行かないか?」と誘われました。
 
車で3時間以上掛かる場所に教授の車で連れて行ってもらうことへの申し訳なさはありましたが、
電車ではとても行けない場所だったので、二つ返事で了承しました。
今思えば、二人で遠方に向かうことでハラスメントを受けるのでは、といった不安はとりわけ感じていなかったような気がします。
不安はあるにせよ、どちらかというと「頭のいい教授と二人で長時間話が続くだろうか」といった、自分の知識的な度量を不安視していました。
哲学科の教授が変なことはしないだろうという謎の確信と、断らないノリの良い生徒でいたい、という強迫観念、期待に答えて評価されたいという思いがあったと思います。
 
旅行の当日、早朝に駅で集合し、車で3時間ほどかけて到着した目的地を見回りました。
積極的に見回り話しかける私に教授は「君といると面白いものが見つかるなあ」と、私の観察眼を褒めるような言葉をかけてきました。
一瞬、鼻が高いような気持ちにもなったのですが、その直後にはっきりと「気まずいな」と感じました。
そこから「ちょっと(先生との関わり方は)気をつけたほうがいいのかな」という気持ちになっていきました。
 
その日のそれ以降のことについての知識は断片的なのですが、
強烈に覚えているのが明確なハラスメントのシーンです。
帰り道、夜の高速道路を走りながら、外に乱立するラブホテルを横目に、教授から「ここのどこかに入りたいなあ」と二度ほど、言われました。
「疲れたし休憩したい」というようなニュアンスでしたし、前を向いて独り言のような言い方でしたが、それでも十分な怖さでした。
強いショックを受け、「どういうこと?!いや、そういうことじゃないよね?」という戸惑いを感じたことははっきり覚えています。
その後自分がどんな返答をしたのか明確に覚えてはいませんが、「いや帰りましょう!」「もう遅いので!」「運転頑張ってくださいね〜」などと、なだめるような、おちゃらけた口調でなんとかはぐらかすような言葉掛けをしたような気もしますし、何も言えず、押し黙って、「はい…?」というような「意味がわかりません」というメッセージを必死に発した気もします。
 
どちらにせよ、怒ったり、強く制止したりという言い方はとてもできなかったです。空気を悪くしないように必死でした。
 
もう一つ覚えているのが、旅行中、その言葉を言われる前か後かのどちらかに、夕食を食べに蕎麦屋に入ったときの記憶です。
そこで、私が「なるべくこの人に冷たくしよう」と決意したことを覚えています。
相手がこれ以上私を気に入ってしまうとおかしなことをされる、という危機感が私の中に張り巡りつつあったのだと思います。
 
冷たいふるまいは抜群な効果があり、その日も無事解散となり、
その後も一定の距離感を強く意識したことで、
旅行に誘われることは一切なくなりました。
 
まさに自分も、教授からの支配の構造に巻き込まれていたのだと、今さらながら思います。拒否しなかったことを揚げ足取って「被害者のせいでもある」という言葉をよく耳にしますが、自分の事例をもってしても、いかにそういった指摘がナンセンスなのかを実感します。ハラスメントを理解していない一言だと思います。
 
その後1年間、彼のゼミ生として月1の発表を乗り切り、優秀な評価を得て卒業することになったのですが、ゼミ生としての一年間も、ずっとハラスメントが骨のようにひっかかり、彼のオフィスアワーにいかなくなり、個別で教授に研究のことを相談するということが一切不可能になりました。
 
”頑張りを見せるとつけこまれる”という妙な警戒心が植え付けられたのも、そのせいかもしれません。頑張ることにリスクがある教育の現場とは、一体なんなのだろうかと、憤るような気持ちです。
 
その後、より都市部にある、研究機関としてもより充実した環境がある大学院に進学できたことで、学問的な追求を諦めずにはすみました。ただ、学生が個人として尊重され、先生の気を引くなんていうことが求められない「健全」な環境を体験することでかえって、地方大学だからこそ温床となりがちなハラスメントの存在に気づきもしました。
 
というのも、当該のゼミの教授から私は事あるごとに「最近の大学は教授と学生の距離が遠くなって残念だ」「昔はゼミの時間を超過しても議論して終わりがけに飲み会もしていたのに」といったことを悲しげに言われていたからです。
これは全国共通の大学に対する価値観の変化があるからだと思います。
ただ特に地方の大学は、もちろん大学や学部ごとに差はあれ、学問に積極的な、いわば院進する生徒は(特に文学部では)かなり少数です。それに寂しさやフラストレーションを抱える教授は私見によればかなり多く、彼らが少数の向学心がある学生に依存する、というケースはしばしば見かけられました。
その中で、私は「自分は違う」と思われたかったのだと思います。同時に今思えば、相手はそういうようなことを言うことで「君は違うよね?」という圧力をかけていたのだと思います。
 
そう考えると、大学におけるハラスメントは、より大学の制度的な歴史とも地続きなのかもしれません。その構造の根幹も問いつつ、そういった構造から不利益を被る人が今すぐにでも、一人でもいなくなるよう、願ってやみません。

 

 

 


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