先日Xのスペースでおこなった看過しない会の「振り返り会」では、かなり具体的に名前を挙げて、複数の問題点について指摘を行いました。記憶の細部に多少の誤りがある可能性は否定できませんが、指摘されないままであれば問題が認識されず、改善にもつながらないと考え、発言しました。
こうやって具体的な人物名を挙げ、指摘するたびに、名誉毀損の心配が頭をよぎりますし、周囲からも心配されます。ですが、私の発言に異議がある場合、いきなり名誉毀損として法的対応をとるのではなく、まず対話の場を持つことが必要ではないでしょうか。現在、あまりにも容易に「名誉毀損」が持ち出される状況には違和感があります。意見があるのであれば、まずは対話を試みてほしいと思います。
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主要な教員の問題については、すでに陳述書や裁判書面において詳細に記録しています。また、それ以外の二次加害や対応の問題についても、これまで繰り返し指摘してきました。まずはそうした主要な問題が問題視されるべきであることは、いうまでもありません。
そのうえで最後に、これまで十分に言及できていなかった点として、トミヤマユキコ氏の言動に関する問題点について触れておきます。
これまで看過しない会の記事ではアルファベット表記を用いてきましたが、トミヤマユキコ氏については実名で記載しています。この点については迷いもありましたが、トミヤマユキコ氏自身が著書等において本件に関する言及を実名で行っていることもあり、今回あえて伏せる必要はないと判断しました。
前提として、トミヤマユキコ氏は当時助教という立場にあり、教授よりも弱い位置にいながら、学生に寄り添い、被害を減らそうと動いていた側面があったことは確かです。しかし、たとえ学生側に立つ意図があったとしても、その関わり方によっては被害者をさらに傷つけてしまう可能性があります。今後の再発防止のためにも、この点は指摘しておく必要があると考えます。これは個人攻撃ではなく、再発防止のための問題提起として受け止めていただきたいです。
セクシュアル・ハラスメント被害直後の、私とトミヤマユキコ氏とのやりとりについては、陳述書の以下の箇所に記載しています。
http://dontoverlookharassment.tokyo/2022/09/21/statement5/
また、トミヤマユキコ氏本人から、小島慶子氏による対談本『さよなら!ハラスメント』(晶文社、2019)を献本された際の違和感についても触れておきます。
・被害内容の共有について
トミヤマユキコ氏が、私の被害について他の学生に共有していたことについて、当時は「再発防止のための啓発」として受け入れていました。しかし、私自身に対して「この内容を共有してよいか」という意思確認がなされたことはありません。再発防止という目的であっても、本人の意思確認は不可欠であり、被害者の意向が最優先されるべきだと考えます。
・被害者以外の「傷つき」への言及
これまでも繰り返し指摘してきましたが、トミヤマユキコ氏からは「傷つくのは被害者だけではない」という趣旨の発言を、被害者本人である私に対して繰り返し伝えられました。具体的には、「(桃山商事の)清田くんは今傷ついています(※清田氏と懇意であるM氏が、私に二次加害をしたという事実を知って)」「松永先生は頑張っている。これでまだ批判されるのなら私なら泣く」といった、「周囲の人間だって大変だ」という内容です。こうした言葉は、結果として被害の深刻さを相対化し、当事者にさらなる負担を与えるものであり、やり取り自体が困難になる要因となりました。
・認識の変化について
陳述書にも記載した通り、トミヤマユキコ氏からは、Wによる過去のセクシュアル・ハラスメント事例や「不良枠」の存在について具体的に聞いていました。また、「クリーン」な教員とそうでない教員についても、名前を挙げて説明を受けていました。しかし、本書では「知らなかった」という趣旨に変化しており、その点に強い不信感を抱きました。このような認識の変化は、自らの責任を最小限にとどめるために主張が変えられたのではないか、という疑念につながるものでもありました。
2017年、M氏にセクハラを相談した際にも、「師匠の方? 弟子の方?」といった形で確認されるなど、このコースにおけるWおよびその周囲の問題は、コースや業界内で一定程度共有されていた可能性がうかがえます。
こうした点がより明確に立証されていれば、裁判においても構造的な問題がより強く認識され、異なる判断につながった可能性もあったのではないかと感じています。
・謝罪の扱いについて
本書では、トミヤマユキコ氏が私に謝罪した事実が強調されています。しかし、実際には謝罪されていない点も多く、また、自身の行為について十分な説明や検証がなされているとは感じられませんでした。
たとえば、
・被害内容の共有に関する事前確認がなかったこと
・私から被害を伝えた際の「ああいうバカは手のひらで転がしたらいい」という発言
・被害の存在を知っていたにもかかわらず、学会の飲み会の場でWと私が同席している状況に対して特段の配慮がなかったこと
これらについて、十分な説明や謝罪、あるいは自己検証がなされたとは、私には受け取れませんでした。そのため、本書における謝罪の強調と、実際の対応とのあいだに、認識のずれを感じています。
また、上記の事実に関して、書籍の出版前に私への事実確認や意図の確認が行われなかったことについても、指摘しておきます。
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本書自体には、大学におけるハラスメント防止に関する有用な情報も含まれているとは思います。
しかし、トミヤマユキコ氏および笙野頼子氏のエッセイを含む『蒼生 2019年号』を含め、全体として「自分たちも被害を受けた」「自分たちはこれだけ対応した」という実績の提示に重きが置かれ、現在進行形で救済やサポートを必要としている被害者本人への具体的な配慮や対応という観点が、十分に反映されていないように感じました。
また、こうした要因が重なるなかで、一次被害者の救済を優先すべきという観点が十分に共有されないまま、庄野氏を中心とした新たなヒエラルキー構造(「場の倫理」)が形成され、そのなかで当初の被害者であった私が疎外される状況が生まれたのではないかと考えています。
実際に、看過しない会の設立にあたっても、私の意図が尊重されるのではなく、笙野氏側(弁護人や他の教員)から「考え直す」ように説得されるという事態が生じました。
さらに、笙野氏の裁判への協力が私の裁判より優先されたことによって、私の裁判においては、「振り返り会」でも指摘したように、「みんなで頭を突き合わせて話し、それぞれが得た情報を共有し合うこと」によって見えてきたはずの、過去の被害や「不良枠」の実態、加害者を長年支えてきてしまった構造的な問題といった点が十分に明らかにされることはありませんでした。
それは、大学や文芸業界において、なぜハラスメントや性暴力が看過されてきたのかという事実の解明にもつながり得たはずの機会でしたが、結果としてそれは実現されないまま、裁判は終わることになったと考えています。
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また、上記の違和感について、周囲の人たちには何度も相談したことがありましたが、「トミヤマさんは味方なんだから」といなされることが多く、その積み重ねが大きな心労となっていたことを、いまとなっては思います。
トミヤマユキコ氏は、私にとって「支援者」であったとは考えていません。しかし、被害者を支援しよう・応援しようとする立場にある人間の言動が、無自覚のうちに被害者を傷つけることがあるという問題は、非常に深刻です。その点についても、広く認識される必要があると考えています。
トミヤマユキコ氏は現在、大学の准教授であり、手塚治虫賞の審査員を務めるなど、一定の影響力を持つ立場にあります。そのような立場にあるからこそ、これまでの言動に含まれていた問題点が検証され、今後同様の被害が繰り返されないことを強く望みます。
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以上、トミヤマユキコ氏の言動に問題があったことは指摘しましたが、問題を認識しながら行動しなかった人々の責任も、同様に重いものだと考えています。
問題を知りながら、それをなくすために行動してこなかった人たち、そして、私が声をあげた後になって「自分も知っていた」と語る人たちの存在は、この問題を支えてきた一因です。
もしそうした人たちが適切に行動していれば、私が経験した十年にわたる苦しみの一部は、避けられた可能性もあったのではないか。
その思いは、いまも消えることはありません。
※ 2026/4/3 一部修正しました。