大学でハラスメント被害にあったとしても、高い学費や奨学金の返済を抱え、経済的にも困窮している学生が声をあげることはなかなか難しい……。学生のそんな事情を考えるために、奨学金や学費の問題に長年身をもってとりくんできた政治学者・アナキズム研究者の栗原康さんと、日本の大学のうつりかわりや大学のありかたについておしゃべりしました。

 

栗原康さんプロフィール  
 
1979年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科・博士後期課程を満期退学。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。主な著書に『大杉栄伝——永遠のアナキズム』『村に火をつけ、白痴になれ——伊藤野枝伝』『死してなお踊れ——一遍上人伝』『はたらかないで、たらふく食べたい』『菊とギロチン——やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』など。趣味はビール、ドラマ観賞、詩吟。 

 

 

 *より詳しい年表はこちら

  

 

栗原さん、さいきん働きすぎ?

 

——わたしは3年前に栗原さんの『学生に賃金を』(2015)を読んで、また今回インタビューするにあたって改訂版の『奨学金なんかこわくない!』(2020)を読んだんですけれど……すごいマジメでした(笑)。

 

栗原 はい、マジメです(笑)。

 

——ちょうど『執念深い貧乏性』(2019)と並行して読んでたんで、「ケツの穴、ファック」とかいってる人がマジメに統計まとめてる、そのギャップがめっちゃおもしろかったです(笑)。

 最初の『学生に賃金を』は2015年に書かれていますよね。もともとの執筆のきっかけは、奨学金ブラックリスト化に反対して立ち上げられた「ブラックリストの会」の活動だったんですか?

 

栗原 『学生に賃金を』の出版は2015年ですけど、書いたのは2009年です。ちょうど奨学金のブラックリスト化がされたころでした。「3ヶ月返済を滞納したら、全国の金融機関に個人情報を通知しますよ」と。それをきいた瞬間にみんな切れてしまって。「なにが奨学金だ。ただの金貸しじゃないか!」って。

 

【奨学金のブラックリスト化問題】
 2008年、日本学生支援機構は、奨学金の返済を原則3カ月以上滞納した人の情報を、債務情報を管理する全国の銀行個人信用情報機関に提供すると発表した。ようするに、奨学金を返すのが3ヶ月おくれたら、そのひとの個人情報が全国の主要銀行含めた1400の金融機関にしらされるということ。いちど通報されたらそのひとはブラックリストにのせられ、今後クレジットカードをもてなくなったり、車や住宅のローンが組めなくなったりする。

 

栗原 それで考えてみたら「奨学金が借金っておかしいよね」という視点の本がなかったので、入門書を書いて出そうとしたんですけど、ぼくみたいな無名の人間が出そうとしても企画が通らないんです。当時は奨学金問題が社会問題として認知されていなかったから。大手出版社の編集者からヤなこといわれましたね。「こういうのは大学教授が書かないと説得力が出ないんですよ」とか。大学教授でカネがあったらこんな本、書かないんだけどね(笑)。

 

——お金持ちに「借りたものは返せない」とかいわれたほうが説得力ない気がしますけど。それで、2020年に改めてこの完全版を出すきっかけみたいのはあったんですか?

 

栗原 偶然です。在庫がちょうどなくなってきて、なおかつこの何年かで支援機構のシステムが少し変わったんですよね【→後述「ぜんぜん無償化じゃないからそれ」参照】。それで「ただ重版を出すだけじゃなくて、いま進められているカッコつきの「無償化」についてもちゃんと批判しませんか」と編集者の人がいってくれたので、タイトルも新しくして出しました。

 

——さいきん働きすぎじゃないですか?

 

栗原 はい(笑)。2、3年前に書きまくっていたら体力の限界を越えて帯状疱疹になって、水疱から血液がプシャアって噴きだして。それであんまり働かなくなっていったんですけどね。

 

——すごいペースで本書いてますよね。

 

栗原 労働は嫌ですけど、書きたいことを書きたいときに書くぶんには、いくらでも。ちなみに次の本のテーマは「サボる」です。

 

   

どうして日本の学費はこんなに高いの?——学生運動のたどった道

 

——わたしは今回告発する前にいろんなところに相談しにいったんですが、そのときに「まわりで黙ってる学生もみんな共犯だ」といわれることがあって、「さすがにそれは違うだろう」と思ったんです。大学院の在学中に、彼らがどんだけ奨学金や学費で苦しんでいるか見てきたし、わたしも彼らもカツカツの生活で米とか野菜とか分け合って生きてきたので、そういう経済的困窮をのりこえてなんとか文学の仕事をつかんでこの道で食べていこうとしているような人が、躊躇なく立ち上がれるかといえば、それはかなり難しい選択だろうなと思います。

 わたし自身、大学院在学中はTAの仕事でなんとか食いつないでいたので、2017年にセクハラを受けたあと、金銭的な理由からも学校をすぐに辞められるような余裕はなかった。なのに、なんにも事情知らないような人から「セクハラあったあとすぐ退学するほうが合理的だろ」みたいな指摘をされたりする。でも、そういう発言には、いまの学生がどういう生活をしているのかという視点がすっぽり抜け落ちているんじゃないかと感じます。

 というわけで、学生が必死に生活費を稼ぎながら告発するって大変なんだよと、経済的な観点もふまえたうえでハラスメントのことを考えていきたいなと思ってます。 

 

栗原 うん。

 

——まず、学費のことについてですが、そもそもなんで日本ではこんなに学費が異様に高いんでしょうか?

 

栗原 日本もはじめから高かったわけじゃないんですよね。1970年代のはじめまで、国公立は1万円代だったりしますからね。私立も3万円くらいかな。物価が違うとはいえ、いまとはレベルが違います。

  

 

じゃあ、なんで日本は学費が高くなったのか。ひとつは学生運動の力です。1970年代、ヨーロッパの学生運動は長期的にねばって大学無償化を勝ちとった。だけど日本ではできなかった。

 

  

栗原 あと日本とヨーロッパでは、資本主義についての考えかたが少し違いますよね。1970年代から、どこも「認知資本主義」になっていて、労働者には高度な先進知識が必要だと言われています。だけどヨーロッパは大学をタダにして、いま金儲けにつながるかどうかとは関係なく、ほんとに好き勝手に勉強をさせる。自由な知性を育成していく。どうぞ若者のみなさん、クリエイティブな活動をやっちゃってくださいと。そのうえで、金儲けにつながりそうな知識や人材を企業が活用していく。

 

——ふーん。

 

【認知資本主義】
認知資本とは人間の認知能力のことであり、知識や情報、情動、サービス、コミュニケーションなどを指す。身体のふるまいもイメージのひとつだと考えれば、およそ人間の生そのものが認知資本だということができる。認知資本主義では、世のなかのカネ儲けの最たる手段が人間の認知能力になっており、つまり日常的なあらゆるふるまいがカネ儲けに結び付けられることとなる。 

  

栗原 それと比べると、日本でははじめから企業の金儲けにつながる知識や、それを身につけた人材だけを育てようとします。だからこそ、大学は無償ではあってはいけない。大学はいま企業が必要としている知識を提供する。学生はその知識をつかって就職しカネを稼ぐ。有用な知識にカネを払う。だから大学に学費を納めるのはあたりまえだと。もっと有用な知識を、もっと高い学費を。

 

編集部 結論ありきで、はじめから人材を作るみたいな感じなんでしょうね。

 

 

「学生に賃金を」の弱点—— 役に立たない勉強にはカネを出さなくていい?

 

——栗原さんが本のタイトルにしてる「学生に賃金を」という言葉は、実際に60年代末にヨーロッパの学生運動のときにつかわれたスローガンなんですよね。もともとヨーロッパでは1960年代に労働者運動がさかんになって、60年代末に学生運動となっていったそうですが、どういう流れで労働者運動から学生運動につながっていったんですか?

 

栗原 もともと「家事労働に賃金を」というスローガンがあって、「主婦も労働してるのだからカネをだせ」と言っていたのと一緒で、学生も「知的な生産活動をやっているのだからカネだせよ」と。もちろん、これだけだと資本主義に取り込まれてしまいます。国や企業は「じゃあカネは出すから、うちらの役に立つことをやってくださいね」みたいになるから。

 

——その考え方ってベーシックインカムとは違うんですか?

 

栗原 人間は生きているだけで労働している、誰だってなにかしら物を考えているし、なんらかのケアもしているでしょうといえば、そうですよね。でもベーシックインカムには、いろいろ考えかたがあって、働いていようがいまいが、誰にでも生きていけるだけのカネをよこせともいえます。

 

 【ベーシックインカム(Basic Income)】
 立場や所得の違い・年齢・性別に関係なく、全ての人に対する所得保障として、一定金額の現金を支給するしくみ。「最低所得保障」とも。 

  

——そっちのほうがいいですよね。

 

栗原 「学生に賃金を」だけだと弱点があります。「この知的生産はこれだけ有用だからカネをよこせ」と言っていると、「役に立ってない研究にはカネ出さなくていい」となってしまう。特に、日本だとそういわれがちな気がするんですよね。

 

——文学部の弱体化なんかまさにそうですよね。マイナーな分野を軽視する傾向って、特に日本で強いんですか?

 

編集部 極端な気はしますけどね。特に日本とアメリカは、はじめから大学が有用性みたいなものを内面化している傾向はとくに顕著なんでしょうね。

 

——なんでなんだろう。

 

編集部 文化的な違いはあるでしょうね。ヨーロッパだとふつうに政治家が博士号持っていることが当たり前だったりするから、実際に役に立つということと教養というレベルがイコールだったりするんだけど、日本だとそこが切り離されている感じがありますよね。

 

  

なんで働かなくちゃいけないんすか?——ガチで反労働になること

  

——イギリスだと、2000年代にブレアが学費を値上げする法案をだしたら、方々から反対の声があがって抗議運動になったんですよね。でも、そういうNOの声って日本だとなかなかあげづらいなって感じます。

 

栗原 そうですね。イギリスだと学生が党本部に乗り込んでガラスとかバンバン割ったりしてますけど。

 

↑ ガラス割ってる

 

 【イギリスの学費値上げ反対運動】
 従来、イギリスでは機会均等の意識が強く、大学にいくのにお金はかからなかった。政府が授業料を給付型奨学金として支給していたので実質的に無償になっていたのだが、1998年からすこしずつ授業料の徴収をはじめ、2004年になるとブレア首相(当時)が、上限金額を3000ポンド(約63万円)と決めたうえで、各大学が自由に授業料を設定してよいという法案を通過させてしまった。この法律が施行された2006年から、9割ちかくの大学が授業料を最高金額の63万円に設定したことで、学生たちが抗議行動にとりかかり、議会では野党だけでなく与党でも100人以上の議員がブレアに異議をとなえた。結局、世論の後押しもあって、イギリスでは学費の無償化にむけておしかえすこととなった。 

 

栗原 日本の状況はもっとひどいけど自民党の本部に乗り込んでいってガラス割る、とはならないですね。でも、イギリスの学生たちと同じことをいっていいと思うし、むしろ直球っていうのかな。ヨーロッパだと労働概念を広くとらえて「カネよこせ」といっていたけど、日本にはその余地がない。カネはもらえない。どれだけ学生が勉強しても「労働」とはみなされない。だったらガチで「なんで働かなくちゃいけないんすか?」って(笑)。

 

——(笑)。

 

栗原 そうやってガチで反労働になれる

 

——そっか。労働力になる必要もないんだ。

 

栗原 働かないならカネ出すのおかしいでしょ、っていわれたら、「だから働きたくないんすよ」って(笑)。

 

——わたしは前まで、大学の学費が高いのってあたりまえのことだと受け入れちゃってたし、他の学生たちも、奨学金返さなきゃいけない、でもどうやって返そう、ってまじめに考えてましたけど、でもまずそこの前提から崩していっていいような気はしますね。

 

栗原 制度的に何もいわないでいると、ずっと学費高いままで、カネを取られれば取られるほど、生きること自体が負債になってしまう。「返すためにはこうしなきゃいけない」と思わされる。それが大学院とか、上にいくほど強いですよね。借りている奨学金の額も大きいし、その研究で食っていくことになるから、その前段階で教授と喧嘩して干されたりして、研究職の道が絶たれてしまうと「人生終わった」と思わされる。しかもカネを返さないことで、「道徳的に悪いことしてる」みたな。いまの大学院の状況はよくわからないですけど、きっと僕のころとそんなに変わっていないんじゃないかな。

  

↑「生きること自体が負債になっちゃう」=「生の負債」についてはこちらを読もう。

 

栗原 僕が大学院にいたのは2000年代前半。非常勤講師の数がグッと増えてきて、さらに「大学院重点化政策」の影響で院生ばっかりが増えてきたころです。

 

 【大学院重点化政策】
 ・1986年臨教審の第二次答申で「大学院の量的拡大」について示唆されてから、ゆっくりと院生の入学者数が増加していたところ、1991年に大学審議会がそれをさらにおしすすめて、2000年までに院生数を2倍にするという計画を打ち出した。じっさいこれら2つの答申をうけて院生数は激増。1985年の時点で7万人であった院生数が、2006年になると26万人をこえ、じつに4倍近くも増加することとなった。
  
 ・その結果、博士課程を出ても就職先がない人々があふれかえり、「ポスドク問題」「高学歴ワーキングプア」などの問題を引き起こすこととなった。一応、これらの問題を受けて1996年に「ポストドクター等1万人支援計画」がうちだされ、日本学術振興会の特別研究員制度ができたが、この恩恵にあずかれるのはほんの数%だけ。なれたとしても任期つき。根本解決にはほどとおい。 

 

栗原 だけど2000年代前半はまだハッピーで、ぼくが修士にあがったころ、かなり年上の先輩たちが「大学非常勤講師になったら年収300万くらいで食っていくことになるぞ」「年収300万だと死んじゃうかもしんねぇ」みたいなことをしゃべっているのを聞いたことがあります(笑)。

 

編集部 どういうことなのそれ(笑)。

 

——ブルジョワだよ(笑)。

 

栗原 いまからすると「年収300万も稼げんの!?」って(笑)。

 とにかく僕のいた時期は、そういう流れがあったから、みんな研究論文を必死に書いて、業績をあげて、学会に顔を出して、そこで交流して偉い先生に頭を下げて、学会や研究会、シンポジウムの事務仕事をやって……みたいなことを積極的にやろうとする学生がめちゃくちゃ多かった。

 

——みんな自分が生き抜くので必死でそうなっちゃいますよね。

  

 

「新しい教養」ってなに?——認知資本主義化まっしぐら

 

——ちょっとここまでの流れをざっと整理すると、日本の大学というのは、60年代末の学生運動をうけて、学生たちの不満はあくまで「質の高い教育」を受けられないことだと解釈しちゃったんですよね。学費も高くなっていくなかで、大学は高い授業料にみあった教育を提供しなくてはならなくなる。そのために日本の大学は、企業のやりかたをとりいれて、経済活動に役立つような知識を提供したり、学生の就職活動をあとおしすることに重点をおいた。それで80年代には、さっきの「大学院重点化政策」をふくめた「大学改革」がすすめられることになった、と。

 

  

——そのあと、90年代に入ると、改革をいっきにすすめるために、手始めとして1991年に大学審議会が「大学設置基準の大綱化」をおこなった。で、その後の流れをみると、この改革がけっこうネックになってるのかなって気がするんですが、これは何が問題だったんですか?

 

栗原 教育の内容を変えてくる感じですかね。だんだんと「教育を経済の役に立つようにしていきましょうよ」と。たとえば、語学は重視するけど、あくまで実用英語。

 

――TOEIC?

 

栗原 いまだとTOEICのテストでいい点が取れてないと進級できないという大学もありますよね。その分、第二外国語で難しい文献を読めても意味ないよね、みたいな。

 

編集部 フランス語ならまだしもアラビア語とかね。

 

——「第二外国語はアラビア語」とかいわれると「こいつぜったいおもしろいやつだな」って好感わきましたけどね(笑)。そういう語学の排除とか、あとあれか、理工系を重視する専門科目偏重にもなっていったんでしたっけ?

 

栗原 そうですね。

 

――そういう流れから「やっぱり文学部いらないじゃん」みたいな理論が発展していったんですか?

 

栗原 文化を構想しちゃいましたからね。

 

——(笑)。

 

↑ 文化を構想する学部(早稲田大学)

 

栗原 もともと、いくら資本主義でも「さすがに人間には経済の競争原理だけではやっていけない領域があるでしょう」と言われていて、教育や郵便、水道、電気、ガスなどは本来無償、そこまでできなくても低価格にして、誰でも利用できるようにしようと言われてきました。新自由主義はそれをぜんぶ資本の論理でやっていかせようとします。「人間生活のあらゆる領域で採算が取れるようにする」。その一環で、教育も金儲けできるようにしましょうと。それが認知資本主義と重なってくる。教育を知的商品としてとらえて、いかに金儲けできるか、採算をあげることができるか、というふうになっていく。大学の経営方針もそうなったし、教育内容もそうですよ

 

【新自由主義(ネオリベラリズム)】 
 蔑称ネオリベ。1980年代以降に世界的に大きな影響力をもつようになった経済思想。自由競争を通じて、国家による市場への介入を最小限にすべきとし、規制緩和や民営化といった政策を目指す。人々を過度に競争にかき立てるため、「生産性」の重視や「自己責任」論につながっていく。
 

 

——それが「新しい教養」ってやつですかね。ようするに「コミュニケーション能力」「情報処理能力」「問題解決能力」「自己管理能力」ってこと?

 

栗原 はい。

 

 

——あれかな。認知資本主義の普及ってネットの浸透とも関係ありますよね。

 

編集部 ホワイトカラーというか、オフィスワークっぽい人たちが増えたというのと並行して認知資本主義というのは進んでいるんでしょうね。工場の人たちは流れ作業をずっとやっていただけで認知的な作業はしなくてよかったところに、それがオフィスワークになってくると、朝「おはようございます」というところからカネにつながっていくわけですもんね。

 

栗原 毎朝、鏡をみながら笑顔の練習をしましょう、と。

 

――日常的なふるまいのレベルでも役立つように方向づけられちゃう、ってことですかね。そうなると、自分を売り込むためにやらされていることなのに、労働させられてるという自覚がないままつねに気を張っていることになりますよね。会社にいるときだけならまだしも、いまだとSNSだって労働の延長になってるだろうし、そうなってくるともっと自覚は薄れてるんじゃないかな。実際わたしの世代は、「他人に評価されなきゃ」というマインドがすでに身体化しちゃってる気がします。

 わたし自身は就活はしてなくって、友人たちがいっしょうけんめい就活しているのを横でみてただけなんですけど、たとえば、面接で落とされただけで自分の全人格を否定されているみたいに落ち込んだり、就職決まらなかった子が不登校みたいになっちゃったことがありました。数回しかあったこともないような企業の人に彼らのなにがわかるんだろうと思ってたんですけど、就活というものがそのひとの人間性をも評価しているかのような感じになっていったのは、認知資本主義になったというのが大きいんでしょうか?

 

栗原 認知的能力というのは知識や情報、イメージを操作することなんだけど、そこにはひとの表情や身ぶり手ぶり、声の大きさやトーン、あるいはしゃべり方も含まれますよね。それがすべて就活に動員される。まわりに認められなければと思わされる。クソですね。

 

 

  

→インタビュー② 学生にもっと自由を!——「業績」偏重と管理体制の強化

 

「栗原康さんインタビュー① ざっくり日本の大学史——学費増加から認知資本主義まで」に1件のコメントがあります

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