「業績」への焦りとハラスメント

  

——そういう流れがあって、大学で「業績」というのが重視されていくようになっていくんですね。

 わたしが院にいたときも、全体的に「業績」への焦りみたいなものがあった気がします。奨学金も「業績優秀者」は選考を勝ち抜けば返済免除されたりしますよね。だいたいみんなそれを狙っているわけだけど、TAのアルバイトをしたり、「雑誌に掲載されると業績になるよ」とか、なにが「業績」になるのかならないのかみたいな会話は日常的にありました。

 

↑ 日本学生支援機構HPより。 一見お得な制度に見えるかもしれないけれど、勝ち抜くためには当然同級生を蹴落とさなくてはならない。もともと「教育又は研究の職に係る返還免除」制度があって、一定の期間内に教育職につけば返還免除されていたのだが、日本育英法の廃止に伴ってその制度が廃止され、「特に優れた業績による返済免除」という限定的な免除制度となってしまった。             

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

編集部 いまだとそういう業績も電子化されていて、自分の履歴書を作るポータルサイトのようなものがあって、そこで「わたしはこういう論文を書きました」「○○学会で発表しました」みたいなことをガンガンアップしていくことが大学院生、という感じになっていますからね。そうやって電子化で共有されると、「あいつはあんなにやってるのにオレは……」みたいな話にもなるでしょうし。

 

——そうじゃなくても閉鎖的な大学院という環境で、競争が激しくなるとハラスメントも起きやすくなりますよね。支配というのは序列化を利用するものだし。栗原さんの大学院のゼミはどういう空気感でした? 

 

栗原 僕の指導教員は、学部時代の先生とは違ったんですけど、すごく旧泰然とした大学教授でした。そのころ、ぼくがいた政治学研究科もネオリベ改革の一環ですかね。研究科としての業績をあげることを重視しはじめる。だから学生たちにたくさん査読付き論文を書かせて、博論もどんどん出していこうよ、といわれていたんですけれど、僕の指導教員は「人生で一冊書ければいい」「博士論文は人生最後の一本のようなものだから」という人でした。その姿勢は別に嫌いではなかったんですけど、その代わり徒弟制度がありましたね。

 

——あーほんとに古いタイプの。

 

栗原 先生が書いたキタネエ手書きの文章を、院生たちにパソコンで打ち込ませたりしていて。しかも無償です。先生いわく。「命令してるんじゃないんですよ、オッホッホ」。

 

——いやーそれが権力だよ。

 

栗原 先輩たちはそれを真剣にやっていて、「こういうものはやるものなんですよ、栗原くん」とか言ってきて。「いたしません」みたいな。

 

——(笑)。

 

栗原 なんかね、理屈こねてくるんですよ。「先生の文章を写していると勉強になるから」とか(笑)。

 

——そういうふうに先輩から「勉強になるよ」とかいわれたら、わたしなら信じてやっちゃうかもしれないんですけど、栗原さんははじめから「やりたくないことはやらない」という姿勢がはっきりしていたんですか?

 

栗原 ぼくより一つ上の先輩で、そういう理不尽なことを言われたら直球でキレちゃう人がいたんですよね。だからぼくは楽で、一緒にアッカンベーしていただけです。

 

——同じように従わない人がいれば多少はやりやすいですね。

 

栗原 もちろん、そのあとは大変で先生に干されていく。よく嫌味を言われましたね。

 

——授業中にですか?

 

栗原 僕が授業に顔を出すと、最初の30分くらい僕の学部時代のゼミの先生の悪口をいうんですよ。研究の姿勢が違っただけなんだけど、「あんなの研究として認められませんよね、オッホッホ」って。それに院生たちがめっちゃ笑顔で頷く、みたいな。

 

——きついなその空気は。

 

栗原 そういう空気に耐えられなくて、大学院を出ちゃった先輩が何人かいました。

 

——ひと学年何人くらいいたんですか?

 

栗原 僕のときは少なかったかな。ひと学年3、4人くらい。博士課程に進んだときは2人とか。

 

——その先生ひとりで全員の指導を見ているんですよね。そこの空気に合わないと「逃げる」しか選択肢がないですよね。

  

 

徒弟制度かネオリベか——「人格的支配から解き放たれた公正な指導」

 

栗原 僕も僕っていうか。2000年代前半ってちょうど9.11があって、イラク戦争があった頃だったんで、もう授業には出なくて、だいたいデモに行って、ビラ書いて、奨学金は海外に行くのに使う、みたいなことをやったりしてたんで、おもしろい授業には出てたけど、博士課程にはいってからは研究指導には出なかったんですよね。

 だから博士課程入ってから、研究指導で「不可」を出されました。普通、そういうことはありえないみたいで、事務所のひとがなにかの間違えなんじゃないかと慌てていたのを覚えています。

 

——「不可」の理由は挙げられたんですか?

 

栗原 あ、授業に出てないから。事務所のひとに「出てなかったんですか?」って聞かれて、「はい」と(笑)。

 

——正直(笑)。

 

栗原 指導教員に単位をもらわないと「単位取得退学」にならないんです。中退になっちゃう。(※ 中退になると博論を提出する資格が得られなくなる)。だから、ほんと一年だけ研究指導に出てずっと無言ですごしました。

 

——特に大学院だと耐え忍ぶしかないですよね。

 

栗原 一応、その頃から研究科のなかでは改革は起こってて、「合同審査」みたいのができてましたね。

 

——合同審査?

 

栗原 ひとりの先生について研究指導を受けていると、そこに人格的な支配が生まれてしまう。だから他の研究室の先生たちにも指導の場をひらこうと。「人格的支配から解き放たれた公正な指導」を、みたいな。でも、それがいいかというとまた別なんですよね。ネオリベです。いかに「業績」を出しやすくするのか。

 

——パワハラ、アカハラ概念が普及したのもその辺の2000年代ですよね。合同審査というのは、ハラスメント対策というよりは、「業績」を重視してつくられた感じ?

 

栗原 たぶん同時に出てきてると思う。でも、そもそも「公正さってなに?」っていうはなしですよね。結局、自分の指導教員が他の教員を説得してくれれば、だいたい博論審査を通せるわけで。それが「公正さ」と言われているのだとしたら、人格的支配と業績の両方がくっついちゃってる気がします。

 

 

居場所を複数つくること

 

——栗原さんがそういうふうに大学院で教授からネチネチやられてたのって、けっこう心理的にキツイような気がするんですけど、それに耐えられたというのは、やっぱり先輩の存在だったり、他に逃げ場あったから、というのはあるんでしょうか?

 

栗原 あ、それはめちゃくちゃあったと思いますね。

 

——勉強会とかやってたんですか?

 

栗原 あと当時は、反グローバリゼーション運動に参加してみたらおもしろくてしょうがなくて、そっちにバーっていってたから、途中から先生のことすら忘れてましたね(笑)。

 

編集部 居場所が複数あったというのはデカいかもしれないですね。

 

栗原 考えてみると、学部生のころから授業で勉強していたわけではなかった。サークルで勉強会をやってて、そのメンバーと一冊の本を何ヶ月もかけて、ああかなこうかな、っていってるほうが身になっておもしろかったし、そもそも大学はそういうものだったのかなとも思います。制度的に用意されたものがどうこうではなくて、そのつど知りあった友人たちとおもしろそうなことをやっていく

 

——大学のいちばんたのしいとこってそこですよね。

 

栗原 ……といっても、「勉強する場がほかにあったから(教員の嫌がらせに)耐えられた」という感じでもないかな。ほんとに指導教員の存在を忘れてた。

 

——わたしの場合は「耐えられた」というニュアンスが強いかもしれないけれど、セクハラを受けたあとでも、W氏が学校にこないときに、助手さんに頼んで空き教室を使わせてもらって、詩の自主ゼミをやってました。同人誌をやったり、学外でも勉強会を開いたり、そういう別の場所があったのでなんとか生き延びられたなあ、という気がします。

 それに、授業のほかに場所があれば、「あの教員うぜえ」とか友達としゃべって鬱憤を張らせるかもしれないし、ハラスメントに困ってるときでも、学校の公式の窓口にいくっていうのは結構ハードルが高いけれど、自由に話せる場があれば、もうちょっと気軽に誰かに相談できるかもしれない。自由に話せる場がなければ、他にも被害者がいるかどうかなかなかわからないし、そうなると被害者同士の連携も難しいわけですよね。立場的に弱くなりがちな学生がいくつものパイプをもてるようにしておくことって、ハラスメントを防ぐ上でもけっこう重要なことなんじゃないかな。

栗原 なるほど。

 

 

「クレーマー学生」の背景にあるもの——大学の管理体制の強化

 

——わたしが入学前に半年傍聴していたとき(2015年)は、自由につかえるたまり場のような部屋があったんです。誰でも入ってよくて、他の論系の院生とか学部生もくるし、見学にくる外部の人もいる。助手とか助教が常駐していて、質問したり、お菓子食べたり。本も気軽に借りれたし。わたしはまだ正規の学生ではなかったから、図書館も入れないし、自習室も入れないのでしょっちゅうその部屋にいってお茶してた。

 で、そこで得た情報とか人間関係が、結局いまでもいちばん役に立ってるんですよね。そこでたまたま出会った人と「同人誌やんない?」ってなったり、一緒にyoutubeみたり。いろいろなレベルでの交流があって、「こんなおもしろいことあったんだ!」っていう発見があって楽しかった。でも、わたしが入学した2016年から、そこに学生がたまることを指導教員に禁止されてしまいました。

 

編集部 なぜ?

 

——「院生がたまることで勉強時間が減り、修士論文のできが悪くなるから」というような理由をいわれたりはしたんですが、真偽はわかりません。というのも指導教員は自分の私用にはしょっちゅう学生を呼び出してたから。

 その後、隣の部屋に院生室ができたので使えはしたんだけど、そっちは院生しかいないから、前より他の人との交流が多くはなくなってしまったし、のんきにわいわい遊べなくなってしまった。もちろんそういうノリが苦手な子もいたとは思うんだけど、でも、たとえばわたしは黙々と裁縫してることすら指導教員から怒られて、勉強する以外で大学にいることがいけないことみたいになった。

 

栗原 スペースは大事ですよね。僕らのときは「院生部屋」というのがあって、完全にフリーだったから、そこにいくと院生がだれか一人はいて、ずーっとタバコ吸ってると、暇すぎて、暇すぎて、人見知りの僕が話しかける(笑)。いまではもうその院生部屋も潰されてしまったみたいですけど。

  

編集部 オレの大学院の頃(2000年代後半)もそういう部屋があったけど、そこに対する介入みたいなことがされたなあ。まあ、だらだらしすぎっていうのは一方であるんだけど、それによって窮屈になる感じは明らかにあった。

  

栗原 大学側は意図的に潰しにかかったんでしょうね。

 

編集部 そういう時期だったかもしれないですしね。

 

 【大学の管理体制の強化】
 1990年代初頭から大学の認知資本主義化がいっきにすすめられたことで、多くの大学が「魅力ある大学」を自称し、校舎の新築化のために古い建物をとりこわしてあたらしい巨大なビルを建てるようになった。それまで大学にあふれていたビラや立看板に代表されるような学生の自由は大学当局から敵視されるようになり、サークルスペースの封鎖、学生寮の撤去などが学生側への相談なく次々と行われたほか、監視カメラの設置、カードキーでの部屋の入退室記録などにより、学生の自主活動が大きく規制されることになった。  

  

——理由なくふらっと立ち寄れる安全地帯みたいなところを確保できると、きっと息抜きができるんでしょうね。それが見つからない人は、授業出て帰るだけ、みたいになってっちゃいますよね。

 

栗原 サークル部室ですよね。ぼくが学生のころは、それが建物の下にあったから息抜きの場ってけっこうあったんですよね。授業のあいまにはウダウダしたり、お昼をとったり。いまの学部生って部室が新学生会館だから、そういう空間ってないですよね。

 

編集部 学食にたまるというのは、またニュアンスが違いますからね。

 

栗原 違いますね。

 

——栗原さんは本のなかで「クレーマー学生」のことを書いてますよね。近年、教員に過剰な要求をする学生が増えているわけですが、「学生たちの過剰なクレームの根っこにあるのは、強い知的欲求なんじゃないか」と分析しててなるほどなって思いました。今の学生は学費や生活費もきつい。それにサークルや自治寮は縮小してて、表現する場所がなくなってきている。そうなると目に見える知的回路が授業しかないわけで、「ものたりない」という気持ちが授業にたいして過剰にぶつけられてもけっして不思議ではない、と。

 でもたしかにそうなんですよね。セクハラについては理解のある人からも、ネグレクトについては「自分の頃は休講になったら喜んでたけどな」といわれてしまったりすることもあるんですが、でも、それはきっと授業だけの問題じゃないんですよね。学生は空き教室も自由に使えない。いたるところに監視カメラがあって、出席も管理されてて、それで教員が毎回30、40分大遅刻してきたら「ふざけんなよ」ってなる。学生側はたまり場を奪われてるのに教授たちには研究室があるわけだし、それでいてなんかやたらと学生の表現活動には規制をかけてくる。そりゃ学生の怒りも爆発するよな、という気がしますね。

 

栗原 「なんで教員だけ自由にやってんの?」ってなってくるでしょうからね。

 

——わたしも学部の頃は、教員が30分遅れてこようがまったく気になりませんでした。大学院と学部だと閉塞感が違うというのもあるだろうけど、わたしは学部時代に通っていた大学では、学生たちのたまり場があったし、古い校舎が残ってて、そこでご飯食べたり、昼寝したり、楽器弾いたり、誰の目も気にせず自由に使えて息抜きできる場所があったのも大きいと思う。

  

栗原 ぼくもしょっちゅう映画の上映会とかやってましたね。

 

——いいなあ。それとすぐに警備員が回ってくるんですよね。なにもせずにぼーっとゆっくり寛げるところがあんまりなかったなあ。

 

栗原 たしかに空き教室使えなくなったのが2001年かもしれない。それまではいくらでも勝手に使えました。いまって教室に鍵かけますよね。

 

——うん。鍵借りるにしてもいちいち事務所で手続きしなきゃいけなかったし、返すの数分遅れただけでもめっちゃ怒られました。

 学生が不満を爆発させると、「最近の学生はこんなにクレーマー化してる」みたいな表層だけ捉えられがちだけど、もっと掘り下げる必要があると思います。だから、「いまの学生の意識がとりわけ敏感になってきた」みたいに時代の問題だけに還元できるような話ではないんじゃないかな。

 

編集部 制度的な問題ですよね。

  

 

学生の自由があったから、教員の自由があったんだ!

 

——ただ、「古き良き大学」みたいな言説って、加害者側の教員にもけっこう用いられたりするんですよね。「むかしはもっと大学は自由な空間だったのに、ハラスメントハラスメントとうるさくてすっかり窮屈になってしまった」とか。

 

編集部 ある程度の世代にもよるだろうけれど、「自分らの頃は外で勉強したから、授業というものは適当でいいんだ」という人も一定数いるような気がしますね。

 

栗原 良くも悪くも、「なんでこんなに休講多いんだろう?」みたいな授業もあった。

 

編集部 あきらかに教員がやる気ない授業とかね。そういうのを見て「こんなのもいるんだ」と思って、それはそれでおもしろいなと思う部分もあるんだけど、そんなんばっかりになっちゃったらね。

 

栗原 教える気がないんじゃなくて、この人はほんとにオタクで(笑)、研究は大好きなんだろうけど、喋るのが下手で、ずーっと下向いてぶつぶつぶつぶついってる先生とかもけっこういてね。「もうちょっと声張れや」くらいは思いましたけど(笑)。でも、なんかそういうのが許されなくなって、教育はサービス業なんだからと言われたり、そのあと「カネ返せ」とかいうはなしになっちゃうと「教育は商品ですか?」って思う。

 

——問題はそこだけじゃない気がしますよね。「授業ちゃんとやりましょう」ってきまりをつくって、それを守ったら全部解決するようなものではなくて、大学全体で学生がもっといろんなところに居場所をもてるようにしておくこととか、いろんな場で学生が表現できる自由とかも含めて、考えていかなきゃいけないんじゃないかな。

 

編集部 そこがベーシックな本質で、それがあったうえで、という気がしますね。

 

――言葉のアカハラやパワハラに対しても、大学は学生に対してはタテカン禁止だとか表現を規制しているのに、教授の授業内の暴言は「表現の自由」といって正当化する。そういう矛盾に対する怒りというのもあります。

 

栗原 いま話してて発見だったのは、学生の自由があったから、教員の自由があったんだって。それは逆じゃないんだってことは強調しておいてもいいのかもしれないっすね。

 

——そうですね。「古き良き」みたいな教員像とかって、学生に対してもそういう「遊び」の余地があったからこそ許されていたのかもしれない。

 ハラスメント対策を考えていくときに、「研修体制を整えましょう」とか「ハラスメントについて正しい知識を身につけましょう」とかいう次元のはなしももちろん大切だとは思うだけど、でもそうやって「みんなちゃんとしましょうね」と制度を整えていけばいくほど、大学の管理が強まる方向にいってしまって、もしかしたら学生の「遊び」がさらに奪われてしまう恐れもあるのかなという気がしているんです。

 だから、「大学がちゃんとする」という動きだけではなくて、学生に自治権をもたせるというか、学生がもっと自由にふるまえるようにする、という方向に動くことも大事なんじゃないかな。

 

栗原 うーん。自治、だいじ。

 

 

 

 →インタビュー③ 奨学金が返せない!――借金しかない日本の奨学金制度

  

 

「栗原康さんインタビュー② 学生にもっと自由を!——「業績」偏重と管理体制の強化」に1件のコメントがあります

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