以下のメールは、2022年の4月に、原告A /深沢レナとその支援者である同級生Cが、現代文芸コースの教員2名に対し、陳述書の提出をお願いしたものです。

 

メール本文にあるように、本件裁判で大きな争点の一つとなっている入試選考の経緯については、元学生であった深沢や同級生らの立場では調べることが不可能であり、教員であったW氏や、すべての入試の内部状況を把握している早稲田大学と比べ、情報量に大きな偏りがあるためです。しかしながら、現代文芸コースの教員2名からは、具体的な理由の説明がされることもなく、断られる結果となりました。現在に至るまで、現代文芸コースからは、協力も得られず、本件ハラスメントとその対応の誤りについて正式な謝罪も行われていないままです。

 

学生が教員からハラスメントを受けた場合に、いかに情報収集が困難であるか、「場」の非対称性こそが問題の背景にもあるにもかかわらず、そこにフラットなフィールドがあるかのようなイメージに引き戻してしまうことが、いかに暴力的なものになりうるか。「公平中立」であるとされる裁判の裏側にはどのような現実があるのか。その参考になればと思い、教員2名に送ったメールとその返事を公開します。

  

 

  

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2022年4月24日22:29

件名:深沢レナの裁判の件について

 

H先生

P先生

 

こんにちは、現代文芸コース2016年度入学の深沢・Cです。

この手紙を出さないといけないことを大変心苦しく思います。

現在、深沢がWと早稲田大学に対して行っている裁判の、すべての証拠の提出期限が五月末までとなっています。これまで、裁判の中で、入試選考の経緯については大きな争点となってきましたが、いまだその実情は明らかになっていません。大学が検証を怠り、その場にいたはずの人々が沈黙を続けているからです。

先生方には、入試選考の経緯を明らかにする陳述書を書いていただきたいと考えています。具体的には、創作を志望していた深沢の指導教員が批評家のWとなったこと(また、Wの指導を希望していたBさんを跳ね除けてまでそれが行われたこと)について、決定の経緯と、誰が主導したものかを納得できるように説明してください。

昨年、現代文芸コース教員の████さんと深沢が個人的にやりとりした際に、学生が不当な扱いを受けないよう、コースの体制の変革が行われているとお聞きしました。そのことは素直に喜ばしく思います。しかし、未来の被害の予防とは裏腹に、過去のそれについてはないがしろにされていると、わたしたちは感じています。

████さんから、先生方は「深沢さんとともに戦っていると思っている」と伝え聞きました。しかし、正直にいって、わたしたちは先生方とともに戦っているとは思えません。本当にわたしたちとともに戦う意志があるのなら、裁判に具体的に貢献していただきたいです。

被害を受けて以来何年も、深沢は二次被害を受け続け、加害者や大学の誠意のない対応に毎回心折れそうになりながらも、それでも事実を明らかにすることで、再発防止にも繋がればと、力を尽くしています。また、深沢を支え、裁判に協力する人たちも存在しています。

しかし残念ながら、一学生にすぎなかったわたしたちや、当時部外者であった協力者たちの力は、裁判という場において十分とは言えません。わたしたちの立証できる事実は限られています。

入試選考の際もその場にいた先生方には、裁判で事実を立証することが可能なはずです。わたしたちを助ける力があるはずなのに、そうしてもらえていないように感じます。

先生方の「ともに戦っている」という言葉は、まるでコロシアムで巨人と戦う剣闘士に、観客席から投げかけられるものでしかないように感じています。そうであるにも関わらず、まるで自分たちも一緒に苦しみ、傷ついているような言い方はしないでほしいです。巨人に潰されていく個人を、助ける力のある人が遠くからただ眺めていることは、「戦っている」とはいえないのではないでしょうか。

また、『蒼生』2019年号に掲載された文章についての、I氏・K氏と笙野頼子さんの裁判について、先生方が「笙野さんを支える会」を立ち上げ、活動しているとお聞きしました。そのことを知ったときの気持ちを率直に言えば、ものすごく傷つき、見捨てられたように感じました。笙野さんを支援することを否定するわけではありません。しかし、立ち上げの声明文に書いてあったとされる「膨大な時間と費用を余儀なくされ」ているのは、笙野さんだけではありません。

声明文では笙野さんの負担が強調されていますが、しかしこういった裁判が、名のあり、キャリアもある文学者である笙野さんでさえ支援を必要とするほどの負担であるならば、大学という巨大な組織と戦う名もなきわたしたちにとって負担がどれほど重いか、それが長期にわたりどれほど生活を破壊しているか、想像したことはありますか?

また、笙野さんの裁判は、先生方が発行を許可した雑誌に掲載された文章についてのものです。その裁判と、わたしたちの裁判への対応の温度差は、先生たちは、もしかすると保身にしか関心がないのでは、と疑ってしまいます。

告発し、先生方に事情を伝えた当初は、ともに戦ってくれる味方だと信じていました。Wの悪事を知りながら許容し、加担してきたI氏やM氏とは違う、学生思いの、虐げられる人々の側に立ってくれる教員であり、人間だと思っていました。しかし今では、先生方も彼らと変わらないのではないかという疑念を拭い去ることができません。

わたしたちがいなくなった後の現代文芸コースについて伝え聞く変化は、たしかに良いことだと思います。しかし、過去の被害を十分に検証することなしに、真に未来の被害を予防することはできないのではないでしょうか。それを怠っている人のことも、そういった人たちが行う変革のことも、心から信頼することはできません。

いまのわたしたちは、深沢の件だけでなく、その以前も以後も存在した大学での加害について知っています。その情報は、すべてわたしたち自身が必死にかき集めたものです。

また告発のあと、一連の報道を知って動揺した卒業生たちへの説明や、卒業生の間で生じた亀裂を埋める作業は、すべて深沢が行いました。コースから、本来あるべき説明の機会があれば、それは不要な負担でした。

深沢は、H先生に詩集の出版をすすめてもらったことも、栞文を書いてもらったことも、嬉しく思っていましたし、文学者として、教員として尊敬の念を抱いてきました。また、普段から親身に接してくださり、文学の世界で助けとなってくれる方々を紹介してくださったP先生にも感謝していました。Cもまた、文学といえば短歌しか知らなかった自分を辛抱強く指導し、多くのものに与えてくださった先生方に深く感謝していました。

告発後、取材などで、「大学院に入ったことを後悔しているか」と幾度も問われましたが、そのたびに「後悔はしていない」と答えてきました。Wに加担する教員たちや、大学という組織にないがしろにされる日々の中でも、そこで学んだことや、知り合った良くしてくれる人たちのことを考え、現代文芸コースを選んだことは間違いではなかったと信じようとしてきました。

しかし今では、そう信じようとするのも限界にきています。今回のお願いも聞き入れていただけず、最後までわたしたちを見捨てぬくのであれば、失望は決定的なものになります。あのコースにいたことを恥だと思います。

先生方が教えてくださり、現代文芸コースという場で尊ばれていた「文学」とは一体何なのでしょうか? 自分たちの教え子を助けることができない、その力を持ちながら、それをしようともしない人たちの為す文学というものに何の価値があるのか、わたしたちにはもう分かりません。

わたしたちと本当に「ともに戦う」意志があるのであれば、行動で示してください。入試選考の経緯についての陳述書を書いてください。そのつもりがあるのならば、陳述書の形式について説明の機会を設けるので、すぐにCに返信してください。提出期限は五月末ですが、手続きに要する時間を考えると、猶予は多くありません。

お二人がわたしたちの尊敬できる人であってくれることを願っています。

 

 

深沢レナ

同級生C

 

 

 

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以下は、それに対するH氏・P氏からの返答です。

  

 

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2022年4月30日14:40

件名:Re:深沢レナの裁判の件について


深沢レナ様

C様

 

メール拝見しました。回答が遅れて申し訳ありません。

慎重に検討しましたが、今回の件については、残念ながらお役には立てないと思います。これまでどおり、それぞれの場で最善の結果がもたらされるよう、頑張っていくしかありません。とにかくすべてがよい方向に進むことを、強く願っています。

 

H

P