キャンパス・ハラスメント問題、女性の労働問題、貧困問題、動物福祉etc…。そこに問題があるのはわかっちゃいるんだけど、どうして運動ってなかなか進まないんだろう? それって実は、運動内の人間関係がうまくいかないことが大きな原因なのでは? 

 ホームレスやフリーター、女性の貧困・労働問題など多くの運動に携わり、運動内での差別も身を以て体験してきた栗田隆子さんと、スイーツしながらのんびりお話ししました。

(聞き手 深沢レナ)

栗田隆子さんプロフィール
 
1973年生まれ。大阪大学大学院で哲学を学び、シモーヌ・ヴェイユを研究。その後、非常勤職や派遣社員などのかたわら、女性の貧困問題や労働問題を中心に新聞・雑誌等で発言。著書に『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社、2019年)、『呻きから始まる——祈りと行動に関する24の手紙』(新教出版社、2022年)、共著に『高学歴女子の貧困——女子は学歴で「幸せ」になれるか?』(光文社新書、2014年)など。
おおざっぱな年表
 
2002年 大阪大学大学院博士課程を中退
     寄せ場での支援活動に関わるようになる
2007年 雑誌『フリーターズフリー』の編集委員に。
2008年 「女性と貧困ネットワーク」呼びかけ人となる。
2010年 『フリーターズフリー』の他の編集委員からテクスチュアル・ハラスメントを受ける。
2014年〜2017年 「働く女性の全国センター」(ACW2)代表。

※このインタビューは2022年8月に行ったものです。9月に本件裁判の尋問があり、その負担で公開が大幅に遅れました。なお、栗田さんによる尋問傍聴記はこちらから読めます。

  

    

「社会問題」の解決の遅れは運動内の人間関係のせい?

   

栗田 「大学のハラスメントを看過しない会」のウェブサイトのインタビューを読んだけど、男女でトークの熱量が違わない?

 

——違いますね。女性はお二人とも事前に全ての記事に目を通しておいてくれていました。

(※ 男性…第一回:柴田元幸さん、第二回:栗原康さん、第三回:森元斎さん

  女性…第四回:川口晴美さん、第五回:北村紗衣さん)

 

栗田 申し訳ないけど、男性の方は「あなたにとっては他人事なんだね?」というのが伝わってきちゃう。女性の方は、考え方が人によっては違ってても、他人事じゃないという熱に満ちている。この差だよね。この差が連綿と、森崎和枝と谷川雁の時代とか、それ以前から言葉いっぱい使える男がいて、で、その言葉に合わせるように女が言葉を使わさせられるように続いている。もう勘弁してくださいよ、っていう。

   

【森崎和江と谷川雁】
森崎和江(1927-2022)は詩人で思想家。1958年、森崎は二人の子どもを連れて、詩人でオーガナイザーの谷川雁(1923-1995)とともに福岡の炭鉱地帯へ転居し、文芸誌『サークル村』を創刊。その約一年後には、女性の交流誌『無名通信』を創刊した。

   

——正直そうなんですよねー。なんか男性達からは、谷川雁しかり、難しい言葉で書かれたものをお勧めされたりするし、「こういうのも読んだほうがいいよ」みたいなこと言われること多いんですけど、「じゃあわたしが書いたものや、わたしの好きなものを、あなたたち読みますか?」といったら、向こうは読まない。この非対称性って何だろう?って。

   

栗田 「お前、多様性という言葉を知らんのか? 語り方だっていろいろなんだぞ」って思う。さっき話した谷川雁がマッチョという問題が、谷川雁の個人だけの問題じゃなくて左派とかいまだと「リベラル」などの立場に延々と変わっていないことをまず抑えたい。

   

——こちらは向こうのいってることを頑張って理解しようとしてるのに、こちらの言葉には耳を傾けられない構図って、裁判でいくらわたしがハラスメントの資料を提出しても、加害者側はまったく読んでいないんじゃないか?というくらい話が噛み合わないのと、実は同じなんじゃないかと思って。そういう“相手にしてもらえない感”を、運動をやっていく仲間間でも強く感じるようになって。

 第4回の川口晴美さんとのインタビューの際に、栗田さんの『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社、2019年)(以下、『ぼそぼそ声』)を紹介したのですが、この本の中で栗田さんは「むしろ運動の中の人間関係がうまくいかないからこそ、いわゆる「社会問題」の解決も遅れているのではないか?」と問題提起されていますよね。

 

↑『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社、2019)

   

——栗田さんは『フリーターズフリー』という雑誌で編集委員もやられてましたが、そこで運動内ハラスメントにあったことも『ぼそぼそ声』で書かれています。そのことも含め、今回はぜひ栗田さんに、運動内の人間関係についてお話しを聞きたいと思い、今回はお声掛けしました。

『フリーターズフリー』の2号かな、栗田さんがかなり個人的なことを書かれていたじゃないですか。ああいう生々しい文章があの雑誌に入っているのは画期的だと思ったんですけど。

 

↑フリーターズフリー編『フリーターズフリー 02号』(人文書院、2008)

 

栗田 でもあまり注目はされていなくて(笑)。自分としては結構いろいろ書いたつもりなんだけど、スルーされてしまったのか、あまり読まれなかった。

——わたしは『フリーターズフリー』のなかでは栗田さんの文章と生田武志さんの文章が好きです。栗田さんの文章は、ゆっくり、立ち止まりながら書かれているような、自分が「正しく」ならないようなスピード感というか、ぼそぼそ感があって。

    

栗田 ありがとう。まずわたしの問題だからね。生田さん以外の男性とは完全に分断しちゃったから。

 その頃までは彼らとわたしは話をしてたとこっちは思っていたはずなのに、いきなり違う雑誌の最終巻の号に、一緒にフリーターズフリーをやっていた人が私を含めた自分のまわりの人間を批判しだすような対談を始めた。しかもわたしへの批判は「なんとなく嫌だ」という批判の体をなしてないただの悪口なの(笑)。

 当時それをわざわざ購入してまで読んだらそんなことが書かれててびっくりした。そんなに思うことがあったなら直接いってくれよ、と思ったし、なんでいきなり公の雑誌で言われなきゃいけないんだ?といって怒ったんですよ。でも「内輪だからいいと思った」とか「栗田さんは何にもわかってないんだ」と言われて。今思えばそれは一種のハラスメントだと思うけど、そのあとはこっちも激怒したので、大喧嘩になったという経緯があります。

 ただ、フリーターズフリーを出す前に、わたしにも前史があって、今日はそれをお話ししようと思います。

   

   

「野宿で石も投げなきゃ声もかけない」——運動内での性差別

   

栗田 かつてわたしは神奈川に住んでいて、大学院終わったあとは大阪にいたんだけど、今思えば、大学の中でも「あれハラスメントじゃないの?」と思うこと結構あったわけ。

 

——阪大でしたっけ?

    

栗田 阪大。臨床哲学というコースにいたんだけど、鷲田清一が提唱し出したコースで社会の臨床の現場に出て、哲学者が現場とともに、苦しんでいる人のそばにいるというコンセプトだったの。

 当時は特に、国立も独立行政法人になる前で、良くも悪くもアカデミックっぽかった。今は大学教授は予算をとるのに必死で象牙の塔にこもってる感じではないじゃん?(苦笑)。当時はそういう状況ではなくて、阪大などにいるとそこそこ特権階級にいる感じでわたしの場合は「こんなところで社会を変えられるわけない」って思って、それであとさき考えず飛び出した(笑)。

 だけど、今思うと——わたしの大学時代と今の大学時代を比べていいかわからないけど——なにか“閉じている感じ”というのは以前からあった。“閉じてる”ってどういうことなのか考えると、その世界の中だけでの評価とか、ヒエラルキーが存在して、教室内のいじめみたいなもんで、「あの人に気に入られたら終わり」とか「終わりじゃない」とかなってしまう。世界は広いはずなのに、少人数の評価とか上下ですべてがきまっていっちゃうように動く空間というのが、やっぱりハラスメントの温床にはなるよね。

    

——どこかに認められるとか、どこかに中心というか権力ができちゃうと、弱い立場にある人のことより、そっちへの配慮が優先されちゃいますよね。

    

栗田 そこには、社会の他のいろんな側面が見えづらくなり、そこにいる数人だけしか見えないような空気があるなと、当時思った。わたしはハラスメントという言葉でその事態を考えていなかったけれど「こんなんじゃ社会変えられるわけない」っていう方向にでちゃった(笑)。

 でも、その社会に出たら出たで、社会も端的に世間の寄せ集めで、ちっちゃい「ムラ」がただいっぱいあるだけという現実にぶつかった。今日は、どんなムラをわたしが経験したか話しますね。

   

——ぜひぜひ。

   

栗田 大学院をふわっとやめて、研究者にならずふつうに仕事するので、事務の仕事などないかと探したタイミングがまさに超氷河期で、そんな事務の仕事の正社員なんて存在してなかった。「やべーっ!」と思っても派遣の仕事しかなかったから「わたしは今後絶対貧乏になるわ」という確信がそこで生まれた。だって哲学専攻だったから即戦力もないし。今は労働運動を経験したから、法律の勉強をして社労士などの資格をとって職を得ようという発想も生まれるけど、当時はそんな知識も全然ないから、「わたしはもう貧乏確定?」って思った。

 そして大学院時代にすでに野宿者ネットワーク代表でのちにフリーターズフリーを一緒にやる生田武志さんとも知り合いではあったから、生田さんはわたしの状況を見て、「寄せ場に関する勉強会があるからよければ行ってみたら?」と神奈川県で行われた勉強会を紹介して——その勉強会にいったら「寿支援者交流会」というところの代表と知り合いになって横浜の寿地区という寄せ場に通うようになりました。 

 だけど、わたしがやりたいのは“支援”じゃなかった。わたしは自分が貧乏になると思っているから。当時釜ヶ崎や寿はすでに日雇い労働よりは生活保護で暮らしている人が多くて、だからわたしも「貧乏になるなら生活保護を受給することになるのか」と理解し——その理解はのちに自分の身に現実となるのですが(苦笑)——じゃあ、生活保護を受けたら受けたで、日々ここに住む人たちはどう暮らしているのかとか、日々どういう生活をされて、わたしはどういう風に生きていったらいいのかな、というのを知るために行きたかったんですよ。

   

——支援者ではなく当事者として(笑)。

    

栗田 でもその感覚は時代が早すぎて誰にも理解されませんでした(笑)。他にそういう人は誰もいなくて。で、わたしが寄せ場に行くと、「わっ、若いお姉さんがきた」みたいな扱いをされたわけですよ。「えっ!?何事?」って思って。寄せ場という場所は男性の住人率が高い。日雇いの労働者がそのまま生活保護を受けたり、高齢化していくなかで働けなくなって、生活保護を受けて一人で暮らすパターンが多いんです。そこで主に年配男性の「娘」、下手したら「恋人」とか「妻」として扱われる。

  

——あーやだやだ。

   

栗田 わたしは若かったから「娘」「恋人」の扱いだけど、もっと年配の方になると「母」を求められるケースもある。あるいは支援者同士のなかでも「若い娘は花なんだから」と言われて「え!?」って仰天した。それで「そもそもボランティアって何?」「支援って何?」と考え出した。

 野宿者への襲撃事件などもあるし、それを防ぎたい人とか支援する人の気持ちが全くわからないわけではないけれど、女性として行くとそれ自体が支援になるという構図が気持ち悪い。常に女性であるというだけで、そこにいる男性を支えることを自動的に求められる構図。しかもボランティア、つまり無料なわけでしょう? そういう構図が——ここで労働問題とも繋がるんだけど——女の人のケア労働が重労働な割に常に安く買い叩かれるという問題を連想してしまって、こういうボランティアのあり方は本当にいいことなんだろうか?とか、「娘」とか「母」という役割を女性が求められて、寄せ場でそう振舞うことはほんとうに社会を変えることなんだろうか?って思った。 

 そもそもわたしはあんまり結婚願望もない人間で、誰の妻にも母にもなりたくないような人間が、なんでこんなところで「妻」にならなきゃいかんのだ、理不尽すぎると思った。むしろ、「母」とか「妻」になるのがいやである故に、自分を経済的に支える男性は存在せずわたしは寄せ場にいる年配男性たちとおんなじ立場で貧乏になると想定して寿などに行ったのだけど、「自分はここにいる年配男性たちと社会的立場で同じじゃないんだ」って気付かされるわけよね。そしてこのままではいかん、となった。

  

——うんうん。

   

栗田 支援団体が発行している冊子でも他の参加者はみんな素朴なこと書いてるわけ。「ホームレスの男性たちの話が聞けて学びになりました」みたいなことを他の人たちが書いている中で、わたしは「野宿者を襲撃する人間とボランティアする人間はいったいどこが違うんだ」とか書いている。

  

——(笑)。

   

栗田 「野宿者に対して私は声もかけないけれど石も投げない」って・・・支援者が言うセリフではない(笑)。

   

——これどこで配ってたんですか?

     

栗田 その支援者団体の周囲にいる野宿をしている当事者や、野宿経験者に対しても配るんですよ。あと他の団体の支援者に対してとか。あとあと聞くと、明らかに浮いてて、一部では有名になってたみたいです(笑)。

      

——読むと心がざわざわしますもんね、そこだけ(笑)。

   

栗田 わたしは「支援やだ」「早くやめたい」といいながら寿に通ってた(笑)。個々の年配男性から理不尽なことを言われたことそのものより——むしろ男女の立ち位置の違い、同じ貧乏でも男女で、こんなに違うんだと身に沁みたんです。

     

  

「フリーターの問題は女の人がいないとダメ」——働けと言わないワーキングマガジン

 

栗田 2005年には、「フリーター」の労働状況が問題視され出した。フリーターという言葉は1990年代にすでにあったんだけど、その頃はバブルの時期だったから、いろんな仕事をふらふらっと行ける人としてフリーターという言葉をリクルート社が作ったんだけど、ゼロ年代くらいからは、いわゆる氷河世代が正社員に就けなくて、バイトや派遣の仕事しかないことが注目され出した。その頃、派遣の製造業、要するに工場労働で派遣労働者を雇っていいという法律が解禁されたから、大量の日雇い派遣者が出てきた時期なんです。

 わたしはそういうのを肌身で感じていたからこそ、さっき話したように貧乏確実だなと思ったんだけど、当時はまだ世間でわかられてなかったんだよね。「なんでわかってもらえないんだろう? これやっぱわたしが当事者として語るしかないのかな」と悶々と思って、メールマガジンも作ってたりしたんですよ。読んでくれるのも友達しかいないようなメールマガジンを作って送ってたら、生田さんが「栗田さん、今度フリーターの雑誌をつくるという話があって、一緒にやらない?」って誘われた。

 その経緯として、鎌田哲哉っていう文芸評論家がいて、その人と複数の人が『重力』という雑誌を出していたそうです。その何号目かをフリーター特集にしようとしたら、そこで仲間割れが起きたらしく、『重力』から離れてフリーターの雑誌を作りたいとなった人たち(私とは後々対立した人たち)が、生田さんを誘ったんです。生田さんは『野宿者襲撃論』という本で「日本全体がこれから寄せ場化する、いわば寄せ場はリハーサルでフリーターが本番だ」という主張を読んで誘いたいと思ったということでした。

 そこで生田さんが「女の人がいないとダメだよ」と言ったそうです。フリーターの問題は、低賃金・不安定——正社員のように安定した雇用でもなく、賃金が高くもないという働き方は、女性のパート労働としてすでに当たり前に存在してきた、と。ここの問題を解決しなきゃどうしようもないじゃないかということでて、わたしに声をかけてきたんです。

 わたしはまさに派遣の仕事をしてて、正社員は遠い彼方で、いわば当事者性しかないような状況で、しかも「支援者じゃない」と思ってた時期だったからこそよし!とばかりに引き受けました。 

 でも、なんせ発行前もその後も亀の歩みのような息かくの進み具合の雑誌で。今思うとわたしと対立した男性たちは地道な細かい仕事をしない!(笑)

   

——あーその感じ、めっちゃ共感するー(笑)。

  

栗田 大学院やめた時点で、言葉が嘘臭く感じるようになってしまって、物書きとは一切縁を切ろうと思ったんです。大学の先生が偉そうに発する言葉で世の中を変えられるわけじゃない、と。大学院で学んだ自分の言葉も多分嘘っぽいから、言葉を捨てよう、と。だから当時は物書きになる気はなかったんです。

 ただ、2005年くらいから自分の違和感や、女性が働くことについて考えてるといかに安定した仕事がないかという事実を——まあ今は男だってそんな安定した仕事をゲットできないっていったらできないけど——残さなければと思ったんですね。男女平等ではないとことは、痴漢の多さで気付いてはいたし、あと、うちは母がパートで働いてたのだけど、いわゆるフルタイム・パートという労働形態で、両親は同じくらいの時間働いていたのに、稼ぐ額が全然違うし、うちの母親だけが家事をやっている。そういう中でわたしのフェミ心が育っていったので、男女平等と思ってたことはないんだけど、でもここまで酷いのかと知って、せめてその事だけは残したいと思ったんですよね。

 

   

第3号年金をめぐっての女性の分断——過剰姉妹の誕生

    

栗田 『フリーターズフリー』をやっていたときに並行して、「女性のパート労働問題はどうしてあまり注目されてこなかったの?」みたいな気持ちになった。主婦の多くは、子供が大きくなったら働き出すし、多くの女の人はすでにいっぱい働いているじゃんって。

 そうしたらいろんなフェミニストのお姉様方が声をかけてきて、ネットワークを作ろうじゃないかという話になった。アーティストのいちむらみさこさんや、女性の労働運動やシングルマザーの権利に関する運動をやってきた女性たちを中心に、「女性の貧困ネットワーク」を作って2〜3年やってたんだけど、女同士もまた分断されていくんですよ。

   

——どういう分断があるんですか?

    

栗田 ひとつは第3号年金をめぐる考え方の違いなんですよね。日本の公的年金制度は国民年金と厚生年金の2階建て構造になってる。その中で3つの被保険者の種類があって、①第1号被保険者(国民年金加入)②第2号被保険者(国民年金と厚生年金に加入)③第3号被保険者(国民年金加入)とそれぞれ分かれる。第1号被保険者とは国民年金に加入していて自営業の人だったり、農家の人だったり、フリーター、アルバイト。わたしの感覚では会社の厚生年金に入れてもらえない人が入るものと言ったイメージがある。第2号被保険者とは、いわゆる会社の勤め人でこの人たちは国民年金にも厚生年金にも加入している。給与で天引きして支払ってるからお金を払っているとはいえ支払い時の痛みは薄くて多く年金はもらえるイメージがある。そして最後の第3号被保険者は何かというと、いわゆる第2号被保険者と結婚した人は、その人自身が年金を払わなくても、第2号被保険者の加入制度が負担する形で年金に入ったものとみなされる、という制度があるんです。 

 だからたとえ結婚したとしても相手が自営の農家の人だったら第3号被保険者にはなれない。でも相手が(日本の場合多くは夫が)いわゆるサラリーマンだったら配偶者(日本の場合多くは妻が)として自動的に国民年金に加入できる。でもその人がある一定の額以上稼いでいたら第3号被保険者にはなれない。つまり「養ってやるかわりにバリバリ稼ぐなよ」といった思想を具現化した変な制度なんです。

   

――なるほど。変な制度だ。

   

    

栗田 基本よくない制度だということはみんなわかってる。だけど「即刻無くしたい」という人と、「今は主婦でも経済的に厳しかったり、病気で働けないという人もいるから、即刻無くさないほうがいい」という人とで、ものすごく意見が割れちゃって。

 わたしはその頃、一部の女性のフェミニストの学者にも疑問を持っていたんです。

    

——「落ちこぼれ」って言われた、って『ぼそぼそ声』に書かれてましたよね?

   

栗田 「落ちこぼれ」は学者じゃなくて、バリバはリの活動家の女性から言われたんだけど、某フェミニストの学者の方からは、「なぜあなたはフェミニストにならなかったの?」と言われた。わたしはすでにフェミニストですけど、フェミニスト業界にいないとフェミニストじゃないんですか?みたいな。 

 そういう事実もあったし、『ぼそぼそ声のフェミニズム』でも触れましたが、女性の性別役割分担——女の人は家事や育児をするのが当たり前で、仕事してても女性が家事や育児をするのが当たり前な社会構造、異性愛主義で男に養われるという前提、パートの時給賃金の安さなど、1990年代にすでにその全てがおかしいと言われてたのに、30年前も今もかわらない。それってどういうこと?と、その頃(ゼロ年代後半)政治家や企業のトップのみならず学者にもふつふつと怒りを燃やしてたんですよ。

 そのような時に、東京大学で「女性の貧困」というテーマのシンポジウムで、いちむらみさこさんに似た女性とわたしに似た女性の二人が登場する「過剰姉妹」というユニットが大暴れしまして。

 

↑過剰姉妹:栗田さんとよく似たイマノキヨコさん(右)と、いちむらみさこさんによく似たバババさん(左)からなるユニット(※本人たちは二人との関係を否定している。)ちなみにイマノさんの足に書かれている「偽善者」「ブス」という言葉は、実際に野宿の人からかけられた言葉。(「インパクション171号」(2009年10月)より)

  

↑ この大暴れの様子は、落合恵美子『21世紀家族へ(第4版) 家族の戦後体制の見かた・超えかた』(有斐閣、2019)でも取り上げられている。

   

栗田 なんでそんなことになったかというと、いわゆる「当事者枠」で見られるということは場合によっては、当事者の話を聞いたというその集まりやイベントの正当化のアリバイのようになりがちなんですよね。でも実際はなんにもアクションも起こらず変わらないことが多い。非正規労働や経済的に厳しい女性たちがアリバイのように使われたらたまらん、と思ったんですよ。

 そして呼ばれたって実は当事者の話なんか都合のいい話以外聞かないし、忘れられるから、それなら絶対忘れられないようにしてやるって(笑)。

   

——これは忘れられないですねー(笑)。

  

栗田 東大ではさらに「聴衆」としてイマノキヨコさんの応援にも見える謎のグループも後ろの席に座ってた。「ピクニックに来た」というコンセプトでめいめい好きな格好で集まってお弁当を食べながら話を聞いている。竹でできたやじろべいみたいな形の路上のデモなどに登場するような非常に大きな人形に半紙で筆書きで、「女性の貧困を研究のネタにするな」とかバーっと書いたものを貼って吊るしたものを掲げて、東大の文学部の講堂に現れたんです。

 そうやって東大に現れたり、あと当時、横浜の寿支援者交流会が、いちむらさんを呼んで女性の野宿の様子を聞くみたいなイベントを主催した(※いちむらみさこさんは、東京都内の公園で野宿のコミュニティ中で生活をしている)。だけど「お前ら(主に男性の活動家や支援者を指す)の日々の性差別っぷりを無視して、支援者の顔をして女性の貧困を語るとは!(怒)」となって、この過剰姉妹がまた出てきたんですよ。でも喜ばれちゃってさ。一部の活動家はヘルメットが好きだからさ。

   

——そっか(笑)。

  

栗田 「喜ばれちゃいかん」って反省もするんです(笑)。   

       

          

       

     

 →② 連帯ってムズかしい!