簡単に繋がることはできない——じわじわと体を蝕むダメージ
栗田 そして先ほど話した東大のイベントがかなり決定的な「事件」にもなったんです。女性と貧困ネットワークの中にいた活動歴の長い活動家の女性が、「学者を挑発したらダメだ」とわたしを批判して、それもまた分裂の一つの理由になってしまった。
以前、主に男性の障害者の人たち向けの性的なボランティアについて書いた『セックスボランティア』という本があったのですが、過剰姉妹はこの寄せ場交流会の冒頭で、「セックスボランティアのみなさん、こんにちは」という挨拶からトークを始めたこともあるんです。
さっきいったように、運動の狭い世界のなかでも女性というだけでいわゆる「女性性」を求められる。支援者とか当事者を相手に「恋愛」という名のもとでハラスメントされたりする。しかもボランティアという立場だからこそ、曖昧で声もあげづらくなる。それならばということで「いっそセックスボランティアっていったほうがいいんじゃないですか? どう思います? みなさん」って、運動内で起きるセクシュアル・ハラスメントの問題提起したんです。これは特に女の人に刺さったり、戸惑われたりとそこからいろんな討議がはじまり、「受け入れられない」という人と「考えよう」という人とで割れました。
なんでこんなやり方をしたかというと、どうせ言っても聞きゃしないから、絶対忘れられないようにしてやると。わたしはわりと「残したい」と思うタイプで、要するに「おかしい」と思った現実を残さないといけないと思ったんです。しかもこういうハラスメントって訴えるまでもいかないけれど、いつまでもモヤモヤ、じくじくと傷んだりしますし。
とはいえ、女性同士ならうまくやっていけるのかというとそんなことはない。わたしが全部正しかったとは思えないけれど、簡単に繋がることはできないと、伝えないといけないなということは考えているんです。
——うんうん。
栗田 「つながる」とか「連帯」というけれど、それは具体的にどんな人間関係なのかを考えないといけないんだろうと思ってます。
——なかなかうまくいかないですねー。どうしたらいいものか。
栗田 その頃、渋谷にある宮下公園…いまは「MIYASHITA PARK」という名前の変な商業複合施設になってしまった場所ですが、まず最初にナイキがあそこを買い取ろうとして、フットサルの出来るような場所にしようとしていたんです。でもかつての宮下公園は、社会運動をやっている人が野外の集会をやったり、デモの出発解散地になったり、炊き出しで使ったりした公園だったんです。それを潰すのは社会運動潰しでもあるし、もちろんそこで暮らす人の同意なく追い出すのだから人権の問題でもあるしで、大反対運動を起こしたのです。しかし10年後、オリンピックというメガスポーツの暴挙によって、三井不動産が買取り今の商業複合施設が建ってしまった。
栗田 そういう運動の中でも、「社会運動内の女性への差別や軽視がある」と語る動きが生まれて、わたしもその一人だったのだけれど、例えばそこで通信誌を作ったり、運動内のハラスメントについて書いた人もいたんですよね。
それが2009年〜2010年くらいの動きなんだけど、世界的な話で言えば2008年には北海道の洞爺湖でG8が開かれた。G8に対しては世界的に「なぜ金持ちの国だけで世界の方向性を決めるのか」という疑問のもとに開催反対運動がある。わたし自身はG8の反対運動に参加はしてないのですが、G8の反対運動の中で、セーファースペースという概念が日本で登場したんです。
セーファースペースとは、社会運動の集団の中でも、女性やセクシャルマイノリティ、障害を持ったり、海外ルーツの人等が、不都合だったり嫌な思いをすることがあったら、スタッフに相談して、より安全な場所を作って、運動内の衝突を解決していこうという取り組みだった。そのセーファースペースを宮下公園の運動や、いろいろなところでやろうとするのですが、これがまた難しい。
ひとつは、まず、セーファースペースを誰が維持するの?という問題がある。その維持を女性が結局やるということになると…。
——ああ、細かい配慮ができる方には比較的女性が多かったりするから、結局・・・
栗田 かといって何もわかっていない男性にやらせるわけにもいかず。男性たちからは、まさにさっきの谷川雁じゃないけど、「言葉がまずわからない」とか言われたりするし。
——はいはい。身に覚えが。
栗田 「運動の中の性差別とかハラスメントについて考えてるのだけど」とクローズドで周囲に聞くと、10年以上前からすでに経験談や実例が出るわ出るわという事態だったんです。でも、「運動を壊すのか?」みたいに言われたりした。この憤りをどうしたらいいの?ってみんなモヤモヤムカムカしちゃって。
わたしは馬力がないので、どうしたらいいんだろうと自分が経験したり、人の話を聞いている中で心身が限界を迎えてしまい鬱になっちゃうんです。運動が、「差別をなくそう」とか「人権を確立させていこう」という目的でやっているはずなのに、その足下を崩すことをなぜ自らしてしまうのか。それを考えていると常時目眩を起こすような状況になった。
その頃、そういう話を聞くと、それがすごく辛くて、その話の辛さに囚われないために、もっといろんな人に話を聞いて余計疲弊したりして——いまならいろいろ突っ込みたくなるような行動をしてた(苦笑)。その調子悪さが今も現在進行形で鬱となって尾を引いてる。
深沢さんがWからやられた嫌なことも一つだけじゃないよね。嫌なことの一つ一つは軽微とみなされるようなものであったとしてもバンバン続け様に食らったら「うっ…」ってなる。
——そこがハラスメントと戦うことの難しさなんですよね。一個一個の行為が、「違法」というレベルまでにはいかないから、外側からあんまり深刻なものに見えづらい。その割に、こっちは全部自分の体一つで受け止めるから、ダメージが蓄積されていく。
栗田 そのダメージというのを伝えにくい。しかも、その一つ一つの行為を数年かけて行われたりするし。深沢さんの「陳述書」を読んでて、もう「あああああああ!!」って叫び出しそうになる。ボクシングじゃないけど、ずっとボディブロウ受け続けていることが、ハラスメントの問題の根深くなる所以だよね。それこそ最近、マイクロアグレッションという概念で、攻撃とさえいえない、差別だと名指しにくいようなモヤモヤする差別行為もずっと受け続けると体調をおかしくするという説も出てる。わたしは自分の経験もあり、さらに人の話を聞くことを無防備に続けていることで調子を悪くしてったのかな、って思う。もちろんわたしに経験を話をしてくれた人には感謝のみで、この話は、わたしが自分のコンディションを無視していた事実を通して、運動を優先しなければいけない、ということはないと伝えたいんです。もちろん、それでも無理したくなっちゃう時はあるのだけれど・・・。
——しかも加害者が組織だったりすると、向こうはいくらでも代わりがいますからね。こっちは仲間との分断とかあると内側からもダメージくらうし。体力的にも全然敵わないな、って思います。
「できる女」ではないフェミニスト——体力も気力もない人間のために
栗田 とはいえ悔しい気持ちがなくなるわけでもなく、じゃあ海外では運動の中の人間関係はどうなんだろう?と思って海外に目を向けると、やっぱり運動内の差別は存在しているんですよ。
2015年に日本で「連合」という、労働運動を統括しているナショナルセンターと呼ばれるところが発行した本で、「女性運動を受け入れない労働運動」とか、「労働運動のなかで潰されてしまった活動家は多い」とかが書いてあるんだよね。もちろん海外には日本よりいい状況ってたくさんあるんだと思うんだけど、それでもこういうことがあった。いまならばSNSでの問題もあるだろうとも思います。
栗田 今、よく、「女性リーダーを増やそう!」というじゃない? でも、リーダーを作ることも大事だけど、さまざまなところで起こるいじめやハラスメントをなくすことに尽力してほしい。女性がリーダーになれないという背景には、排除とか嫌がらせとか蔑視がある。いじめやハラスメントがこれほどたくさんあった今の状態の中で女性でリーダーになれる人は、それはいわゆる“おっさん”より“おっさん”になっちゃう可能性が高い。フェミの世界でも左派の世界でも、女性でトップというタイプ下手すると男性より男性的な価値観を持ってることも残念ながら多い。
——“弱い”人に冷たい人が多いですよね。
栗田 さっき女性の活動家からわたしが「落ちこぼれ」と言われた話じゃ無いけれど、結局、あまりにも女性への差別が強いものだから、それを越えてパワーを獲得するなら男よりもパワーを鎧のように固めているタイプじゃないとなれないという恐ろしい話なんだよね。
——わたし、2018年に最初にセクハラ告発しようとしたとき、著名な某フェミニストの女性のところに相談にいったんですよ。そうしたら第一声が、「あなた働いてないの?」
栗田 ああ、怖い(苦笑)。
——わたしそのときバイトしてたんですけど、その方にとってフリーターは働いてるとみなされないんだ、っていう(笑)。しかもそれがセクハラと何の関係が?みたいな。
栗田 怖い。怖いよ。
——わたしはずっとフェミニズムが苦手だったんです。で、今、いろんな人に話をきくことで、自分の中のフェミニズム嫌いはどこからきているんだろう?と、己のミソジニーを解体していく作業をずっとしているんですけど、やっぱり、その人の一言は大きかったと思う。「…フェミ、無理」ってなった(笑)。
栗田 性差別のハードルがものすごい高い勢いでちゅどーーんと存在していると、それを崩そうとする人ももガガガガガってブルドーザーみたいな動きになるというか、ゴジラVSキングギドラの戦いみたいになってきちゃう。力が強いものがエライという競争主義のなかで、男の人たちが多く持っている「人の話を聞かない」といった姿勢を女性でパワーがある人こそが身に付けざるを得ないというか、身に付けてしまっていたりすることもあってなかなかに辛い。
——そう。そういうときに、わたしの場合、最初フェミの女性たちに助けてもらえなかったので、アナキストたちの方にいって。
栗田 そうだったんだ! それで、このサイトのインタビューの顔ぶれに納得がいきました。
——はじめは彼らしかいなかったんですよね。助けてくれたのが。
栗田 長かったね(泣)。なかなかフェミニズムやフェミニストにアクセスができないんだよね。
——ここまでに至る長い道のりが・・・。で、アナキストたちは、フリーターへの差別とかは一切ないし。
栗田 たしかに…。
——わたしの受けたハラスメントの話をしても、「君にも落ち度があったんじゃん?」的な二次加害発言は一切しないし。だから当時はフェミニストたちから栗原康さん(アナキスト)が批判されてるのを聞いてもピンと来なくて、「えー?いい人だけどなー」と思ってました。むしろフェミの方が怖くて。
栗田 そうなんだよね。わたしもいわゆるフェミニズム業界を知らないということもあったけど、フェミニストとみなされなかったのは、そういう経済問題も背景にあってフェミニストだって見られなかったからなのかも。自立できてなくても、自立を目指しています!とかでもなく「仕事は辛い」とか「仕事は怖い」と言っているとフェミニストとみなされにくかった。「経済的自立をしているか、それを目指すからこそものが言える」みたいな風潮がフェミニズム界にもそこはかとなく流れていた記憶もある。でもそもそもそんな稼げる人ばっかじゃないじゃん。でも女でフェミニストだと、実際はともかく「(仕事などが)できる女」のイメージが強い。
——そうなんですよねえ。別に“できる女”になりたいわけではないんですよねー。
栗田 仕事ができなくてぼんやりしてる女のフェミニストはいないのか?といっても、まわりにいなくて。「じゃ、わたしがなります」って思って名乗り始めました(笑)。
——栗田さんは新たな道を切り拓いてくれました。
栗田 ボーッとしてるだけなんですけどね。(笑)
どうやって無視できないようにさせるか——「わからない」というところからはじめる
栗田 運動は、会社や学校とかと違って、参加したい人は参加するし、参加しなくても怒られるわけじゃない。法律違反でもないし——参加しないと法律違反になる運動とかあったら怖いけどさ(笑)——社会運動は仕事よりも離れることが比較的可能なことが多いから、そうなるハラスメントなどの経験者やその経験談などが存在していても、人がいなくなることによって人間関係ごと女性たちの経験の積み重ねが散り散りになっちゃうんだよね。
だからわたしは、なんで『ぼそぼそ声』を書いたかというと、せめて自分の体験だけでも必死に集めて、一冊の本にして、2000年代〜2010年代に何があったか伝えなきゃいかんって思った。フリーターズフリーでもいつもそうやって「伝えなきゃいかん」と思って本を書ことを繰り返してきたかな。
大ショックだったのは、先ほど過剰姉妹の話で登場した「寄せ場交流会」という集まりで女性の問題って話されてなかったのか?といったら全然そんなことなくて、2002年にはもう話が出てたんです。だけどそこに参加する男性たちが聞かないから、女性たちばかりが言い続けなきゃいけない。
——そうなんですよねー。学ぶべき人がいつまでも学ばないという。
栗田 女の人が自分の私用だったり、子育てだったりで例えばイベントや会議などに参加できなかったりすると一切なかったかのように、セーファースペースも作らないし、ジェンダーに気をつけていこうという話も出なくて、すぐに登壇者や話し手が男性しかいなくなったり。男性たちは、年齢は若くても女性たちの話を聞かなくていいと思い込んでる。
そういう現実を知ってショックで。わたしもまだ鬱で体の調子もあんまりよくないんだけど、「それでも絶対伝えなきゃ」という思いだけで書いてる。語り部みたいな気持ちかな。
もちろん自分の観点からだから、全容を伝えることはできないとは思っているけど、過ちをくりかえさないとか、失敗してきたこと——たとえば女同士だってうまくいかなかったとか、過去を伝えたいんです。
また難しいのは、場所を開いて、誰でも来ていいとなると差別発言を平気でするような人が来たりする。でも場を閉じると、その狭いグループの中で、上下が出来たりとか、細かな違いが許せないといったことが起きやすくなる。
——そこのバランスが難しいですよね。
栗田 わたし自身も誰かと一緒に運動をやっていく方法をわかっていないことをこの十数年で痛感させられた。最近わかったのは、政治団体とか労働団体とかの組織に入る人はどんどん減っていっていて左翼だけの話かと思ってたら、自民党も党員が減っている。だからこその宗教の組織力頼みだったのかもしれないと思う。右も左も思想問わず、連帯とかつながることが難しくなっていることだけがわかってきた。だからわたし自身が「わかってない」というところから話さなきゃいかん、と思います。
そして微力ながら声をあげるときに、どのようにその声を伝えるか、無視できないようにさせるかをも考えなきゃいけないんだと思っています。