※こちらの文章は、2022年9月に行われた東京地裁での尋問に関する解説です。尋問調書はこちらから読むことができます。

    

     

    

1 尋問(2022・9・15 於東京地裁)

      

 著名な文芸評論家であり大学教員でもあったWを相手にハラスメント裁判をたたかっている深沢レナさん――詩人であり、「大学のハラスメントを看過しない会」を拠点にする運動家である――の裁判を傍聴しに、ご本人や支援グループにとくに挨拶や連絡などしまいまま出かけた。わたしは事件発覚(告発)当時はインターネットを見ておらず、報道にまったく触れていなかった。その後何年も遅れてなにかのきっかけで事件について聞き知り、当時の新聞を調べたりしていたのだが、関心が決定的なものになったのは、それまで〝原告A〟として、被害に遭った出来事について発信していた深沢さんがはじめて〝深沢レナ〟という名前、詩人という肩書をオープンにしてエッセイを寄稿した雑誌『生活の批評誌』の同じ号にたまたま自分も寄稿したことだった。

 尋問は、大学院での友人で、深沢さんに付き添って当時のコース主任教員Мと面会したBさん→深沢さん→Wの順で行われた。深沢さんの尋問時は深沢さんとWの間に衝立が置かれ、Wの尋問時は深沢さんは退出した。

 全体の印象から記せば――衝立で仕切られていてWの姿は目に入らないとはいえ、Wの声はもちろん深沢さんの耳に届く。そのたびに緊張を強いられるのが傍聴席から手に取るようにわかり、苦しかった。Wの代理人弁護士が適宜質問することになっているので、本来は深沢さんの尋問中にWは声を発する必要がない。だが代理人の段取りが悪いために、Wが頻繁に代理人への指示を口走る、その声が洩れ聞こえる。このWの代理人は酷くて、提出された証拠は読んでいないし、質問で二次加害発言を連発していた。それらを受けて傍聴席に失笑や当惑の声が広がる(あくまでも抑制的な静かなざわめき程度だった)と、そういうごく当然の反応にたいしてまで、早稲田大学の代理人(Wのではない)がいちいち威圧的な注意を行う。彼らが最初から傍聴席の人々を極度に敵視していることは明らかだった。敵と味方が明確に別れて異なる事柄を主張するとはいえ、聴衆も含めて、事実や正義へ向かう真摯さが共有され分有されている、そのような信頼関係に基いて裁判は進められるものと素人のわたしは思いなしていたから、彼らの言動は異様なものに見えた。

 深沢さんの代理人による質問の終り際のWの発言によって、その場は、驚きや怒りや落胆のような一般的な感情では言い表せない、名状しがたい空気に包まれた。それをなんと呼ぶべきかいまだにわからない。尋問調書の該当箇所を抜き書きする。Wには一瞬ためらいがあったような気がしたが、彼はこう言った。

   

深沢代理人「原告の陳述書なんかも御覧になったと思うんですけれども、原告が受けた精神的な被害について、全然理解できませんか」

W「読むことは読みました」

代理人「でも、理解できない、共感できない」

W「原告のですか」

代理人「はい」

W「現在の陳述書ですか」

代理人「陳述書、御覧になりましたよね」

W「随分文章がしっかりしてきたなと思いました」

   

  *

    

 以下つらつらと、尋問調書を読み返しながら当日の様子を思い出しつつ記す。

   

 友人Bさんの尋問。

 Bさんは、Wによるハラスメントを知って深沢さんと共にコースの主任教員Мのもとに赴いて対応について相談しており、Мの対応(の誤り=二次加害)を実際に目の当たりにしている。またBさんはこの尋問だけでなく、事件発覚後に早稲田大学が行った調査でも証言している。「判決」の項でも触れるが、判決文を読む限り、Мがかかわる事象にかんして裁判所は早稲田大学の調査報告に大きく依拠し判断していると思われる。

 主任教員Мは大学による調査のなかで、このとき(深沢およびBとの最初の面会で)自分は深沢とBにたいして「三つの選択肢」――①ハラスメント防止室に相談すること、②教員変更をすること、③何もしないこと――を提示したと述べたようだ。

 だが、大学の調査でBは、事実はそのようなものではなかったと証言した。にもかかわらず、大学の調査結果ではとくに客観的な理由なく、Мが「三つの選択肢」を示したことが事実認定されたこと、それが不服で不可解だと、Bはあらためて尋問の場で述べている。たしかに、面会でМの口からハラスメント防止室の名前は出たものの、それは防止室への相談を「推奨」するどころか、むしろそのような具体的行動を抑止する方向で口にされたのであり、じっさいに提示されたのは〝様子見〟だけであった、と。

 裁判資料を読む限り、この面会の内容にかんする判断材料は、深沢の大学調査にたいする証言および裁判での証言、Bの大学調査にたいする証言および裁判での証言、Мの大学調査にたいする証言、そして大学の調査結果である。判決文では、現場に居合わせて一部始終を見聞きしたBが明確に不服とし、不可解だと述べた大学の調査結果が、やはり一切根拠が示されないまま支持され、深沢とBの証言は一切根拠が示されないまま完全に無視され切り捨てられている。かなり奇妙ではないか。こういうことは当たり前にあることなのか。

 付け足せば、大学院の入試がどのようなものであったかについて原告代理弁護士がBに尋ねようとした際、大学代理人は〝関連がない〟と早々に質問を遮り、裁判長も同調している。早稲田大学でのハラスメントが教員と学生の非対称を利用し、より強めようとするものだった(ハラスメントは基本的にそのようなものだ)、それは入試におけるコミュニケーション――Wによる学生にたいする威圧や囲い込み、ゼミ生の受け入れ・配置にかんするWを中心とした教員間の奇妙に黙契的な関係性――の歪んだ在り様に端を発し、多くを負っていた。……これは原告側の主張の心臓であり(じっさい原告深沢への原告代理人による尋問では、冒頭で入試および入学以前の出来事についてかなりの時間を割いて細かく掘り下げている)、また、出来事の全体像の理解を深めるためにも、ハラスメントにおける傍観者の位置について考えるためにも、避けて通れない、吟味して然るべき事柄だとわたしにも思えたが、裁判ではブラックボックスのような扱いを受けている印象だった。そこには触れてほしくないという大学の当然の思惑(調査報告でも、大学は入試についてはノータッチを貫いている)と、どうせ他の教員の証言がないのだからそこに突っ込んでも埒が明かないだろうという裁判所の判断が一致したのでは、ということくらいしか言えないのだが、どうだろうか。

      

 原告深沢さんの尋問。

 裁判所に証拠として提出され、「大学のハラスメントを看過しない会」のウェブサイトでも公開されている陳述書に記されている事柄だが、Wのゼミには「不良枠」と呼ばれる学生囲い込みの慣習(?)があり、それが入試・面接の段階からはじまっていたこと、それが学生および教員のあいだの共通認識だったことが、あらためて確認された。入試・面接の場に居合わせた他の教員たちがそれを黙認していたことと、深沢さんからハラスメントについて相談された際の彼ら彼女らの言動(そこにはМによる明らかな二次加害もあれば、ある程度深沢に同情的、協力的なものもあったが)の消極性、また裁判がはじまってからの言動の消極性とは、おそらく連関しているだろう。「不良枠」などと他人をカテゴライズし、公言した上で行われる〝教育〟が〝教育〟と呼ぶに値しない(それはせいぜい〝調教〟である)ことを知っていた、気づいていた者がその中にいたはずだ。しかし対等な立場であるはずのWに面と向かって異議を伝えることを誰もしなかった(もしそれをした人がいたなら、ぜひなにかしらの形であらためて発言してほしい。貴重な証言になるだろうから)。ならば、深沢の行動に即座に積極的に応答出来る者がいなかったのは当然である。黙認していた自分、なんやかやと不満や不安を抱きながら見て見ぬふりをしていた自分、そうすることで様々な便宜を得てきたし、これからも得ていくつもりである恥ずべき自分のすがたに批判的に向き合うことは、そう簡単ではないからだ。

 前項と重複するが、ハラスメント委員会に話が行くと手続きが煩雑であるというだけでなく、事が公になれば〝コースが潰されるかもしれない〟旨をМから伝えられた、と深沢は証言している。この点もBの証言と一致しているし、また面会でМから教員変更の話は出なかったとはっきり述べている。Мからその後送られてきた多分に口止め的なメールも証拠として提出されている(甲第5号証)にもかかわらず、なぜ裁判所はМが相談窓口を〝推奨〟したと認定したのか、やはり謎である。

 尋問の最後、裁判官たちはМとの面会での「ハラスメント委員会」の取り扱われ方について、深沢に念押し的にしつこく質問している。Мが〝絡むと面倒で厄介なもの〟として口走った「ハラスメント委員会」の窓口制度についてなぜその時には自ら調べて足を向けなかったのか、あなたのはあなたの意思でハラスメントを放置することにしたのでは、大事にしたくないというのはあなたの意思でもあって、見ようによってはМはその意思を尊重したとも言えるのでは――そういわんばかりの、どうしようもなく無神経無感覚な態度がそこに透けてみえている(尋問調書 p.59~)。わざわざくり返し質問するまでもなく、さしあたりは言われたことをそのまま受け入れるしかなかったのが当時の状況であった、というのはなんら理解し難いことではないのではないか。一学生が教員の言うことを鵜呑みにし、自らが所属するコースに不利益を与えないことがここでは自分の保身・利益になると考えて行動したとして、そのことが後から教員の対応の正しさの証明として悪用されるとすれば、それは恐ろしいことである。相談や告発の場で、力の強いものによる〝丸め込み〟がいくらでも許されてしまうからだ。

 安西彩乃さんとカオスラウンジの裁判で争点になっている退職にかかわるパワハラの認定にも当てはまるが、力の非対称を利用したこの種の〝丸め込み〟にかんして裁判所、裁判官の洞察が異様に甘いのはなぜなのか。教育から、あるいは職場から、力の偏りを完全に除去することなど出来ない。それはわかる。しかし、いざというとき、個人としての人間の尊厳がかかわる場合には、コースがどうなろうが、組織がどうなろうが、個が個を尊重し、個が個にたいして正義を通すことがなにより重要である。組織に属して生きているという事実もまた個として在ることの不可欠の前提条件なのだから尊重されなければならない……という言い訳は正義の前では通用しないし、するべきではない。こうした認識はこの国の法には――法を執行する裁判所にはいまだ浸透していないようである。以上のことが、裁判所という〝組織〟と大学という〝組織〟のあいだの、同類に抱く無意識の憐憫の発露でなければよいが、と思う。

    

 被告Wの尋問。

 Wへの尋問では従来のインタビューでの発言、あるいは批評なるものをめぐる持論が一通り繰り返された印象しかなくそこにとくに付け加えることはない。

 入試選考過程、深沢のWゼミへの配属にかんしてWがあけすけに語り、訊かれていないことまで口走りそうなところを大学の代理人が押しとどめているのが印象的だった。やはり入試、面接にかかわった他の教員の証言が一つでも二つでもあれば、判決文にまったく入試の文字が書き込まれないということもなかったのではないか、この件にかんしてはすでに選考過程が後の性的ハラスメントの温床になっていたということが、違法だとされなくとも、認定されはしたのではないかと、思われる。

 また、文学や批評に関心がない人にとってはどうでもいいことだろうが、村上春樹への罵倒をめぐって、学生を前にした講義で〝死ね〟と言ったのは〝文学的誇張〟だったと述べている。Wは批評の専門家であることを背景に教師業で稼いでいたのだろう。批評家として、作家や作品について、またそれを好んで読む読者にかんして〝死ね〟というような言葉でなにかが表現されうる、伝達されうると、それが〝文学的誇張〟としてなんらかの意味を持ちうると信じていたのだろうか。あるいは、テクストではそうではないが、学生向けの講義では有効な批評の言葉――〝文学的誇張〟が存在するということなのか。そうであるならば、批評を背景にして教師をやるとは、Wの中ではどういうことになっているのだろう。批評文の中で対象を〝死ね〟〝田舎者〟とけなすことで読者をプラスにせよマイナスにせよ感化することはおそらく不可能である。だが、対面ではそれが出来るとWが感じていたのだとすれば、そこにあったのは確実に批評でも教育でもないなにかだ。やはりわたしとしてはWが〝批評=教育〟と思いなしていたものは〝調教〟の一種だと考えたほうがよいと思う。調教師が発する恫喝的な言葉を大学が教育現場における表現の自由であると主張して一生懸命に守り、それに裁判所がお墨付きを与えるとはおかしなことである。

 

 

 

(2につづく)