奨学金はどうして貸金業化してしまったのか——借金が「強い個人」をつくる? 

   

 

 

——大学の管理体制の強化にともなう窮屈さとはまた別に、多くの学生は奨学金制度の問題もかかえてますよね。日本の大学の学費はめちゃめちゃたかいのに奨学金も充実しているわけではなく、「日本学生支援機構」はとりたてが厳しいことで超有名で、むしろ「奨学金借りたら人生終わる」みたいなことを学生間ではなしていました。

 日本だとこの「日本学生支援機構」がいちばん規模おっきい奨学金の制度ですけど、世界的にはこういう貸与のお金って、「奨学金」とは呼ばれないんですよね。その違いは?

 

栗原 単純明快です。借金は「奨学金」ではない、と。

 

——「奨学」してないですもんね。実際、奨学金を借りたことによってかえって苦しめられる人が続出していますね。自殺者も出ているし、奨学金にまつわる悲痛なニュースはあとを断たないです。

 

 

——もと日本の奨学金制度は、第二次世界大戦中の1943年に「大日本育英会」が発足したのが最初だそうで。

 

 

——当時の奨学金は、エリート主義ではあったし、貸与しかなかったけれど、少なくとも無利子ではあったわけですよね。それが、70年代末になると、いっせいに銀行が教育ローンを売りだした。そのことが貸金業化の流れのスタートだったんですか?

 

栗原 奨学金が貸金業化していくのは、学費の値上がりとセットです。1980年代90年代に入ってくると、学費の額が私立だったら初年度100万を超えるレベルになってくる。いきたくても大学にいけない。そういうとき、あくまで日本という国は教育にカネを出さないんですよね。大学の無償化ではなくて「奨学金の拡充」を選んだ。「奨学金の拡充」は給付型奨学金を増やすことではありません。貸与、つまり借金を増やすということです。日本の政治家はこう考えているんですよね。無償でもらえるものがあると、みんな働く意欲がなくなってしまう。だから自分でカネを出して、その返済のために働くことを教え込まなくてはならないと。教育はきほん自己負担

   

  ↑ 教育にカネを出さない国ニッポン(右端)

  

――やりたいことやってんだから、ということですよね。

  

栗原 アメリカを見習ったんでしょうね。借金をつくれば、未来の労働者をつくりだすことができるわけです。「借金を返すためには、大学を出たら就職しなきゃいけない」という強烈な意識を植えつける。そういう紐付けは、国と企業からすると二重の意味でお得なわけですよね。国はカネを払わなくてよくて、なおかつ死ぬ気で働く「人的資源」をつくることができます。

 あと99年に、大澤真幸と橋爪大三郎が「授業料をさらに値上げしろ」「年間300万円くらいまで上げるべきだ」「その資金で設備投資していったらいい人材つくれますよ」と政府に提言していました。

 

    

栗原 そのすべてを自己負担にして、学生に借金を背負わせれば、奨学金ローンだけで一大金融市場がつくれる。額としても自動車ローンよりもだんぜん額が多いわけです。マイホームのローンに次ぐ第二の金融ローン市場をつくれるから資本主義にとってもいいじゃん、ということを提言した。だから目線がもう完全に「どう儲けるか」しかなくなっていくわけですよね。

 

——こうやって教育費の負担を増やすことが「個人としての自己を配慮し、発見し、鍛錬し、向上させる」って、よくわかんないんですけど、どういうことですか?

  

栗原 新自由主義の個人像・人間像とぴったりあってるんですよね。「これからは安定した仕事というのはありません。年功序列で長期雇用でやっていけるような社会じゃない。だからそのリスクを背負って、不安定な社会を自分で乗り越えられるような“強い個人”にならなければいけない。積極的に借金というリスクを背負い、それを自らの力で克服しよう。奨学金はそういう“教育的配慮”なのです」と。

 

——ああ、だからこの人たちは「親が学費を払うことも禁止」といってるんですね。 (※ 提言では、学費はすべて学生の本人負担、もし親が払った場合には贈与税をかけるなどの罰則をつけるとしている。)

 

栗原 現状、親が払っている場合が多いけれど、でもそれはそれで子供にとっては「借金/負債」になっていくわけですからね。親の恩を報いるためには、という精神的な負い目になっていく。

  

——それわたしもすごい思っちゃってました。まわりの大学院生には、一回社会に出て学費を貯めて、それから仕事を辞めて大学院に入学するという子もいて、そのなかでわたしは恵まれているほうなんだ、と。だから、「これアカハラじゃないかな?」と思っても、「わたしは自分の好きなことをさせてもらっていて、それだけでも恵まれているんだから、弱音なんか吐いちゃいけない」みたいな自己規制がはたらいたりもしましたね。横に対しても弱音が吐けなかった。

  

栗原 ちょっとカネ払ったり借りたりするだけで、知らず知らずのうちに、意識しているわけじゃないのに「強い個人じゃなきゃいけない」って思わされている

 

——うん。自分でそう感じていただけだと思ってたけど、世の中的にそういうふうに思わされてしまうような土壌が相当前からつくられていってたんですね。

 実際、奨学金を借りてる本人だって、多額の借金を背負っていると相当プレッシャーだし、人にカネを借りているというだけでまるで自分が「ダメ人間」みたいに思ってしまう可能性もありますよね。そういう精神状態で自由に学問ができるのかというと、かなり難しいんじゃないのかな。

  

栗原 ぼくは毎日、水道の蛇口をひねったら小銭でも落ちてこないかなと、そんなことばかり考えていました。

 

——わたしもカネの心配ばっかしてたな。それで、そのあと日本はネオリベに過剰適応していっちゃって、2007年に「有識者会議」というのをひらいて、奨学金の取り立て強化へとむかい、最初に話した「ブラックリスト化」へ至った、と。

  

   

――ブラックリスト化についても、日本学生支援機構は通知書の中で「教育的な観点から極めて有意義」といっていましたよね?

 

栗原 うん、いってました。

 

——これもやっぱり、さっきの提言と同じように、借金を自分で返済させることで「リスクの自己管理」を学ばさせるってことですよね。でも、そもそも借金って奴隷制の起源ですよね?

 

栗原 古代では戦争捕虜か借金で奴隷にさせられたらしいですね。借金を返せないと「ひとでなし」。ひとでありながら、ひととして扱われない存在ですね。

 

  

栗原さん、ついに被告になる

 

——栗原さんもついに日本学生支援機構から訴えられたという話を聞きました。

 

【栗原さんの借金】
栗原さんの日本学生支援機構への借金は635万円(修士・博士課程の5年間分)。2020年をもって10年間の猶予期間がおわってしまった。滞納6ヶ月目からは延滞金5パーセントが発生するので、10年したら1000万円とかになっていく。これでも無利子なのでまだ良いほうで、有利子ならもっとふくらんでいくことになる。

 

栗原 裁判はこれからですね。いま裁判費用も加算されて652万円、一括請求されています。裁判所に異議申立書というのを書いて、これから浦和地裁で被告としてやります(笑)。

 

——被告になっちゃうんですね。

 

栗原 法律では契約関係がはっきりしてるから、負けるしかないんですよね。支援機構はやろうと思えば、一括請求できる。一応、温情として、こちらが「返す意思はありますよ」というと、プランを出してきて「月々いくらなら返せますよね?」って、20年間で返すプランというのを向こうがいくつか組んできて、それを選ばされるんです。

 

——まるで保険会社ですね。

 

栗原 いま月給が66000円なんですけど、毎月28000円を請求されています。

 

——そうとう負担じゃないですか? 払わないでいけそうですか?

 

栗原 いや。向こうは財産を差し押さえて、僕にカネがないとなったら連帯保証人と保証人にいく。人質ですよね。これさえなければ、銀行口座なんて止められても問題ないし、いざとなったら自己破産でいけるのですが。

 

——まじかー。いや〜栗原さんはなんか大丈夫な気がしてたんだけどな(笑)。そんなに取り立て厳しいんですね。

 

栗原 年間7000件とかやってますからね。

 

 

——他にやるべきことある気がしますけどね。

 

編集部 その取り立てにカネがかかってるわけですからね。

 

栗原 裁判費用でプラス2万請求されてるから、2万×7000件。

 

(・・・一同、頭のなかで計算中・・・)

 

編集部 まあ計算ができないわけですけど(笑)。

 

——ちょっと難しすぎた(笑)。

 

編集部 バカみたいな額ですよね。

 

栗原 億単位ですね。

  

(※ 正解は1億4000万円でした)

  

——こんだけリスクが高いとなると、わざわざ奨学金借りようって気軽になれないですよね。だったら「もう大学は諦める」って方向になってちゃいますよね。いったいなんのためにある制度なんだろう。

  

 

ぜんぜん「無償化」してないからそれ——「奨学金無償化」と高等教育の機会均等

 

——いま、「奨学金無償化」が日本にも導入されたといわれているけれど、対象となるのはほんの少しの人だけで、無条件とは程遠いのが現状ですよね。

 

栗原 どこまでいっても日本はケチなんだな、って思う。

 

【大学「無償化」の実態】
 2017年に給付型奨学金が創設され、2020年4月からは授業料免除もみとめられるようになった。そのことをもって政府は「無償化」といっているが、実際は審査がめちゃくちゃ厳しい。世帯収入の上限がかなり微妙なラインに設けられているし、全額免除されるには高校生のころから「進学意欲審査」なるものをうけ、自分がどんだけ「有用」かアピールし、パスしなくてはならない。  

 

栗原 ほとんどの人がもらえていないのに、なんかやったことにしてるんだよね。しかもやったことにしてると、その裏で「学費払えないから大学行くのやめます」という人たちが見過ごされていくんですよね。

 

——「無償化があるじゃん」みたいなね。そういうところでも自己責任言説が強くなっていくのかな。

 

栗原 結局、多くの人は奨学金、借金のままですからね。

 

——高校は一応、無償化ができてるんですよね。でも、高校無償化に対してすら、「金持ちにも金を配るのはおかしいだろう」という批判がある。そういう批判ってコロナの給付金のときもありましたけど、でも、特に教育だと「そもそも福祉じゃないじゃん」っていう前提があんまり浸透していないなという気がします。

 

栗原 無償化は福祉ではなくて機会均等ですからね。誰にでもカネを配る。

 

【高等教育の機会均等】
 ●国際人権規約 第13条より抜粋
 1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が全ての者に対し、自由な社会に社会的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にするべきことに同意する。
 2 この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
 (b)種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。
 (c)高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じて、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。
  
 ・・・1979年に日本も批准したにもかかわらず、中等教育・高等教育の無償化をうたった(b)(c)項は長らく留保。国連人権委員会からたびたび勧告を受け、2012年9月にやっと留保を撤回した。 

 

栗原 その発想が根づかないから、「ブラックリストの会」をはじめたころ、左翼からも怒られることがけっこうありました。まだベーシックインカムすら批判されることがあったりして、「なんで金持ちにも出さなきゃいけないんだ」とか「もっと苦しんでいる人いるだろう」とかね。「犠牲の累進性」が働いてしまう。なにをやろうとしても、もっとひどい「犠牲」があるからそっちを優先しろと。

 

——それをいったら何もいえなくなりますよね。

 

栗原 「アフリカの……!」

 

——そうそう(笑)。でも、痛みというのは確実にそこにあるんだから、絶対的なものとしてみたほうがいい気がしますけどね。

 

 

 

→インタビュー④ 内なるネオリベマインドにさようなら――貧困の切実さと経済的徴兵制