借金を返せなかったら何をやってもいいの?――経済的徴兵制

 

——栗原さんは2016年に早稲田大学でひらかれた「戦争と学生——経済的徴兵制をぶっ潰せ!」のシンポジウムにも出てたんですね。経済的徴兵制の話は、わたしは全然知らなかったんですけど、そのシンポのブックレットを読んで、末恐ろしいわと思いました。日本もここまできちゃってるんだな、って。

 

  

【経済的徴兵制】
 軍隊が国民の経済的格差を利用することで、安定的に兵員数を確保するシステム。たとえばアメリカでは、貧困家庭出身の若者が、軍隊にいくことで大学にいくための奨学金返済の大部分を国防総省に肩代わりしてもらえる制度がある。こうした志願制の経済的徴兵制では、従来のように国民が戦争のリスクを平等に負うのではなく、結果的に貧しい国民にリスクが偏ることになる。 

 

――でも、たしかに、お金をもらえるのなら自分の体や命を差し出してもいい、という風潮がけっこうナチュラルになってきているのかなって思います。ブラックバイトだって理屈は同じですよね。経済的徴兵制は日本では何年から導入されたんですか?

 

栗原 あ、日本はまだ……。

 

編集部 文科省の有識者会議で経済的徴兵制の議論がでて、実質そうなっていきそうだね、やべーぞ、というはなしを2015年あたりに日本でもしはじめて。

 

栗原 アメリカがすでにそうなってますからね。カネがない人が軍隊行って、そこでカネが支給される。その経済的徴兵制が前提としてあって、日本の自民党員が「日本でもカネがなければ/借金返せなければ、経済的徴兵制にすればいいじゃん」っていっていたのを、山本太郎がリークして問題になったりしたんです。 (※ 山本太郎の記事はこれ

 

 

――あ、そういうことだったのか。

 

栗原 まだオレ、自衛隊に送られないっす。

 

——栗原さんって速攻でやられそうですよね(笑)。 (※ 栗原さんは去年コロナにもやられている。)

 

編集部 向こうも願いさげでしょうね(笑)。文句ばっかりいうし。

 

栗原 「こいつ体が弱いから通信部隊にいれるか」といっても、「こいつスマホも使えねーぞ!」って(笑)。

 

——役に立たなすぎて送り返されそうですけど(笑)。

 

栗原 ただ、そういう議論が起こってること自体が怖いですよね。借金返せなかったら、何をやってもいいんだ、と。奴隷かよ。

 

——下手をすると学生の側も「奨学金の返済、国に肩代わりしてもらえるとか超お得じゃん」とか思っちゃいそう。

 

 

経済的な切実さの度合い——バイトすることは社会経験になる?

 

——まだ徴兵制とまではいかなくても、「借金は返すのは当たり前」とか「学費は自分で払うのがあたりまえ」という倫理観は、国とか大学側がいうだけじゃなく、学生の側にもすでに強く根づいているなって感じます。

 わたしが大学にいたころは、それをしょうがないこととして受け入れて、まじめにせっせと働いたり、倹約してた子が多かったです。カネなくてモヤシしか食ってない子とかもいた。でも、バイトすることは、社会経験になるとか、コミュ力あがるとか、プラスにとらえられることがほとんどで、わたし自身も半分はそう思ってました。たしかにわたしは死ぬほど愛想悪かったので、接客とかやって性格丸くなったのはよかったなという気はするんですが、「自活してこそ一人前」みたいな空気は強いのかも。お二人のころはどうでしたか?

 

編集部 そういう雰囲気は世の中的にありますよね。ただ、コミュ力云々という話はオレのころ(2000年代前半)はまだされてなくて、社会経験云々くらいのはなしでとまってたのかもしれない。それが認知資本主義が入ってくるなかで、「コミュ力」みたいなワードがあがってきて、そういうのが労働倫理とかと結びついて、という流れがあるでしょうからね。

 

栗原 僕が学部生のころ(90年代後半)はバイトしてる友達はいたけど、授業料を自分で払っていた学生は、いまほど多くなかったんじゃないかな。

 

編集部 やむにやまれず、というのは相対的に少なかったかもしれないですね。

 

——切実さが違うんですかね。

 

栗原 僕らの親って団塊の世代ですからね。終身雇用がしっかりしてる親を持ってる子がまだ多かった。でも、もうすこし下の年代になると違いますよね。親にマジでカネがない。だから自分で借金して大学にいくしかなくなる。

 

編集部 そこで見えてる景色が違うことは、オレらの世代とかはよくよく自覚しなきゃいけないですよね。切実さの度合いのギアがどんどんあがってるでしょうからね、いまの学生は。

 

【大学生のアルバイト目的】
 Newsweek「生活苦から『ブラックバイト』に追い込まれる日本の学生」によると、大学生アルバイトの目的の第一位はダントツで「生活費・食費」。一方、1990年代前半から「旅行・交際・レジャー費」は激減しており、「授業料・学費」は右肩上がりとなっている。

 

 

借りたものは返せないと宣言しよう!

 

——わたしの後輩にも、ほんとうに勉強が好きで研究がしたくて大学院にいきたいけど、お金がないからしばらく働くことを選んだ子がいました。でも、そうやって時間かけて、お金ためて、やっと入った念願の大学院で、もしハラスメントにあってしまったら、そう簡単には声をあげられないだろうな、という気がします。

 

栗原 本当は矛盾しているはずなんですけどね。「強い個人をつくる」はずなのに、大学のなかで文句をいえなくなる。

 

——本来それが強さではないですよね。

 

栗原 逆にいうと、その強さというのが、どんなハラスメント受けても何もいわないで我慢する強さ、みたいな。

 

——『巨人の星』みたいなね(笑)。それってむしろ超古いんじゃないかな、

 でもなんというのかな、つまり、いろんな側面から学生ってイジメられているわけですよね。学費にしても、奨学金にしても、就活にしても、管理体制の強化にしても。学生たちにとってものすごく重要なことが、学生たちのいないところで「有識者会議」とかで決められて、勝手に制度化されたりしている。

 そういう制度って一度できちゃうと「文句いったって勝ち目ないし」って諦めてしまいがちだけど、やっぱり「こんなのおかしいよね」と思ったら、ひとりひとりができる範囲でねばっていく、大学や国といった権威側の用意した枠組みそのものにたいして、まずは素直に従わない、お前らのいうこときかない、みたいなことをやっていいような気がします。

……ということを、きっと栗原さんはお手本としてわれわれに示してくれたのかなって思ってるんですが(笑)、そういう個人の少しずつの動きが、案外成果をだしているし、栗原さんみたいにねばってねばって文句いって、最終的に負けることになったとしても、ひとりひとりがちょっとでも抵抗することはむだじゃないんじゃないかな。

 

  

――というのも、そこですんなり受け入れてしまうと、外部にあったはずの価値観が、いつのまにか自分の中に内面化されている、そのことのほうが怖いことなんじゃないかなって思うんです。

 奨学金にしても、「オレは頑張って払ったのになんであいつは返さなくていいんだよ?」みたいな感じになってしまうし、ハラスメントの問題でも「わたしはもっと耐えてきたのにあんたはその程度のことでなにいってんの?」という二次被害になる。

 そういうマインドが、さっきはなしたような大学院内でギスギスした感じを加速させることにつながっていっちゃうのかなって。みんな大学や国からイジメられてるだけなのに、そういう内なるネオリベマインドによって、本来連携できるはずの横の関係が断絶されてしまうことが一番悲しいことなんじゃないかなって思います。

 

栗原 そういうネオリベマインドをたたき潰すために、なんどでも言いたいですね。「借りたものは返せない」。

  

 

 

→インタビュー⑤ 大学とはどういう場所だったのか——知識のヒエラルキーではなく共同財へ