5   二人で食事へ(2015年秋)

 

 大学院にはわたしと同じ年代で、わたしと同じ様に創作者を目指している人がたくさんいました。創作の経験が長い人がほとんどで、なかには██くんのようにすでに作家としてのキャリアをもっている先輩もいました。先輩たちは論系室に集まってよく互いの作品を読み合っていました。わたしも詩を書いていることを告げるとぜひ読みたいと言われ、恐る恐るいくつか作品を渡しました。はじめはW氏に講評された時と同じく罵倒されるのではないかと怖かったのですが、実際にはこき下ろされることも笑われることもありませんでした。上手くいっていないところは指摘されたけれど、経験が浅いからといってわたしのことをバカにしたり全否定したりしてくる人はいませんでした。「君はこういうところが得意だからそこを伸ばしていったら?」などと具体的に役立つ意見もよくもらいました。わたしの好きな海外文学に精通している先輩が多いのも幸運でした。「こういう賞があるから出してみたら?」というアドバイスももらったし、一緒に応募してみたりすることもありました。わたしはそれまで創作仲間というものを持ったことがなかったので、互いにライバル関係にありながらも励まし合えるような、こうした環境に身をおけることをとても嬉しく思いました。書いたらすぐに誰かに読んでもらって意見をもらうことのできたこのときの経験は、今でもものを書く上で大変役に立っています。

 また、まだ聴講生だったわたしは図書館や自習室に入ることが許されていなかったため、論系室は寒さをしのいで温まる憩いの場でもありました。食事もとれるし、大量に所蔵された本を読むことも、PCを使うこともできました。のちのち必要となってくる組版や製本の技術なども、論系室にいた際に教えてもらったことです。この頃から同人誌に誘われたりして、作品を発表していくようになりました。

 ただし、作品を書いているということはW氏には決して言わないようにしていました。前回の講評で懲りていたし、W氏は学生が詩を書いていると知ると、わざと恥ずかしがらせるために他の学生たちの前で朗読させるという噂でした。また、W氏は、わたしが論系室で先輩達と話をしていると睨んだり、急に「研究室に来い」と連れ出すことも度々あり、授業以外でもW氏に行動を監視されているような窮屈さがありました。そうしたなかで、日常でも「これをやったらW先生に怒られるかな」と考えてしまう意識が内面化されていったように感じます。このように、被害者がどこにいっても加害者の視線から逃れようがないように感じ、加害者がそこにいない時でも、見張られ、命令され、罵倒されているように感じるというのはDV被害者の特徴とされています(宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』157頁、みすず書房、2018年)。

 それでも、11月のあいだはW氏との関係も比較的良好であるように思えました。ある日、空き時間にキャンパス内のカフェテリアで食事をとりながら勉強していると、やってきたW氏が向かいに座って、調子はどうかと尋ねられました。わたしが苦笑して「全然ついていけない」と本音を打ち明けても、W氏は怒ることはなく「焦らなくていい」「全部を理解しようと思わなくていい」と言いました。

 前回質問をしに行ったことで、W氏は直接話せば真摯に答えてくれると思い、わたしは自分からも積極的に研究室へ質問しに行くようになりました。5限のゼミのあとに質問にいって話が長引いたりすると、大学の近くの店に連れて行かれる機会も増えました。そこでわたしはメモを取りながら質問の続きをしました。店はフォレスタかサイゼリヤ。どちらもカジュアルな学生向きの店です。大抵先輩や知り合いがいて、わたしがW氏と一緒にいるのを目にすると彼らの顔は緊張し、後で「よくW先生と二人で話せるね、怖くないの?」と言われました。「聴講生なのに一人だけW先生に目をかけてもらえて羨ましい」と言われることもありました。わたしはそう言われてはじめて、二人きりで食事に連れて行かれる院生はあまりいないのだと知りました。

 教授と学生——それも異性の学生——が2人きりで食事に——それも夜分に——行くということに、はじめは驚きましたし、前に在籍していた██大学の教員とは絶対にあり得ないことでした。でも単純に学風の違いなのかな、と思っていました。また、大学院だと教員と学生は師弟関係に近く、基本的に個人指導ですから2人で食事に行く流れになっても変ではないのかと思い、当時のわたしはこのことをあまり深く考えないようにしていました。

 けれども今考えれば、他にも学生がいるにもかかわらず特定の学生だけが食事につれていかれるというのはやはり公平ではありません。そのようないびつな関係性は、「依怙贔屓」にたやすくつながり、他の学生たちにも「依怙贔屓されている人」と見られます。

 W氏は『映画芸術』(乙イ1)において、「僕は確かに依怙贔屓をします」「文芸批評というものが依怙贔屓の固まりじゃないですか」と居直り、特定の学生に対して私的な用事を頼むという明らかなアカハラについても、「依怙贔屓」したお気に入りの学生と関係性を深めたくて、ゆっくり話をして、接点を増やしたかったなどと述べていますが、要は自分の私的な領域に学生を引き込んだわけであり、これがセクハラに転化することは容易に考えられます。

 また、『性暴力被害の実際』(甲58)では、性暴力被害が発生する前段における加害者の動きとして、「セクハラ、モラハラを行う」「飲酒させる」「密室を作る」という行動が挙げられています。2021年7月に起こった早稲田大学の助教が強制わいせつ容疑で逮捕された事件も、教員が女子学生を酒の場に二人きりで誘った末に生じたものでした(甲65の3)。W氏のように「僕は確かに依怙贔屓をします」などと開き直るのではなく、セクハラの発生しやすい環境を事前に防いだり、学生の教育の機会が不均衡になることを避けるべく、大学・教員側が意識的になることは重要だと思います。

 しかし当時のわたしは、9月~10月の「厳しい」授業を自分がなんとか耐えられたことに安心してしまっていました。わたしはちゃんとあの「試練」を抜けきった、もうあそこには戻らない。戻りたくない。だからW氏の機嫌を損ないたくなくて、わたしは食事に誘われても断ることはありませんでした。 

 

 

 


6 車内での接触(2015年12月3日)

 

 12月3日、大学院のWゼミの課外授業として、下北沢で行われる「文芸漫談」というイベントに各自参加することになりました。

 4限後に早稲田駅から移動し、井の頭線に乗車したわたしが発車を待っていると、発車間際にW氏が同じ車両に乗ってきました。W氏はわたしに気づいて驚いたようで「わっ!」と声をあげ、わたしの目の前に立ちました。帰宅ラッシュで車内はすし詰め状態でした。下北沢駅に着くまでW氏とずっと身体が接触していて不快でしたが我慢しました(甲8の1.セクシャルハラスメント)。

 下北沢に着き、イベントまで時間があったので、わたしはW氏に連れられるまま駅近くのカフェに入りました。W氏は機嫌が良さそうだったので、わたしは前日聞いて感銘を受けた講演の話をすることにしました。アメリカ文学者で翻訳家の柴田元幸さんと、アメリカ人作家レアード・ハント氏らによる、小説におけるさまざまな「声」についての講演です。

 この頃のわたしは、W氏の授業で強く否定され続けたことによって、受験当初の希望であった「村上春樹や河合隼雄の思想にもとづいて創作を行う」という形での修士論文をかくことは難しいだろうと半ばあきらめ、どのようなテーマならW氏に許可してもらえるのだろうかと日々悩んでいました。そんなときに、前述の「声」にまつわる講演を聞いて可能性を感じたのでした。

 しかし、わたしが話し終わらないうちにW氏は「まだそんなこと言ってる奴がいるのか。50年くらい遅れているな」と吐き捨て、不機嫌になりました。それについての理由も解説もなく、わたしにはなぜそのテーマが批判されなくてはならないのかまったくわからないままでした。W氏にはこのように急に機嫌が悪くなることがよくありましたが、一緒にいる場で理由も言わずに不機嫌になり、反論を封じ、相手に忖度することを強いるのは、典型的なモラルハラスメントの一つです。結局、気まずい空気の中、W氏が指導教員である限りわたしは自分の希望の研究ができないかもしれないと意気消沈することになりました。

 会場につくとW氏から、入場料を払ってやると言われました。わたしはこの時点では、ゼミ受講者はみな入場料を免除されるのかと思っていました。会場に行き、会えたのは先輩一人だけでした。みんな修論の執筆に忙しくて来なかったのだと思います。

 漫談が終わると、わたしは先輩と会場を出ました。先輩は「授業なのになんで入場料払わなくちゃいけないんだろう」と愚痴をこぼしていました。わたしがうっかり「え、払ったの?」と口をすべらせてしまい、W氏に入場料を払ってもらったことを知られると、先輩は不公平だと不満を口にしていて、わたしは申し訳なくなりました。

 わたしは在学中、先輩たちに意地悪をされたり嫌なことを言われたりしたことはほとんどありません。しかし、みんな口にしなくとも、W氏がわたしだけをえこひいきしていると感じていたと思います。一人だけ食事につれていってもらい、教科書や本を無料で与えられ、イベントの入場料を払ってもらっているのがわかるわけですから、経済的に苦しいなかで必死に勉強している他の学生にとっては「なんで彼女だけ特別扱いなんだろう?」と不公平感を覚えるのも当然だと思います。

 このように特定の学生だけを優遇することは、他の人々に嫉妬の感情を呼び起こす可能性があります。また、外から見ればその教員と学生の関係性は「良好」であるように映るため、のちのちその学生が被害をうけても第三者に理解されてもらえずに孤立することにつながります。

 実際、このように周囲からは「関係良好」と思われているなかで、セクハラ被害がはじまることとなりました。

 

  

 

7 学会打ち上げでのセクハラ(2015年12月12日)

  

 12月12日、わたしは現代文芸コースの学会に出席し、その後フォレスタで行われる飲み会に参加することになりました。学会が終わってすぐに先輩と一緒に店に向かい、奥のテーブルの端から2つめの席に座りました。わたしの右隣にはWゼミの先輩、左隣には██ゼミの先輩が座り、わたしの正面にはHゼミの先輩、その右にはPゼミの先輩が座りました。このときにこの席から撮った写真はいまでも残っています。

 学生と教員とはテーブルが別でした。わたしが先輩たちと話していると、W氏に大きな声で名前を呼ばれました。振り向くとW氏と作家の██氏が背後に立っていました。██氏は翌年度から教員としてこのコースで教鞭をとることになっていて、さきほどの学会でも講演をしていました。W氏は、わたしを██氏に紹介しようとしたのか、「この子、俺のところ(ゼミ)だから」といいました。それは、わたしという一人の人間を紹介したというよりは、わたしがW氏の所有物であることを見せつけるかのような言い方に聞こえました。おまけにW氏は「この子」というとき、わたしの頭を指で押してきました。わたしは避けましたがW氏はさらに強く押してきました。もはや痛みを感じるほどでした。相当酔っているな、と思いました。

 ██氏との挨拶を軽く終えて、また先輩たちと元の話に戻ると、突然W氏がわたしの左隣の席に割り込んできました。びっくりしました。どうして先輩たちと楽しく話しているところを邪魔してくるの? 教員はあっちでしょ? と思いました。学生たちの席に割り込んでくる教員なんか他にいません。あまりにもW氏が無理矢理だったので、左側に座っていた先輩は苦笑いしながら席を立ってW氏に譲りました。W氏は「お前さ」と言いながら、再びわたしの頭や肩や腕を指で強く押してきました。わたしはあからさまに体を反らして避けましたが、席は狭く、逃げ切ることはできませんでした(甲8の1.セクシャルハラスメント)。

 その様子を見て笑っている人たちもいたので、W氏がわたしの体を触り、わたしがそれを全力で避けている模様は、周囲からはふざけているようにしか映らなかったのかもしれません。でもわたしは本気で嫌でした。誰か助けて、と思いました。しかし学生のテーブルなのだからまわりには学生しかおりません。教授に「やめなさい」などと注意できるような学生はいません。わたしは結局、W氏がその席からいなくなるまで触られ続けました。

 この日触られたことは生理的に耐え難いものでした。翌日の日記には「Wせんせいは酔うとめんどくさい 酔った男の人がムリ スキンシップもムリ」とその拒絶感を吐き出しています。しかし、酔っぱらった教員に執拗に体を触られるということをそれまで体験したことがなかったため、どのように対処したらいいのか、当時のわたしにはまったくわかりませんでした。 

 

 

 


8 「病気」いじり(2016年1月22日)

 

 修士2年の学生は1月の頭に修士論文を提出し、その審査として1月後半に口頭試問がなされます。他の学生や教員もみな見ている場で行われるため、口頭試問のことを先輩たちは「公開処刑」と呼んでいました。わたしも出席するようW氏からは指示されていました。

 1月22日、口頭試問の教室にいくと、前に長テーブルがあり、3つ椅子が置かれていました。時間になると、それぞれ主査の教員が中央に座り、その両隣に副査の教員が座って、その正面に学生が向かいあわせに座りました。はじめは淡々と行われていましたが、Wゼミの先輩の番になったとき、空気が重くなるのを感じました。W氏からも副査の教員からもかなり厳しい言葉が続きました。たとえ自分が攻撃の対象とされていなくても、誰かが大勢の前で強い口調で無抵抗に批判されるのを聞いているのは辛いことでした。かつて█期生の██さんが口頭試問の場でW氏らから「君はここに来るべきではなかった」「この3年間はまったくの無駄だ」「この研究は意味がない」「なにも成長していない」などと人格否定の言葉や罵声を浴びせられたという事実(甲23)も容易に想像できる雰囲気でした。

 口頭試問が全て終わると論系室で打ち上げが始まりました。教員たちもみな参加していたので、わたしにとってはそれまで話したことのない教員たちとも話ができるめったにない機会でした。しかし、ろくに喋らないうちに、W氏が「飲みに行くぞ」と声をかけてきました。Wゼミで飲みに行くのかと思いきや、呼ばれたのは2人だけ——わたしと先輩1人だけです。さきほど口頭試問で厳しく批判されていた方の先輩は呼ばれていませんでした。正規の学生で、しかも卒業を目の前にした先輩を呼ばずに、代わりにただの聴講生であるわたしを呼ぶなんて、その先輩を仲間外れにしているようでうしろめたく感じました。

 大学の近くの居酒屋にいくと、W氏はすぐに飲みはじめ、仲間外れにしたその先輩への批判をはじめました。批判するのなら本人に言えばいいものを、W氏は本人不在の場でぶちまけました。さきほどW氏は、わたしを指導するという名目で打ち上げの場から連れだしたのですが、口から出てくるのは先輩の悪口ばかりでした。W氏はしまいにその先輩の個人情報をばらした上で、あいつは「病気」だといいはじめました(甲8の2.不適切な情報管理)。「病気」という言葉をいったいどういう意味で使っているんだろう、そんなことを本人がいない場で第三者に勝手にペラペラ話してしまっていいのかと、わたしは疑問に思いました。たとえ本人がいたとしても、誰かが「病気」だなんて軽率に話すのは社会人としてアウトです。だいたいそんなこと聞きたくありません。その場にいない先輩の悪口を聞かされるのはうんざりでした。わたしは先輩をかばいました。でもそれは火に油を注いだだけでした。

 W氏の攻撃の矛先は、やがてわたしへ向かってきて、いびりへと変わっていきました。俺は今回みたいな目には二度とあいたくないんだよ。あいつみたいに失敗しないようにお前はちゃんと勉強しろよ。お前がちゃんと修論かけるのか不安だよ。頼むから俺を失望させないでくれよ。お前大丈夫なのかよ。俺はお前のことが不安でしょうがない。しっかりしてくれよ。だってお前も「病気」だろ?お前「病気」で大学はちゃんと卒業できたのかよ。「病気」だったから大目にみてもらったのか? そういう勝手なことを言われたと記憶しています。わたしは隣にいる先輩に、わたしのプライバシーに関わるかもしれないことを知られたくありませんでした。指導の場で聞かれたから答えざるをえなかっただけなのに、わたしやわたしの家族が一生苦しんでいるような問題を、まるで酒のツマミのように軽々と他人に話してしまうその無神経さに頭にきました。一応W氏のことを教員として信頼して話したにもかかわらず、その信頼を大きく踏みにじられて屈辱を感じました。でもW氏はわたしをいびりつづけました。大学院に入ることを学部生がなんて言ってるか知ってるか? 「入院」っていうんだよ。「病気」のやつばっか。わたしは一刻も早くこの話題が終わるように念じながら、聞き流すようにつとめました。

 W氏の攻撃は止まりませんでした。「お前、家族とはうまくやってるのか?」と、いきなりわたしの家族のことに話題を振ってきました。わたしは自分の家族のことには絶対に他人に踏み入られたくありませんでした。しかしW氏は踏み込んできました。「お前は病気だから家族に迷惑かけてるんだろう?」といいました。

 それが限界でした。わたしは立ち上がってトイレに入りました。涙がこらえられず、怒りで体がぶるぶると震えていました。これほど誰かに対して真剣に腹が立ったのは久しぶりでした。そのまま席に戻ったら殴りかねなかったため、しばらくトイレにこもったまま気を沈め、深呼吸をして涙を拭きました。よっぽど帰ってしまおうかと思いましたが、そういうわけにはいきません。わたしはまだ入学すらしてないのです。このままこの場を去ったら入学の道も閉ざされ、ここまでの努力が水の泡になるでしょう。わたしが席に戻ると、隣にいた先輩が「大丈夫?」と聞いてきました。たぶんわたしは結構長いあいだトイレにこもっていたのだと思います。W氏はわたしの顔をみて、「お前は意外と感情が表に出るやつだな」と笑っていました。W氏はしゃべり続けていましたが、わたしは黙りこんでいました。一言でも発したら涙がこぼれ出そうでした。

 W氏がトイレに立ったとき、隣の先輩がわたしにそっと「愛想よくね」といいました。ショックでした。庇ってくれないんだ、と。でも先輩の立場からしたら仕方のないことだったのだと思います。怒らせると余計めんどくさい事態になることは目に見えています。わたしは頷きました。W氏が戻ってくると、わたしは酒を追加して飲みました。酔いの力を借り、気を奮い立たせて、W氏にはっきり不満をぶつけてやろうとしました。「先生は食べ方が汚い」「先生は声がでかすぎる」などとW氏の欠点を並べ立てるわたしに、はじめのうちW氏は「お前はかわいいなあ」「かわいいんだよ」と笑って悦に入っているようでした。でもわたしが「先生はあまりに主観でものを言い過ぎる」と指摘すると、途端にW氏は激昂しました。W氏は長広舌を奮い、先輩がなんとかなだめました。それでわたしは懲りて、それからはW氏の機嫌を損ねないように無難な話をしました。

 3人が会計のために席を立った際、わたしが冗談で「寄付してください」と言うと、W氏は「キス?」と言って顔を近づけてきました。ぎょっとしました。さすがに冗談だとは思いましたが、W氏は相当酔っていたので、危険を感じてわたしは足早に店を出ました。これ以上W氏とは一秒も一緒にいたくありませんでした。わたしは普段早稲田駅から地下鉄を利用していましたが、W氏と同じ電車にのりたくなかったので、先輩と一緒に高田馬場駅まで歩こうとしました。W氏は「お前なんで高田馬場なんだ? 早稲田からじゃなかったか?」と大声で言っていましたが、わたしは振り切って先輩と一緒に逃げました。そうして歩きながら先輩と愚痴を言い合いました。その先輩はよくW氏に雑用に使われていましたが(甲47)、顔には出していなかったけれど内心はやっぱり嫌だったんだ、とその際に知りました。

 W氏は、この日のことについて単純に「覚えがない、否認する」としか述べてきていません。彼にとっては記憶にも残らない些細なできごとだったのでしょう。しかし、わたしはこの日の出来事によって、W氏という人間への信頼を大きく失いました。このうえなく不愉快な出来事だったので、当時の日記にも残っています。あまりにも失望したために、それまでは「W先生/せんせい」と書いていましたが、この日以降から呼び捨てになっています。

 

「Wとは二度と飲まない

せめてのんでないときだけ。」

「ずっともやもやしている」

「Wがとても頭にきた」

「Wに失望している

(…略…)

『病気』であることを生徒にいっては絶対にダメだろ。██さんのことも。私のことだって██くんの前でいうべきではない。」

「『迷わく』ってなに? 病気だとめいわくなのか? かんぜんに差別(略)」

「Wは自分によっているだけ(略)」

 

 それと同時にわたしはこんな人間のもとで今後勉強していけるのか不安になりました。

 

「Wに失望している

行くしかないから行くんだろうけど

入学してやっていけるのかなあ。」

 

 1週間後の1月29日の夜分、W氏から突然メールが来ました。「春休み期間にかんして連絡したきことあり。電話ください」とのことでした。先週のこともあり、もう遅い時間なのに電話をするのは嫌でしたが、それまでも電話がかかってきて出ないとあとから「なんで電話に出ないんだ?」などと詰問されることもあり(甲8の3.その他のハラスメント行為)、無視したらさらに嫌なことをされるだろうと考えると、わたしは電話せざるをえませんでした。内容は「春休み中にレポートを書いてこい」という簡素なもので、わざわざ電話を使わなければならない必要性は感じられませんでした。もちろん先週の失言に対する謝罪など一言もありませんでした。 

 

 

 

第3 入学〜