東京地方裁判所 民事第49部甲A係 御中
意 見 書
2022年5月30日
広島大学ハラスメント相談室准教授
北仲 千里
2017年に早稲田大学文学学術院現代文芸コースにおいて発生したW教授(当時)によるハラスメント行為及びこれに対する早稲田大学の対応について、原告から意見を求められましたので、末尾記載の訴状、答弁書、準備書面、当事者の苦情申立書、陳述書、大学関係者の陳述書の資料を参照のうえ、以下に意見を述べます。
私は、1996年頃から、キャンパス・セクシュアル・ハラスメントの被害者支援に関わるようになったことをきっかけに、現在まで約26年間、民間団体の支援員や、大学の相談室の相談員として、セクシュアル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント、様々な性暴力やストーキング被害、そしてドメスティック・バイオレンスの被害者支援にかかわってきました。また社会学研究者として、こうした問題についての理論研究や実証研究も行ってきました。現在は、広島大学ハラスメント相談室准教授として(2007年より)、専任のハラスメント相談員業務及び教育・研究に従事する傍ら、NPO法人「性暴力被害者サポートひろしま」代表理事として、広島県の性暴力ワンストップセンターの運営や被害者相談支援に関わっています。また、キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワークの全国事務局を担っております。そのような活動において多くのハラスメントのケースを見てきた立場から、本事案についての意見を述べたいと思います。
本訴訟の事案は、キャンパス・ハラスメントの典型的な事例ともいえるものであり、これは一人の教員がたまたま起こした事件なのではなく、それを可能にさせた状況が早稲田大学にもあったのではないかと思われます。そこで以下、第一にこのような「弟子の囲い込み」のプロセスは、まさに典型的なアカデミック・ハラスメントであり、単なる「俺の女になれ」発言等のセクシュアル・ハラスメント部分だけを見て判断すべきではない悪質なものであること、第二にこれを助長してしまった当該学術院当該コースの運営状況があったのではないかと思われることについて述べ、第三に、大学としての対応に関し感じることを述べたいと思います。
1.はじめに、理解を容易にするために、典型事例を示してみたいと思います。
この「典型事例」は、これまで筆者の友人が経験したものや、全国からの相談ケースの中であったものなど10個ほどのケースを参考に構成したものであり、特定のケースの情報を書いているわけではないことをお断りしておきます。
【典型ケース例】 MはB大学卒業後、社会人として就業してきた女性である。もっと学びたいという思いを以前から抱いてきて、ある時家族に起こった出来事がきっかけで、仕事を減らし、大学院に進もうと決心した。Mは障害のある子どもに対する差別や社会的排除の問題について研究してみたいと思っていた。大学では家政学専攻を卒業しており、障害児問題の研究についての知識はあまり持っていなかった。地域の名門で総合大学であるC大学のウェブサイトを見ると、学際的な大学院のコースが新設されたことが書かれていて、ここなら社会人の自分でも入りやすいのではないかと思い、担当窓口に問い合わせてみた。しかし、「専門が近い教員は1名しかおらず、その教員は今年は院生を受け入れることができない」という回答が来て、諦めなければならなかった。諦めきれずに読書会などで面識があったC大学教育学部の教員Yに相談してみたところ、教育学研究科のR先生であれば助言をもらえると言われた。R先生は、言語教育が専門だが、MはまずはR先生に相談して他にどんな教員がいるのか教えてもらいたいと思い、R先生にコンタクトを取り、会いにいった。するとR先生はMを自分のところで受け入れる、教育という切り口からMが希望するテーマについても考えることができるというようなことを話され、R先生を受け入れ教員として入試の出願をするような流れになってしまった。R先生は「入試はまだだが、来週からゼミに出てきたらいい。」と言った。思ってもみなかったことだったが、ありがたく受けるべきなのだろうと考え、断る理由など見つからなかった。翌週からゼミに行ってみると、留学生のマスターの院生1人と、学部生が2人しかおらず、ドクターの院生はもともといなかった。ゼミの内容はMにはあまり理解できず、マスターの院生のゼミ発表に対するR先生の辛辣な批判をただ聞いているばかりで苦痛だったが、我慢して通いつづけた。 大学院に入学してみると、マスターの院生は、修士論文執筆のために来なくなり、毎週のゼミはMとR先生の2人だけになった。R先生はゼミで言語教育についての英語文献を1章ずつ読み進めるよう指定した。英語が得意でもなく、背景知識も持っていなかったので、その文献を読むことはMには大変なことで、かなりの時間をそのことに費やし、毎日院生室で夜遅くまでとりくんだ。 先生は、Mが毎日院生室に来ていることを望み、院生室に電話をかけて確かめた。「アルバイトをさせてあげる、勉強になるから。」と言って先生の講義の資料を作るように言われたり、学部生のテストを先生の指示通りに採点したり、車で先生の講演先まで送っていったり、先生の研究室の掃除、先生の歯医者の予約やオンライン会議の手伝いも行った。ゼミの後や夜遅くまで院生室で勉強していると、先生は、「お疲れさま」と言って、夕食に誘い、おごってくれたりした。食事の場では、彼女の離婚のことやこれまでの生活のことなど、かなりプライベートなことを聞き出され、しかたなく話してしまった。そして、3度目には、居酒屋に誘われた。2人きりで酒の席に行くのは躊躇われたが、Mはとてもいやだとは言い出せなかった。居酒屋で酔ったR先生は、露骨に性的な話題を出し、体を近づけてくるようになった。Mは嫌悪感を覚えたが、先生に下心があるなどと思う方が失礼なのかもしれないと思い、混乱した。 ゼミの中でも、居酒屋でも、先生の話の大半は、他の教員らの悪口と、自分の自慢話だった。もともとMが関心をもっていた障害児差別の話をMがすると、「差別なんていうのは偏った思想だ、運動のスローガンだ、そんなのは学問じゃない。」と大きな声で頭から否定された。そして、研究計画を作って見せにいっても、「こんなのは学問じゃない」「あなたは、研究に必要な基礎知識がまったくない。実は他の教員はあなたを大学院に入れるのに反対したが、僕が面倒みるからと言って入れたんだ。」とたびたび話した。否定するばかりで、R先生からはどのような研究をすればよいのかの指導は無かった。数カ月たっても1冊の言語教育の外国語文献を読むことだけしかしていないMは、途方に暮れ、他の教員の教育社会学の講義も受講してみようと考えた。ところが、R先生はそれを知って激怒し、その受講は許可しないというメールを送ってきた。そのメールを読んでからMは、眠れない、しばしば涙がとまらない状態になり、大学に行けなくなった。先生からは電話やメールが来るが、先生からのメールを開くことも恐怖に感じるようになった。
このような被害が残念ながら各大学で起きているのですが、このタイプのアカデミック・ハラスメントには次のような特徴があります。①他大学、他分野(または他国)からの大学院等への進学であること(自信がない、勝手がわからない)、②他の研究室の教員や他の学生らとは切り離され孤立し、指導教員と1対1の関係の中に囲い込まれてしまうこと(問題が起きていても発見されにくく、学生本人もこれが正常なのか判断できない)、③学生が学びたいことが尊重されない、学生の研究の見通しが立たない(教員の側が教えられる専門性を本当は持っていない、誠実ではない、=別の動機でこの学生がほしかった)、④秘書や下僕のように、私的に使われる(「勉強になるから」と言う言葉によって、本来教員が学生にさせてもよい仕事なのかの基準があいまいなまま、長い時間様々なことにつきあわせ、従わせ、公私や教員学生の関係の境界線が侵されていく。とくに答案の採点などの不正行為を手伝わせ、その責任にまで巻き込まれていく)。
こうして、学生は孤立し、自信を失い、先生の身勝手な雑用の指示にふりまわされ、自分は何をすべきで本当は何を研究したかったのかもわからなくなっていきます。加えて、⑤男性教員と女性の学生との時には、非常に多くの場合、これにセクシュアル・ハラスメントが伴います。
このような教員の行動は、大学院生の教育という目的から大きく逸脱したものです。研究指導放棄(ネグレクト)や学生への精神的虐待、私的な奉仕の強要というアカデミック・ハラスメントを行うだけでなく、性的な対象として学生をみている、つまりその意味でその女性の学生をまったくバカにしているということにもなります。たとえ、学生の側に基礎的な知識や学力が無い場合であっても、それならば指導を引き受けなければよいのであって、学生のためを思い、教員として誠実に接する態度とは程遠いものといえます。
さて、長々と「典型ケース例」について説明してきましたが、本訴訟のケースも、こうした事例と似ている部分が多いように思えるのです。2.で述べるように、入学の際の「弟子入り」のプロセスは普通ではありません。そして、学生本人が学びたいことが尊重されず、こきおろされ、自信を失うような状況に追い込んでいます。「俺の女になれ」という発言の前に、大学の調査によっても、電車やエレベーターでの身体的接触、授業中の着替えの指示、1対1での食事やその席での食事の「シェア」、私用依頼など一連の行為があったことが認められており、これらは典型的なハラスメント行為と言えます。被告W氏はこれらをハラスメントと理解していないようですが、早稲田大学のガイドライン等に照らしても疑問の余地はないもので、早稲田大学の研修の不徹底を示すものです。ハラスメントは教員の側が意識的であるか無意識的かを問わずに問題とされるものであり、「明確な意図はなかった」ということは弁解としては成り立たちません。2人だけの食事につきあわせ、個人生活について立ち入り、性的な対象としてみているような発言や態度をとっており、さらに学生の敬愛する作家・学者やその作家・学者を慕う学生を罵倒することにより精神的に囲い込んだ上で、いじめるなど、まともな教員と学生との指導関係からは逸脱した関係が作られていったように見えます。ここで言う「精神的に囲い込む」とは、特定の教員等指導者からだけ情報・教えを与えられ、その是非が判断できないような孤立した関係性を作り上げ、したくないことをするよう指示されたり、苦痛なことをされてもそれに疑問を抱いたり、逆らったりできないような支配状態に置かれることを表しています。
そもそも大学院生と大学教員の関係性は、まさに「弟子入り」であり、狭義の学問の教えだけでなく、研究スタイル、研究観、人脈形成など様々なものをこの中で得ていく類のものです。たしかに「ああいう研究は意味がない。」とか、「この作品はクズだ。」という見解を大学教員が述べたとしても、そのこと自体は問題ではありません。ただそれは、そうした辛辣な批評や厳しい教え方は、教えを受ける者がその師匠を信頼し、そのような批評の感性を身につけたいと望んで、納得した上でなされるなら、ハラスメントにはならない場合があるという意味です。本件のように、自主的に選んだものではなかった原告にとっては、そうした否定は苦痛を与えられるものだったでしょう。まして、批判する作家・学者を慕う者までも罵倒するとなればなおさらと思われます。被告W氏は原告が敬愛する作家を嫌っており、評価していないことはよく知られていました。その被告W氏が原告が希望していないのにわざわざ原告の指導教員になり、そこで、その作家や作品こき下ろすというのであれば、これはいじめです。「不良枠」と周囲から呼ばれているような、「W教授好みのタイプの外見をした女子学生」を選び、「教育し直すために入学させ、自分のゼミの所属とした」ということは、いじめて自信を失わせ、根性を叩き直して、恋愛に似た関係性を作り教員が自分色に染めるようなことを志向しているものであり、むしろ指導教員の立場を悪用して積極的にいじめをおこなった加害者と言えます。
2.加えて、今回のケースの場合は、一般的な大学の慣行からして、いくつか特異な状況があり、それが問題を助長することになっていたのではないかと思われます。
大学院で原告が希望した「創作」分野の指導教員を選べなかったことについて、被告W氏は、「人数の関係で希望通りの指導教員にならないことがある」と弁明していますが、だとしても、本事案での経緯は、多くの大学で通常行われるやり方と比べてとても正常とは思えません。
そもそも、大学院は、専門的な内容を研究していくところなので、自分の学びたい分野やテーマの指導が受けられるかどうかは決定的に重要です。自分が指導できないような専門分野を希望する学生は、まず受け入れないのが誠実な教員の態度です。だからこそ、外部から受験を志望する学生は事前に挨拶に行き、受け入れの内諾をとることが、とくに研究者を輩出している研究中心の大学では慣習としてあります。学部の学生の場合は確かに希望通りの研究室に入れない場合はあります。例えば人気が集中する研究室は成績基準等によって選抜されます。ただその場合でも、基準は明確に示されるし、希望通りにならない可能性があるのなら、第三、第四希望まで書かせた中で調整されます。
本件の場合は、原告は創作をやりたいと希望して入学し、それを伝えていたのですから、もし第一希望の教員に人気が集中した場合でも、同じ創作の指導ができる他の教員にすることができるでしょうし、また、本人に「〇〇先生が指導教員になるがそれでよいか」というような意向確認はすべきでした。本人に意向確認をせずいつのまにか被告W氏が指導教員に決まったのだとすれば、被告W氏が「この子は自分がもらう」と他の教員に言ったからではないかと推測されます。
また、合格が決まる前に声をかけ、ゼミに出るようになったのは、典型ケース例にもあるように、よくある話ではあります。正式に入学していない学生もゼミの参加を許すということはそれ自体は問題ではありませんが、あくまでそれはそのゼミを受けたいと自発的に望んだ場合です。しかし、典型例にもあるように、先生に言われて断ることもできず、なりゆきで出るようになっていくということが起きており、それはなし崩し的に、正式な組織決定を経ずに、自分のところに囲い込む手段となっています。
そう考えると、このように通常ありえないこと(女子学生の選別や、親密になり精神的に囲い込むという教員と学生の関係)が行われ、被告W氏がこのような行動をとることを他の教員も知っていて、同コースではそれを黙認して指導学生の割り振りを決めていたのではないかと思われます。「現代文芸コースは、博士後期課程をもたない修士課程のみからなる点を特色としている」と大学のウェブサイトにもあり、同コースでは他研究分野の通常の大学の課程とは少し色彩の異なる、文芸批評家や作家、詩人などの集まりという性質が強かったのではないかと思われます。大学は、トップダウンの指示にはなかなか教員らが従わない、いわば自営業主の集まりの商店街であるかのような傾向をもっています。とりわけ有名人の作家や批評家を集めた早稲田大学の現代文芸コースでは、各教員思い思いのやり方を組織として制御することが、他の専攻以上にますます難しい状況になっていたのではないかと思います。
以上のような大学の対応は、明らかに、学生・院生の学習権を侵害するものであり、とりわけ院生の場合には、いったん特定の指導教員のもとに配属されることになれば、転換や代替の方法は見いだすのは容易でなく、侵害は決定的なものとなってしまいます。ましてそのことが、特定の教員の恣意によって行われ、それを他の教員が黙認していたとなれば、大学の組織としての責任は重大と思われます。
そしてその結果、原告が中退を余儀なくされたとすれば、取り返しのつかない結果を招いたと言わざるをえません。大学やW氏は、ハラスメントと退学に因果関係がないと主張しているようですが、典型例にもあるように、正常な大学院での指導を受けることができず、研究の見通しつかないような状況におかれた学生が、心身の不調をきたし、大学に来ることもつらくなって退学にいたることはよく起きていることです。学習権をいわば根こそぎ侵害された原告が、ハラスメントによる被害に傷付きながらも、せめて修論だけは書き上げたいと考えるということも相談員として非常によく理解できる話です。形式的には、一部の科目の単位不足で退学のように見えるかもしれませんが、退学に至る過程に被告W氏のハラスメントや、大学の対応が影響を与えていないと断じるのは、不誠実な態度であると思います。
3. 問題を知りえた後の大学の対応
大学は、大学が持っている人材や設備などの範囲内で、学生に対しできるだけ最良な教育や学習環境を提供する責任があります。ハラスメントが起こってしまった場合、①大学はその事実を知ったなら、それを改善し、また今後同様のことが起こらないように防止に努めるべきであり、②調査や加害者処分だけではなく、何よりもまず被害者の学習環境や権利を守ることをすべきです。③さらにそれは、個別の事案への対応に加え、ハラスメントや質の低い教育、劣悪な環境を生む原因も取り除くことが求められます。
(1)学術院内での対応
最初に相談したコース主任の教員は、「原告にも隙がある」など二次被害を与えるような発言をむしろおこない、適切な行動を迅速にとれませんでした。原告は他の教員によってようやく救出され、指導教員を変更できました。そして、被告W氏に注意はしていたけれど、キャンパス内で偶然会った時に被告W氏はまた不適切な態度をとってしまいました。
大学組織がすべての教員を正しく行動させるように統制することや、考え方や性格を矯正させることはなかなか不可能だということは、私の経験からも感じるところではあります。しかし、少なくともこのような「不良枠」選抜・指導教員配置や女子学生と2人で食事にいくことなどは、昨今は許されないことだという研修を、(事件が起きた後に私、北仲を講師に呼んで実施された研修会ではなく)これまでどの程度、実施されてきたのでしょうか。
また、これまでも類似の行動を被告W氏がとっていたとしたら、それに対する注意指導が行われてはいなかったのでしょうか。多くの大学では、昨今は教員へのハラスメント研修が必須とされ、毎年実施しているところや、悉皆研修として義務化しているところも少なくありません。また、一般の教職員研修のほかに、管理職やハラスメント委員などへの研修も行われています。ハラスメント委員会で部局別の実施率などを把握し、実施を徹底するような取り組みをしている大学も珍しくありません。早稲田大学ほどの総合大学であれば、ハラスメントの基本的な研修を担うことのできる専門家教員は何人かはいるはずで、その実施は難しいことではないと思います。しかし、個性の強い、自由に行動しようとする有名人をかかえた当該学術院では、おそらくそのような研修は、徹底されてこなかったのではないでしょうか。
(2)全学相談室や全学調査委員会の対応
委員会に申立てがされた後、大学は調査を行って事実を認定し、教員を解任しました。その限りでは、当該学術院も、大学(全学)の委員会も、一定程度の対応はしたと言えるものの、原告はすでに退学してしまったので、その後、大学の方で被害救済を行う機会は失われました。
残念なのは、原告が最初にコースの主任らに相談してさらに傷ついたり混乱したりしてしまうより前に、ハラスメント相談員に話をし、これはハラスメントなんだという認識を確かなものにし、相談員(防止室)から当該学術院に事態を打開するよう働きかけが行われるという理想的な展開にならなかったということです。早稲田大学の防止室がそのような働きかけを迅速かつ強力に行っているのかどうかの情報を私は持っていません。同じ相談員として勤務している立場からみれば、メールの「人間関係の調整を旨としております。」の返信文は非常に不思議なものだという印象をもちます(「当防止室では継続的人間関係の維持を考慮し、ハラスメント事案の解決については人間関係の調整を旨としています。」(乙第13号証))。「人間関係の調整」という言葉は、お話をきいて、当事者間で和解するようなことを勧めるのかというふうに読める余地があるからです。私の勤務する大学でも「申立て」の他に「調整」という対応の選択肢はありますが、これは、管理職による上からの調整(指導教員変更やイエローカード的注意など)、介入行為を指すもので、それを「人間関係の調整」とは表現しません。
「相談の段階で、相談員が指名を名乗らなかったことは相談員の安全のための措置であって、通常の対応です」(乙第13号証)という説明にも、違和感を抱きます。ハラスメント相談にしろ、性暴力やDV・虐待の相談にしろ、面談において名前も名乗らない相談員を相手に、人生を左右するような重大な相談をして、その助言を信じ、頼って行動をおこすことができるとなぜ思うのだろうか、と思うからです。もし、相談室の対応に抗議が来た場合は、大学組織に職員を守ってもらえればいいわけであり、また、個人生活への嫌がらせの影響を恐れるのであれば、別の通称名を使うこともできるはずです。相談員が大学の組織の中でどのような責任を担わされていたのか(相談員に責任を担わせないような形で配置していたのだろうか)、組織が職員をどう守るかについて、どのような合意がなされていたのかという点に疑問を抱きます。あるいは心理カウンセリング系の専門で共有されている枠組みや慣習を、大学組織として緊急介入などを担わなければならない部署での対応に、不用意に適用してしまっているのではないかと思います。
また、調査委員会の段階でも、構成する委員全員の氏名を明かさなかったとのことですが、通常であれば、申立て者は呼び出され、調査過程の初期段階で委員が事情聴取をするものです。事情聴取の場で調査委員全員が誰であり、その責任者が誰であるのかを伝えないで調査に協力を依頼することは考えられません(場合によっては、特定の委員忌避などの要望も出すこともあります)。調査中も担当のハラスメント相談員がついたりすることで、調査プロセスについての信頼を得、疑問や不安にも答えることができ、様々に起こるその後のトラブルについても相談を受けて対処することができます。なぜそのような対応をしなかったのかについても、理解に苦しみます。原告がすでに退学してしまっており、防止室の相談員との面談でも残念なことに不信感を抱かれた形になってしまったからなのでしょうか。同大学のハラスメント対応システムの全貌を知りえないので、私にははっきりとした評価や判断はできませんが、ハラスメント対策を曲がりなりにも大学が導入しているにもかかわらず、この事案については理想的な対応にはならなかったことは残念に思います。
以上、大学としては一部の教員が動いて指導教員を変更することはでき、また、提出された申立書に従って大学は調査をして教員を処分はしたという意味では、途中からはある程度の対応はされましたが、W氏の調査についても、入試や原告を自らの支配に導くプロセスの点については不十分であり、他の教員に関する調査については、公平さに疑問が呈されています。さらに、そもそもなぜ、こんなことを起こしてしまったのかという未然防止の面では大学の対応は明らかでなく、疑問が残ります。また、理想的な形で相談員が被害を最小化したり、信頼を得ながら調査を行ったりすることができない経緯をたどってしまったことは残念です。
こうした疑問についても調査を徹底してこそ、ハラスメント対策は進むのではないでしょうか。
資料
1.訴状
2.被告早稲田答弁書
3.被告W答弁書
4.原告準備書面(1)~(8)
5.被告早稲田準備書面(1)~(5)
6.被告W準備書面(1)~(2)
7.裁判に望むこと
8.甲第3、8~13号証
9.乙イ第3号証
10.乙ロ第1~5、13~14号証