庇う人がいてこそ蔓延するハラスメント——連絡の制限をしてくる人には要注意

 

——では最初のところに振り返って聞いていきますね。安西さんの場合、相談した際のC社の対応のひどさが告発のきっかけとなったんですか?

 

安西 そうです。発端となったK氏との関係性について、どう考えても理不尽だと思ったので本人に話をしたけど通じず。その上、一方的に会社を辞めさせるということを言われたので会社に相談したら、事態がより悪化しました。

 

——安西さんのnoteや書面を読んでて思ったんですけど、C社側の聞き取りの仕方にはかなり問題がありますよね。準備書面によると、はなから安西さんを「加害者」と言ったり、「自分たち(※安西さんとK氏)で処理して欲しい」とか言ったり、すぐに「処分」という言葉を持ち出したり。ハラスメントの相談を真摯に受ける姿勢とは言い難く、安西さんを会社から速やかに排除しようとしている印象を受けました。

 

安西 ある個人が問題行為をしたとしても、組織内に相談できる環境があり、相談を受けて周囲が適切な対処をすれば、深刻化する前の段階で問題を食い止められるかもしれないじゃないですか。KだけでなくC社にも大きな問題があります。

 彼らは過去に別件でも似たような問題を起こしていたんですが、そちらは当事者同士で解決したのだろうと思って、わたしはあまり気にしないようにしてやり過ごしていました。自分が当事者になってみて、目の前の人間を信頼したいからと深刻な問題から目を逸らして、知らないままで済ませていたことを反省しました。告発に至ったのは、今回わたしがやり過ごせばまた同じような被害が再生産されていくと思ったからと、自分の反省の形としてです。

 

——明確な加害行為を行う人間がいるのも問題ですけど、それを容認している人たちがいるからこそ、問題がずっと蓄積されてきているという構造を見なくちゃいけないですね。

 C社側は安西さんに対し、連絡を制限するといったこともしていたとのことですが。

 

安西 そうそう。信頼できる社員の方に相談したかったけど、最初に相談した同僚から「僕を通せ」と言われて、直接連絡ができなくて。

 

——それまったく一緒〜。わたしもセクハラにあったあと相談した教員から同じようなことされてるんですよ〜。

 

安西 あ、ほんとー!?

 

——うん。その教員が主任(当時)だったんですけど、「なるべく外に言わない方がいい」ということを言われて、あんまり念を押されるので、わたしも怖くなって従ってしまって、大学の事務所に相談しかけてたのに取り下げたんです。その後、この主任のせいでどれほど被害が拡大されたか・・・。

 

安西 人の権利に踏み込んで制限してくるとか危ないですよね。

 

——本人が他人に知られたくないと言ったなら別ですけど、わたしも安西さんもそういうわけではなかったじゃないですか。そういう人に向かって、「僕を通して」とか「他の人に言わない方がいいよ」とかいうのは圧倒的に間違ってる。今だったらその時点で「この人怪しい」と思う。

 

安西 危険ポイントですね。ハザード鳴ってますね。

 

——過去の自分に教えてやりたい。「連絡や相談の制限してくる奴は危険」。

 

安西 わたしもその同僚からそう言われて連絡するのをためらいました。なんの効力もないとわかっていてもためらう。相手が学校とか会社だとなおさら「そういうものなのかな」って思っちゃうよね。

 

 しかも辛い時にそういう強いことを言われたら仕方なく従っちゃうことがあると思う。

 

安西 会社をパワハラでやめさせられるときに、「自主退職扱いにすれば?」って脅されて、「そうしないと悪いことが起こるよ」みたいなことを言われて、自分でサインしちゃうということはよくあるらしい。

 

——それで最後だけ切り取って「自分で決めたんじゃん」って言われるのね。

 

安西 ひどい話だよね。「その場で従わなくていい」という前提知識があれば逃れることができるケースもあるかもしれない。脅されたりしてそれすらも無理なケースもあるのだろうが・・・。

  

——そういうことを言われたら外部に相談するとかね。

 

安西 だね。「その場で決めろ」って言われても、可能な限り話を持ち帰って、信頼できる人や然るべき場に相談しよう。あとは、仕方なくその場で同意してしまったとしても自分を責めずにあとからでも相談を。わたしは知識もなく疲れ果ててその場で同意してしまったけど、その同意は脅迫・錯誤によるものとして裁判で取り消しを求めています。 

 

 

 

ハラスメントは「個人間のトラブル」じゃねーからな

 

——あとC社は、「個人間のこと」ということを強調していますよね。誰かに相談したときに、「個人間のトラブルに会社/自分を巻き込まないでほしい」という反応をされてしまうこともありがちだと思うのですが、わたしの主任もこのタイプで、相談した際、「面倒に巻き込まれるのはいやだ」と面と向かって言われたんです。

 

安西 やばっ!!

 

——本人は「場を和ませるため」の冗談だったと弁解していますが、相談の場で冗談いう必要ないし、学生・教員間の問題を「面倒ごと」と捉えている時点で、ハラスメントへの理解が欠落していますよね。その上、その後も主任がついた嘘を反証するために、わたしや関係者がその後どれだけ労力を費やすはめになったか知ってるか? と聞きたい。このたった一日の録音を録らなかったことを、わたしは4年間後悔しつづけてます。

 

安西 企業の場合、被害相談を受けたら迅速かつ適切に対処しなくてはならないということがパワハラ防止法で定められているじゃないですか。学校においては同様の法的な取り決めはあるのだろうか?

 

——早稲田大学の場合は、一応ガイドラインがあって、「教職員等が個人的にハラスメントに関する相談を受けたときは、ハラスメント防止委員会において問題解決をするよう相談者に勧めること」が推奨されていたんですが、わたしのときにはどの教員に相談しても勧められることなんかなかったですね。大学の場合、法的に強制力があるわけではないし。

 

【ハラスメント対策の法的義務】
 
企業においてはセクハラ・パワハラの防止は明確な法的義務になっている一方、大学においては明確な条文があるわけではない。
(*参照 厚生労働省「職場におけるハラスメント防止のために」

 

——だから大学もその主任の対応を「不適切」とは認めつつも、「違法とまでは言えない」という言い方をしてきています。でも大学がそうやって責任逃れしてばかりだと、相談した際の二次被害がなくならないですよね。

 

安西 最初に相談した人にそういう対応されたら「もうどうしようもない」って思っちゃいますよね。そもそもの問題で消耗してるんだし、なおさら。 

 

——「お忙しいところ相談の手間をとらせて申し訳ない」という罪悪感も生まれてきますし。

 

 組織内の構造が起こした問題なのに、個人の問題として「お前たち二人だけが悪い」ということにして。

  

——上智大学のセクハラの報道でも、大学が「個人間のこと」とコメントして問題になっていましたね。

(*参照 Dialogue for people「『ハラスメントのないキャンパスを』声をあげた学生たちの思い」)

 

安西 そこには明確な権力関係があるのだから、それが「個人間のトラブル」になるんだったら、何がハラスメントにあたるんですかって話だよね。

 

 上司と部下とか、教員と学生とか、明らかに立場に差があるわけですからね。 

 

 

 

「誰かのため」にやらない——自分が納得するために

 

——2020年に7月に、C社の面々が差別反対のアクションに参加していたことも、安西さんの告発を後押ししましたか?(※ 参照 「三越伊勢丹宛公開質問状」

 

安西 明らかに後押ししました。自分たちがわたしに対してやったことを棚に上げて、世間に対してはあたかも自分たちが差別と戦う高潔な美術家であるかのようにアピールしているのを目の当たりにしたら、黙って見ていられなくなりました。それまでは感情を押し殺して耐えてきたけど、あれをみて我慢の限界に達したというところです。

 

——なんすかね。前述の主任も、見当識のゼミを開いたり、フェミニズムについて語ったりしているんですよ。言ってることとやってることがめっちゃ矛盾してる。自分で気づかないのかな。

 

安西 実際、二枚舌になっているケースっていっぱいあるんでしょうね。自分の行動を省みることなく、ある問題や他者に対する批判だけするっていうのは、ただの欺瞞だし意味ない。

 

——さっきの話とつながるけど、やっぱり「あなたの身体はどこにあるの?」というのがどうも見えないんですよね。「いいこと」を言うのってすごく簡単なことで、それを言うのなら、現実の身体を通じた生活の次元でも実践するよう、わたし自身も気をつけなくちゃなと思う。

 安西さんが運動をやる上で気をつけていることは?

 

安西 わたしにとってなにより重要なのは自分が納得することです。この問題から有意義なことを生み出したいし、他者に何かを手渡したいとは思ってるけど、それは「誰かのため」にやってるってことじゃない。本来の意図から外れて「みんなのためにやっている」と誤解されないように、その場限りの良い顔をしていないかと自分を監視してます。

 Be withのみんなと一緒に好き勝手に意見を言いながら、みんなで納得できる形を探してやるのは、身動きもとりやすくて楽しいです。

 

 だから「手広く」ってできないんですよね。わたしたちの団体はあくまで安西さんの支援団体でしかなくて、「あの子もこの子も助ける」とかはできない。

 

——なるほどね。看過しない会はあくまでわたしの身体を通した言葉しか発信できないんですが、Be withも、まず生身の「わたし」がいて、そこを通して発信するから使えるものがあったら使ってほしい、という感じですね。

 

 経験から生まれた「道具を渡す」くらいしか実際的なことはできないですね。

 

 

 

匿名・実名告発のメリット&デメリット——「被害者のイメージ」から外れる

 

——安西さんのそういうスタンスって、名前出して告発したこととも繋がってるんですかね。

 

安西 そうですね。わたしが一連の問題の中でもっとも理不尽だと感じたのは、自分が経験した事実を喋ることすら制限されたことだったんです。自分の権利に踏み込まれたり、抑圧を受けることって大嫌いです。その理不尽に抵抗するためには、わたしが自分の経験や考えを自由に堂々と喋れる状況を確保する必要があり、それには実名がよかったんです。抵抗もなかったし。

 告発文を公開した直後には、被害者的なふるまいを求められて、それを内面化してなぞってしまうことがあったのですが、その時は息苦しくて不自由で、これでは彼らから抑圧されている状態と変わらないと思った。

 だから、被害者のイメージから外れて誰かから失望されても、自分が言いたいことを言うことが最終的には自分のためだと思いました。そうやってわたしが自分のやりたいようにやることが、結果的にみんなのためにもなると思う。

 

——「被害者のイメージ」という呪いの力は強いですよね。わたしも最初は、「正しい被害者」じゃないといけないみたいな感覚に縛られて動きづらかったんです。でも別に被害者であったって欠点もあるし、自分の運営する団体なんだから自分のやりたいようにやればいいやと、だんだん呪縛が解けてきて、だいぶ好きなようにやれるようになってきた。 

 わたしみたいに匿名で告発することと、安西さんみたいに実名で告発することのメリット・デメリットは双方あると思うんですが、匿名であることのデメリットとしては、「被害者」という仮面にのっとられちゃう危険性が高いかなと感じます。とくに表現者だと。わたしは「原告A」として比較的自由に発信していたつもりですが、それでも「被害者のイメージ」を投影されてしまうことが多く、結局、限界を感じて名前を出すことにしました。

 安西さんの場合、「被害者」という役割以前に、安西さんという一人の人間がまずそこにいる、という感じを受けます。それは実名告発したことの大きな利点かもしれない。 

 

 

 

団体の意義——被害者以外の主体をつくる

 

安西 あとは、支援団体がいてくれることにすごく助けられてます。わたし以外の主体があることって頼もしい。

 団体メンバーである3人もわたしもそれぞれに意見を持っているので、団体名義でテキストを出す場合は、副代表の茜ちゃんが書いてくれるベースのテキストをもとに推敲をして、全員が納得できる形にしてから公開しています。団体というひとつの主体をみなでつくってる。

 

 団体の名義で言えることって、客観的でそっけないものになりがちなんですけど、ひとつひとつに力を入れすぎるとわたしたちも消耗してしまうので、負担なく継続的に発信していくためにはそのくらいの気楽さがよいというか。わたし個人が言いたいことはその都度たくさんあるんですけど、それはあえて抑えて。

 あと、支援者の方々に感謝を伝えるときは、団体の名義において発言することを意識しています。支援者の方には以前からの知り合いも多いですし、安西さんが支援者一人一人に頭を下げるようなことはないようにしたいです。

 

安西 そうそう。誰がどれだけ寄付してくれたという情報は団体が管理していて、わたしは知らない。わたしが自分で寄付を募り管理をするとしたら、有り難く思う分だけ恐縮もしてしまうと思う。支援団体がいてくれて、そうした役割を担ってくれることで、わたしはなにも気にせず「たくさんの人が寄付してくれてありがたいなぁ」と気ままに過ごせます。

 

 寄付を募っている主体はあくまで支援団体で、安西さんじゃないからね。

 

——なんか話聞いてて思うんですけど、みなさん素晴らしい団体ですよね。

 

一同 (笑)。

 

——うらやましいです。

 

 活動の構造が整ったよね。ルーチン化ができた。

 

安西 うんうん。誰かに負担が集中することもなく、みんなで動かせてるよね。

 

——いいな〜。わたしほとんど全部自分でやってるからさ。わたしの団体は、前まで正式メンバーの男性が何人かいたんだけど、みんないるのかよくわかんなくなってきたので、全員除名しちゃいました(笑)。

 

一同 除名(笑)。

 

安西 我々が入ります。

 

——ありがとうございます。

 

安西 わたしも以前メンタルが落ち込んでた時期に、自分が抱える悩みは問題の当事者ではないメンバーにはわかるはずがないと考えて、どう相談していいのかわからないまま孤立感を強めて思い詰めていました。思い悩んだ末にみんなにそのことをぽつぽつ話すと、みんなは無理に立場を重ねようとするのではなくて、立場が完全に重ならなくても一緒にいることはできるよ、そしてわたしの問題でもある、と話し続けてくれた。心から信頼できる友人たちなんです。

 

——すごい。なんか泣きそう。

 

安西 わたしの場合、実態がともなっておらず形だけがあると、なにもない以上に孤立感を感じてしまいます。複数人がメンバーとして名を連ねているけど負担を背負っているのは誰かだけとかは、組織のあり方としても精神衛生上もよくない。

 

――そう。逆に辛くなる。団体内でも不均衡な関係性ができあがっちゃって。

 

安西 身動きが取りづらく感じていたなら除名でもいいんじゃないですかね。支援団体メンバーという関係性が最良とも限らないし!

 

——そうね。わたしの場合、メンバーじゃなくても支えてくれる方々がいるので、基本一人で好き勝手やって、その都度その都度そばにいる誰かに助けてもらうというやり方が一番向いてるのかなって思って今はやってます。そのせいで全然事務仕事は追いついてないですけど。 

 

 

 

 

③ 周囲の反応