二次加害にならないために——気軽に「ごめん」と言って訂正する

 

——Be Withという団体の存在って、裁判の支援といった現実面だけでなく、安西さんの精神的な回復にも繋がっているように感じます。Be withのみなさんは、安西さんに寄り添うために意識していることや気をつけていることはありますか?

 

 本当に心から「安西さんは一ミリも悪くない」って言い切り続ける、というのを徹底してる……というか、実際にそう思っているからそれだけですね。それに「安西さんにも悪いところあったよね」とか言い始めたら自分が傷つくんですよ。安西さん個人の問題ではなく、アート界の問題でもなく、わたしの問題だと思ってるから。

 

安西 一緒にいる彼女たちがそう言ってくれることってすごく大きいです。 

 

——そこで二次被害を受けると傷口広がりますからね。二次被害って何が悪質って、直接の一時被害で傷ついて、なんとか傷口を塞ごうとしているのに、二次被害を受けるとその回復の作業を妨害されてしまうことだと思うんです。

 

安西 本当にそう。ほとんど残ってなかった余力が完全に失われる。

 わたしは瞬発力がないから、悪意や無理解を向けられるとびっくりしちゃって、はっきりとした反論や指摘なんてできないことがほとんどだった。悪意なんだったら「もう二度とこいつとは顔を合わせない」で終わりなんだけど、中には発言者側に悪意がないこともあって、対応に悩む。その発言をもってその人との関係を断つか、余計傷つくかもしれないけど話をしてみるか。それまでの関係性とか発言内容とかから考えて、状況を整理して話をすれば理解してくれるかもと思った時には、事後的にでも自分が冷静な状態で、立場の違いによる齟齬があることを相手に伝えようとしてました。そこで話ができて、傷にならなかったこともあった。

 傷ついてる被害者に対していつでも適切な言葉をかけることができたら一番いいけど、わたしを含む大抵の人にとってそれは難しいことだと思う。でも、相手に対して理解を示す姿勢で接していれば、二次加害的な発言がそもそも出てきづらいだろうし、もし想像力が及ばずに齟齬が生じてしまったとしても事後的にでも話し合えるような関係性が生まれやすいはず。

 

 対等に喋っていれば、失言しちゃったとしても謝るしかなくなるはずだから。

 

——間違いは誰でもしちゃうものだけど、そこで「いやそれはおかしいです」って言われたときに気軽に「ごめん」と言って訂正することができれば、それほど深刻な事態に発展していくことにはならないですよね。もし一度間違った対応をしてしまっても、そのあとちゃんと相手の言うことに耳を傾け続ければ、取り返しはつくと思う。それをできない人たちが、余計に被害を拡大させてしまっている。

 

安西 それと、傷つけないためにと皆から距離を置かれて余計に孤立してしまう、というのも被害者が抱える深刻な悩みの一つかもしれないと、自分の経験から思いました。お互いが相手に思いやりをもち、かつ消極的にならずにいられるのが理想的だね。 

 

 

 

「傷ついた」のは誰のせい?——被害者に「傷つき」の表明すんのマジやめて

 

安西 わたしの場合、問題によって自分の居場所がなくなったと感じているとか、自分のつらい経験を思い出してしまったとか、問題によって傷ついた関係者から二次加害的な発言されることが何度かあった。自分も今回の件で傷ついてる一人なのに、世間的には直接的な被害者だけが「被害者」と呼ばれていて、第三者である自分が傷ついている事実をどう処理して良いかわからなくなって、「自分が傷ついてるのは告発者のせい」という転嫁が起こっていると思う。

 

——なるほど。

 

安西 みんなが自分の気持ちと状況を整理して、「自分も傷ついてる」ということを認識できるといいよね。誰が悪いとかじゃなくて。

 

——そうですね。そこに「ねじれ」がありますよね。わたしの件でも、「事件が起こったときに傷つくのは被害者だけじゃないんだよ」と言ってくる人たちがいて、その内容自体は正しいと思うんですけど、「なんでそれをわざわざわたしに言うの?」って感じで。

 

安西 本当ですよね。

 

——そういうの言われると、地味にダメージくらいません?

 

安西 ね! 落ち込む。

 

——自分が告発したことで誰かを傷つけてしまったのだろうか、とか考えちゃう。

 

 その「傷つき」は自分でどうにかしないと、って思う。

 

古賀 間違いなく加害者側に100%原因があるはずなのに、安西さんのように被害を受けた側にもどこか問題があるんじゃないか、とする流れを感じました。

 告発がなされた時点では、「安西さんのせいで自分は奪われた」と感じている人がいるかもしれないけれど、そういう人たちは今目の前で起こっていることだけを見てしまっていると思う。もっと長い目でみたらその人にとっても良い事が起こっているはずなのに。

 

——視点が短期間というか。

 

 「傷つき」の前に、権利が侵害されている人がいるからね。どんなに思い出深い場所だったり環境だったとしても、構造的におかしかったという事実や、それに気づけなかった自分を認めないと次にいけない。

 

安西 問題を知ったことでその人が傷ついたのだとしても、それは告発者のせいじゃないよね。

 レナさんやわたしにだけ文句を言ってくる人は、原因がどこにあるかを検討せずに、攻撃しやすい属性の側にだけ言ってるんじゃない?

 

——「同じことを加害者の側にも言ってますか?」と聞きたい。 

 

 

 

「そういうところあったよね」で終わりにしない

 

——その場所や組織やらに思い入れがあるんだったら、悪かったところを、虫歯を直すみたいに、ちゃんと直していくことのほうが大事だと思うんですけどね。ただ過去を懐かしんだり、「好きだからなんも言えない」とか言ってんじゃなくて、好きだったらなおさら腐ったところを直すことに労力使おうよって思う。

 

安西 わたしが告発文を出した時、美術関係者の間でも「でもC社って元からそういう組織だったよね」って言う人がいたよ! やばいよ〜。

 

——わたしが告発したときもたくさんいました。「彼がセクハラをしても何ら不思議ではない」みたいな。「大学教員ってそんなのばっかだよ? 知らなかったの?」とかも言われたし。

 

安西 具体的な問題を知りつつもそれを容認・黙認してきたのなら、そこには加害とはまた別の問題があるよね。加害の問題を考えるのと併せて、それが許される環境がどうあり続けてるのかを各自が内省を込めて考えないといけない。容認・黙認を当たり前だと思ってると、自分の身近で問題が起きて一歩踏み込まざるを得なくなった時に自覚なく加担しかねない。

 

——こわいよね。今でこそわたしの受けたセクハラは明確にアウトだと認識されてますけど、実際には当時、主任以外にも、わたしは学生・教員含めいろんな人にセクハラのこと相談したのに、加害者教員は1年間、何ら変わらず教壇に立ち続けてたんです。学会の打ち上げでもみんなで加害者を囲んで和気藹々としてるのを見て、「この状況なに?」と愕然とした。

 

安西 そういうので自信失いますよね。

 

——うん。「わたしの頭がおかしいの?」って思った。

 周囲の態度が変わったのは、告発してメディアで報道されて、加害者バッシングが起こってからであって、実際には1年間、加害者への忖度ばかりがなされるなか、わたしは自分の方が間違っているのだろうかと悩みました。関係者たちは、加害者に忖度し続けたその1年間のこともちゃんと振り返ってほしい。

 

安西 加害の自覚もなく、訴えを真摯に受け止める気もない加害者はもう変わらないのだろうけど、それであれば、周囲にいる人が適切に対処して状況を改善していかないと変わらないよね。

 セクハラしてる側はセクハラの自覚がなかったりする。このくらいは冗談の域とか恋愛関係だったとか、自分に都合のいい見え方しかしてない。そういう時、周囲の人間が早い段階で気付いて助けられたら、深刻な被害は減らせるはず。 

 

 

 

 

④ 訴訟