28 ハラスメント防止室(2018年4月〜)

   

 4月6日、早稲田大学教育・総合科学学術院の男性教員が学生にセクハラ(食事のあと映画に連れて行き手を握った)を行い懲戒処分になったというニュースを見て、ひどく動揺しました。

 M氏はわたしの被害を「たいしたことない」として、あたかもハラスメントには該当しないかのように述べていたけど、どうやらそんなことはないらしい、出鱈目を言ってわたしの訴えを退けようとしたのだとやっとわかりました。このニュースに照らし合わせると、わたしのケースも充分深刻な被害だったと思われ、自分がこのまま黙っているのは、この先別の誰かが被害にあうのを黙認することなんじゃないか、それではM氏を始めとする教員たちと同じではないか……と、さまざまな感情が湧いてきました。

 4月16日、早稲田のハラスメント防止室のことをしらべ、手続きについて聞くために電話をしました。ところが、わたしの個人情報・問題となる教師たちの情報は聞かれたにもかかわらず、わたしが電話口の方の名前を尋ねても答えてもらえません。責任の所在がわからず、わたしの情報が教員たちに流されてしまうのではないかという恐怖を感じました。

 また、面談する際の面談員は2人だということだったし、早稲田でW氏らと遭遇する可能性を考えると恐ろしかったため、面談時に家族が同伴していいかと訊き、お願いしたのですが、受け入れてくれませんでした。なぜ同伴してはいけないのかを尋ねても、「いけないわけではないけれど…」と要領をえない答えしか返ってきませんでした。家族の同伴についてなかなか認められなかったという事実は、2018年度の早稲田大学の調査でも「相談者に対して寄り添うということができていない」と認められています(甲10の14頁)。

 面談の日程についてはメールするように指示されたのですが、その際、予約がいっぱいだからあまり空いていないと言われました。被害を受けた学生に寄り添う立場であるはずのハラスメント防止室の人間が、勇気を振り絞って電話してきた相談者に対して、こんな非受容的な態度をとるのかと驚き、M氏の対応と同じ不誠実さしか感じず、最初から不安でした。でも、とりあえず相談先はここしかありません。とにかく電話口の方に言われたとおり、すぐにメールで面談日の予約をしましたが、「中退をされた場合には、申立をお受けできない場合もあります」と書かれた返信がきました。ハラスメントが原因で中退したのにそんな理屈はあまりにもおかしいと苦痛に思い、家族にメールを転送し、家族がその旨について質問したのですが、面談時にお話しするとしか答えてもらえませんでした。なお、このメールについても、2018年度の早稲田大学の調査報告では「きわめて不適切なもの」と認められています(甲10の16頁)。

 わたしは防止室の対応に不安を抱いたので、4月19日川口さんに会い、防止室からのメールを見てもらいました。メールには「当防止室では継続的人間関係の維持を考慮し、ハラスメント事案の解決については人間関係の調整を旨としています」とありましたが、その趣旨自体に疑問を抱きました。学生がハラスメントについて相談できる唯一の窓口であるハラスメント防止室の対応が信頼できるものではなく、ハラスメント防止室に申し立てをしたところで中退者であることを理由に却下されてしまう可能性があるのであればもはや大学に何も期待できない、いったいこんな状況のなか学生はどこに相談しにいけばいいのだろうか? と縷々嘆かずにはいられなかったです。

 4月23日、早稲田キャンパスにあるハラスメント防止室に家族同伴で面談に行きました。面談の対応者は女性相談員2人でしたが、名前を聞いても名乗りませんでした。電話口に出た人・メールのやりとりをした人と同じ担当者なのかもわかりませんでした。その上、「録音をとらせてもらいますがいいですか」と聞くと「本学では双方とも録音できない決まりとなっています」と言われ、わたしも家族も納得がいかず、その理由をたずねました。しかし相談員は、ハラスメント委員会は人間関係の良好な関係を維持するのが目的で守秘義務がある点などを強調するだけで、納得できるような理由は話していただけませんでした。なお、早稲田大学の調査結果では、録音が禁じられている理由についての説明が不十分であったことについて「配慮に欠ける対応」であったと認められています(甲10の16頁)。また、相談室側によると、相談においては録音をとられていることによって萎縮して何も話させないことがあるため、録音はとらないことにしている、とのことですが、相談者が録音を認めている場合に録音を禁じる理由の十分な説明になっていません。

 これらの点についてしばらく押し問答をしていましたが、らちが開かなかったため、腑に落ちないままわたしは予め用意した要約書をもとに、W氏から受けたセクハラ、パワハラ被害の実態、M氏の対応などについて、できるだけ順序立てて詳細に説明しました。面談員はこちらの発言内容をメモに取っていたものの、わたしの口述に筆記は追いついておらず、録音はしていないので、わたしの伝えたいことがすべて伝わったとはとても思えませんでした。

 それから、ハラスメント委員会への申し立てとその後の流れ(苦情処理委員会の調整委員との面談、査問委員会設置委員会と構成メンバー、査問委員会と構成メンバー、理事会の決定から大学当局としての処分勧告など)の説明を受けました。ただ、防止室から受け取ったガイドラインのパンフレットのチャート図で、ハラスメント委員会への苦情申し立てが「当事者本人のみ」となっている点について、家族は「そもそも申し立て段階で代理人を立てられないというのはおかしいし、余りに非常識なルールではないか」と訊きました。それに対する答えは「本学の決まりでそうなっている」でした。誠意を持って対峙してくれているとは思えませんでした。

 最後に、苦情申立書の紙を渡され、それに別途参考資料を添付してまた防止室に提出してくるように指示され、わたしはいままで1時間半にわたって自分の被害を延々と話したことは何のためだったのだろうと呆然となりました。大学が主体的に問題を調査し「防止」するのではなく、相談者個人が何度も足を運ばなくてはならない仕組みは、被害者ではなく大学に寄り添う姿勢です。わたしたちは、本人が再び来所して提出しなければならないことはおかしいと異議を唱えましたが聞き入れられませんでした。なお、このような異議が唱えられた事実についても2018年の早稲田大学の調査結果では認められており、「申立人が望むのであれば、相談と同時に申立てを行うことができるよう、柔軟な取り扱いがなされることが望まれる」と改善の必要性が認められていましたが(甲10 17頁)、裁判において提出された相談窓口の██氏の陳述書(乙ロ第13号証)ではその認識が後退しています。早稲田大学は改善を実行しなかったということなのでしょうか。

 なお、2018年9月21日に早稲田大学が発表した「調査結果および本学の対応について」(甲14)においては、「パンフレットの表記が分かりづらい点や、申立人に対する説明が不十分である点など、申立人に対する配慮を欠く対応があった」と書かれていますが、翌年に来室した学生によれば、パンフレットも変わっておらず、録音禁止・名乗らないなど、対応も変わっていなかったそうです。

 また、紙を渡される際、今回防止室で話した内容は、「学内外を問わず、他に公言しないようにお願いします」と言われてびっくりしました。相談員に守秘義務があることはわかりますが、なぜ相談者の方がハラスメント被害について他の人に話してはいけないのか理解ができなかったので、その点についても押し問答になりました。 上記のようなハラスメント防止室の対応が解せなかったため、5月2日、ハラスメント・人権問題を専門としている角田由紀子弁護士らに相談したところ、

・家族が同伴することに抵抗をすることの意義は全く理解できない
・「防止室で話した内容は口外しないでほしい」という向こうの主張は本来生徒側の権利であって本末転倒
・録音不可というのも変
・学生が早稲田に苦情申立書を持っていかなくていかなければならないというのは非常におかしなことであり、普通は郵送ですべて済むはず
・苦情申立てが「当事者本人のみ」となっていることは世間常識的にはありえない

 などの意見をいただきました。

 他大学と比較しても早稲田大学の対応が遅れていることは、すでに準備書面2にて細かく指摘しました。とりわけ、相談員が名前を名乗らないことについては、早稲田大学はそれが「一般的運用」であると述べていますが(被告準備書面1)、それは事実と相当異なります。埼玉女子短期大学研究紀要14号(2003年)ですでに、「各大学の実施方法はまちまちであるが、最も多いケースは、苦情相談の窓口として相談員を何人か定め、氏名や連絡先や相談受付時間を公表し、そこではもっぱら相談者の話を聞き取ることに専念し、さまざまな対処方法について情報を提供し助言を行うが解決の提示などはせずに、相談の内容を苦情受付のための委員会に報告するという手続きを踏むものである」との報告があります(甲30)。

 ハラスメント防止室に訴え出さえすれば適切な対応をとってもらえると思っていたのに、中退者であることを理由に申し立てを受けられない場合もあると言われ、相談者に寄り添う姿勢のないハラスメント防止室の対応に失望したわたしは、他大学で教員をしている知人らにも相談し、自分が受けたハラスメント及びハラスメント防止室の対応について話しました。知人たちは、ハラスメント防止室の言い分はおかしい、別のところに訴え出た方がよいと助言をくれ、彼らのつてでメディアの取材を受ける運びとなりました。

 メディアでの告発について検討していた最中の5月11日、15:49にH氏より突然メールがきました(甲43)。「例の問題で気になることがでてきました。直接会って話をしたいのですが、急ぎ、時間をつくっていただけませんか。」とありました。そのときはちょうどHゼミの卒業生たちと会っていたため、一緒にそのメールについて検討したのですが、すでに退学している身にもかかわらず急ぎで呼び出されることに違和感を覚えましたし、「例の問題」として用件がぼかされたままで詳しい説明もないことに強い疑念を抱きました。すでにハラスメント問題が原因で中退するという旨は3月2日のメールで伝えていましたし、それから2ヶ月もたったいまになって、わたしの中退理由がコース内で問題となるはずはありません。とすれば、わたしがメディアでの告発を検討しているという情報が察知されたのではないか、なにか探られようとしているのではないか、外へ情報を出そうとする動きをまた止められるのではないか、と、それまでは信頼していたH氏からもM氏のように口止めされるのではないかと疑心暗鬼になりました。

 

 連日の負担にくわえ、このメールによる不安から、帰宅後わたしは呼吸困難をおこし、救急車で██病院に搬送されました。

 

 

相談窓口の██氏の陳述書(乙ロ第13号証)より抜粋
相談窓口の██氏の陳述書(乙ロ第13号証)より抜粋

  
29 直訴・面談・苦情申立(2018年5月〜6月)

    

 わたしは家族と相談し、早稲田大学総長・鎌田薫氏(当時)および、文学学術院長・大藪泰氏(当時)に向けて、一連の問題を直接訴えることにしました。5月13日、体調不良だったわたしの代わりに家族が直訴状を送り、コース内で横行しているハラスメントや授業怠慢、それに対する口止め行為、ハラスメント防止室の対応などについて、早稲田大学としてはその監督責任をどう認識しているのかを問いました。

 23日に再びハラスメント防止室で面談が行われる運びとなりましたが、わたしはまたしても早稲田大学に行かなければならないことに激しい苦痛を覚えたため、今度は家族1人に任せました。直訴状に対し文学学術院長からは反応はなかったそうで、総長名代である総務部長・佐藤宏之氏(当時)、ハラスメント防止委員会委員長・菅原郁夫氏(当時)が面談に出席しました。

 両者とも対応は丁寧で真摯だったそうですが、やはり録音はNGとのことでした。防止室の相談員が名前を名乗らなかったことについては、「相談員の名前が出れば、彼女らがSNSで標的にされる危険があり、安全上の措置である」と説明されたそうです。しかしながら、前述の通り、他の諸大学と比較しても、相談員が誰だかわからないというのは異様です。早稲田大学からは、調査委員会による「調査結果」(甲10の15頁)においても「ハラスメントの相談にはどのような人物が来るかわからない」という弁明がなされていましたが、相談者はあらかじめそのように警戒されているところへ行かなければならないのでしょうか。早稲田大学にはハラスメントを訴える人々全般に対する偏見と警戒が前提としてあり、それはハラスメント問題を解決し防止したいという考えよりよほど大きいようです。「場合によっては、相談者の側に不用意な点が見られるケースがある」という記述にわざわざカッコ書きで「実際、相談窓口などにおいては、そのようなケースのほうが、数が多いという現実」と補足されている箇所(甲10の21頁)などは、ハラスメントに対するセカンドレイプを助長するだけで、仮に「現実」であるとしてもことさらに書く理由は不可解です。なお同調査結果には、「妄想的な相談」(甲10の15頁)などといった表現もありましたが、相談を受けただけの時点ではいかなる訴えも「妄想」とは片付けられないはず——少なくとも当事者に寄り添うという姿勢に立つならば片付けてはいけない——はずで、大学の基本姿勢が疑われます。

 わたしに対する防止室の初期対応で、家族の同伴を拒んだり、退学をした人は対象にならないことがありうる等の説明があった件は、「誤解を招いてしまい、相談員の対応を十分にお詫びします。指導不足でした」とのことでした。また、パンフレットには苦情処理申し立ては当事者本人のみという記載があるが、通常この段階で代理人を立てられるのではないかと確認すると、「代理人は立てない原則ですが、それは代理人が言ったのか、当人が言ったのかが曖昧になってしまうからです。ただ、書面の作成は弁護士等でも構いません」とのことでした。それならそういう説明を面談時に相談員がすべきです。

 また「防止委員会が受理・不受理を審議します」という記載も不適切ではないかと聞くと、「これは学生の中にはまったく苦情申立てに該当しないケースでいってくることが結構多く、それをスクリーニングするという意味です。」とのことでした。

 苦情申立書の提出について、なぜまた防止室に予約を入れて足を運ばなければならないのか、書留めですむ話ではないかということを家族が指摘すると、「受理に伴い、内容の再確認や、この後どんな流れ・スピードで進むのかをご当人に説明しなければならないからです」「お辛いでしょうが、ぜひお越しいただきたいのです」とのことでした。それに対して、わたしが体調不良であると告げると、「先に書留めを送っていただき、その後、体調のいい時においでいただくことでも結構です」とのことでしたが、正式な受理はわたしと会った時点でないとできないという点は変更不可能だったそうです。

 それに加え、I氏の授業怠慢については、総務部の公益通報窓口に訴えるよう指示された上、他の教員らのハラスメントについては、 「相手が増えるとそれだけ手続きが伸びるため、対象をしぼったほうがいい」とのことでした。本来、問題があればすべて改善すべきところなのに、このような発言がでてくるのは、学生の研究環境の安全を整えることが蔑ろにされていることの表れでしょう。

 このような問題だらけの対応にもかかわらず、菅原氏は「早稲田の場合、委員会がしっかりしていると思う」と述べたそうです。

 上記のやりとりの報告を聞いて、わたしは心折れるような気持ちでした。どうして学生側が何度も防止室に予約して足を運んだり、教員の授業怠慢については改めて別窓口に行かなくてはならないのでしょう。どうしてコース全体の問題を解決するのではなく、手続きという形式的なことばかり重視されるのでしょう。防止室のHPには「本学は、被害を受けた学生・生徒および教職員等が、安心してハラスメントの苦情を申し立て、相談を受け付けられる窓口を設置します。」   とありましたが、わたしは首を捻らざるをえませんでした。

 5月30日、わたしは佐藤総務部長にメールを送り、

・学生側が直訴して被害の詳細を訴えたとしても、大学は学生本人が直に防止室に申立書を提出しにこないのであれば、被害の実態を聞いているにもかかわらず、大学自らが調査にふみだすといった積極的な対応は一切しないのか
・大学側はハラスメント防止室を通せ、との一点張りで、被害を受けた学生にたびたび早稲田にくるよう強要することに何らためらいがなく、学生のことを配慮して、郵送にて申し立てを受理するということすら受け入れないのか
・I氏のように特権的立場を利用しきちんと授業をしない教員がいると直訴状に記載したにもかかわらず、その件は窓口が違うから公益通報窓口にいけと指示して学生に何度も負担を強い、やはり大学が自ら調査したりは一切せず、事実上黙認しているのか
・「ハラスメントで訴える相手が増えるとそれだけ手続きが伸びるから、問題のある他の教員のことはあまり出さず、対象をなるべく絞ったほうがいい」と助言し、手続き上のことばかり重視して、そもそも学生たちが安心して学べる環境をきちんと整える気はないのか
・にもかかわらず、「早稲田のハラスメント対応はしっかりしている」と自信を持たれているのか
・なぜもうすでに直訴をしているのに、退学した身分のわたしがここまでの負担を強いられなければならないのか

 等、問い合わせました。翌日 15:28、佐藤氏より返信がありましたが、

 ハラスメント防止室への申し立てに関しましては、今後の対応を進める
にあたり、状況を十分に把握させていただくための取扱いについてご説明
申し上げましたが、まず郵送で申立書をお送りいただき、その上でお話を
伺う機会を設定させていただくことにも対応させていただきます。また、
ご要望に応じ、本学以外の場所に出向き、今後の対応等についてご説明
申し上げることにも対応させていただく所存です。

 とのことだったので、6月1日18:13、わたしは「いただいたご返答ですと、やはり苦情申し立ては郵送では受理されず、わたしが再度どこかに出向かなければお受けしないというように読めるのですが、もうすでにこちらの意向は十分お話しし、そちらからも説明していただいているので、再度面会することなく、郵送にて受理してください」というメールを送りました。

 翌日6月2日18:10、佐藤氏より返信があり、「お送りいただきましたメールの内容は改めてハラスメント防止室に伝え、ご要望を検討するよう申し伝えます」とのことでした。

 このメールのやりとりにて、やっと郵送での受理が認められたと考え、6月14日わたしは友人・知人らの証言をまとめ、現代文芸コースでのハラスメントについてまとめた苦情申立書を郵送しました(甲3)。

 「最終的に郵送での申し立ての余地を排除していなかった」かのような早稲田大学の言い分はとうてい実情から遠く、ただでさえ傷ついている被害者がさらに神経を磨り減らしながら懇切丁寧に疑問点を指摘し言葉を尽くして何度も求めた末に、ようやく大学はあきらめないようだから仕方ないとばかりにしぶしぶ認めた、という印象です。「最終的に」までの遠い道のり、かかった労力に、心が折れそうでした。それでやっと入口にたどり着いたのです。これは被害者を門前払いしたがっているとしか思えませんでした。

 救済の手助けをしてもらえるはずと頼りにしたハラスメント防止室は、こちらに手を差し伸べ柔軟に寄り添ってくれるどころか、大学の定めた手続きのルールを一方的に押しつけようとするばかりでした。被害者にとって命綱であるはずの窓口が、消極的・拒否的な対応に終始してしまってよいのでしょうか。

 

 プレジデントオンラインの報道(甲34)によると、2017年度、防止室には191件の相談が寄せられ、そのうち申立されたのは9回だったそうです。残りの182件のうち、防止室の腰のひけた態度のせいであきらめさせられてしまった件も、存在するのではないでしょうか。

   

 

 

30 報道・解任・調査結果1(2018年6月20日〜8月)

   

 各メディアの取材がすすみ、6月20日、プレジデントオンラインにてW氏のセクハラについて報道が最初になされました(甲6の1)。W氏は取材に対し、「過度な愛着の証明をしたと思います。私はつい、その才能を感じると、目の前にいるのが学生であることを忘れてしまう、ということだと思います」などと述べ、わたしに対し恋愛感情があったことを認めました。報道を読むだけでも気持ち悪かったです。一方、M氏は「本件については、大学広報に対応を一本化しており、個別には答えられません」と回答したとのことでした。

 22日には2つめの記事が報じられました(甲6の2)。そこでは、M氏だけではなく、I氏によっても、W氏のセクハラについて、他の教員に対し口止めが行われていたとのことでした。授業中にWを擁護するような発言をしたり、W氏に対しわたしからお礼を言うように仕向けられたことはあったとはいえ、「Aにもよくないところがある」「W教授にセクハラされる学生には自分から近寄っているという部分もある」などと、わたしに対する明確なセカンドレイプをわたしの知らないところで第三者に行っていたという事実には、とてもショックを受けました。「自分から近寄っている」とは、いったいどういうことなんでしょうか。お願いもしてないのに勝手にゼミに入れてきたのはW氏の方です。女性蔑視も甚だしいです。I氏はわたしの詩集や同人誌を購入するほか、修士論文も高く評価していましたが、いままでの評価が公正なものだったのか、単にわたしを丸め込むためのものだったのではないか、とわからなくなりました。なお、取材のなかでI氏は「被害女性に対して今、何か思うことは」という質問に対し、「一教員として、彼女の現状をとても心配しています」と述べたとのことですが、その時から今にいたるまでI氏からは何の音沙汰もありません。

 プレジデントオンラインに続き、他のメディアでも続々と報道がなされました(甲7の1〜4)。わたしは日々、メディア対応や大学との応酬、関係者とのやりとりに忙殺され、仕事を減らさなくてはならなくなりました。

 6月22日、早稲田大学総務部法務課の磯部彰宏氏より、「苦情申立ての受領について」という連絡がメールできました。「本件については、より公正な調査を行うため、本学リスク管理・コンプライアンス推進委員会の下に調査委員会を設置し、外部の弁護士も委員として加えた上で、調査をすることといたしました」とのことでした。わたしは磯部氏に、「設置された調査委員会の構成メンバー、弁護士の名前、および、今後の調査の方法、かかる時間の目安について、詳細を教えてください」と質問しましたが、構成メンバーの詳細は教えてもらえず、「調査に要する時間については現時点では未確定ですが、厳正かつ可及的速やかに調査を進めております」とのことでした。わたしは構成メンバーのわからない調査委員会という存在に不安を抱きました。

 調査方法に関しては、「W教授その他の関係者への聞き取りを中心に行います。A様からは、苦情申立書をご提出いただいておりますが、詳細については、直接お会いして確認したい点もあり、可能であればA様からもお話をお聞かせいただけますでしょうか」とのことだったので、わたしは了承し、①弁護士の同席、②録音、③学外での場所の設置を許可するようお願いしました。①③は認められましたが、②録音は認められず、「こちらで録音いたしますので、音源そのものはお渡しできませんが、その反訳をご確認いただけるようにはいたします」とのことでした。

 7月2日、わたしは代理人とともに、早稲田大学の中野キャンパスでヒアリングを受けました。ヒアリングを行ったのは、教育学部教員の██氏と、外部の██弁護士でした。両者とも大変丁寧で、特に██氏の対応は被害者に寄り添っているように感じられました。主導していた██弁護士の方はからはときどきよく趣旨のわからない質問もあったものの、一つ一つの出来事について詳細に聞かれ、わたしがW氏から「人間以下」といわれていた事実の確認もあり、セクハラだけでなくアカハラに関しても問題視されていると感じました。また、コース全体の人間関係についても聞かれたため、両者ともにこれはコース全体の問題だということを理解されているという印象を受けました。ヒアリングは3〜4時間にわたって行われました。

 ヒアリングの後には磯部氏よりメールがあり、「本件については様々な問題を含んでおりますが、退職届が提出されていることもあり、当該教員の処遇に関しては、他の問題とは切り離して早急に結論を出す必要があると考えております。」とのことで、W氏の調査は早めに行われることとなったようでした。

 7日には磯部氏より「その他の問題については引き続き調査を行っているところではありますが、現時点において、当該教員のハラスメント行為が確認できましたので、調査結果についてご報告するとともに、当該教員の行為について学術院長の大藪より、お詫びを申し上げたいと考えております。」と連絡がありました。

 7月12日、コンブライアンス推進総括責任者 副総長島田陽一氏より送られてきた、W氏に関する調査結果の通知(甲8)では、セクハラの事実(不必要な身体接触・外見の評価・足元を見つめる・上着を脱ぐように指示し性的なからかいの対象とする・「俺の女にしてやる」と性的関係を望む)に関しては一連の継続的なハラスメント行為として、教育研究環境を著しく害するものであったことが認められていました。W氏は「才能を感じると、相手が生徒だということを忘れてしまい、男女問わず思い入れが深くなってしまう。しかし、教育熱と愛情を取り違え、愛情の表現をしてしまった。この日申立人に才能を感じ、恋愛感情を抱いたことは覚えており、恋愛感情を教育に使おうと思った。」旨を認めたとのことでした。「恋愛感情を教育に使おう」とはいったいどういうことなのでしょうか。社会生活上、不適切な対象に恋愛感情を抱いてしまったとき、それを自らの内に押しとどめず、臆面もなく肯定するばかりか仕事に利用するなどという考えは、理解を超えています。倫理に反しています。そういう教員を長年野放しにしていた事実について、早稲田大学の意見を伺いたく思います。当事者としては、率直に気持ち悪かったです。

 ユング派らに対する批判は、「ハラスメントまたは不適切な行為にあたるとはいえない」とされ、認定は曖昧にされていたため、強い疑念を抱きました。既に述べたとおり、性被害にはそこに至るまで被害者を追い込んでいくプロセスがあります。W氏はまずわたしの傾倒している対象を人格的に貶めることによってわたし自身を否定し、自尊心を奪っていきました。それが性加害への第一段階です。ヒアリングの際にもその点は丁寧に説明したにもかかわらず、早稲田大学はW氏の言動を一つ一つ切り離して評価しており、最終的なセクハラに至るまでの長期にわたるプロセス検証を怠っているように感じられました。

 特に、本件においては入試の選抜の異様さを検証することが不可欠です。にもかかわらず、この通知では、末尾に少しだけ「入学に際しての言動」という項目がつくられているだけで、W氏がわたしに対して「自分以外の教員は入学に反対していた」または「あなたに期待しているので、かけて私がとった」と告げたことに関して、「W教授としては、期待して合格にした旨を伝えたものと考えられるが、申立人にとっては、W教授がいなければ合格しなかったという印象を与えるもので、コミュニケーション上のギャップを生じさせた原因である。これが、全ての様々な事象の基盤になった可能性がある。」などと書かれて終わりとされているのにはびっくりしました。この点に関してはすでに2章で指摘した通り、学生教員間という地位の差異を利用した情報の歪曲を、個人間の問題かのように矮小化しています。また、それ以上に、大学にとって大きな問題であるはずの〈入試選考の過程の異常さ〉をまったく検証しないで済ませてしまっています。そこに大学が隠せざるを得ないことがあるのでしょうか。

甲8号証より

 7月25日、磯部氏に対し、プレリリース案では、精神的においこんでいった過程があることが、抜け落ちており不十分であるので、形式だけの謝罪ではなく、記者会見を開催し、誠実に説明していただきたいという旨を伝えました(甲67)。

 27日、早稲田大学のHPにて「教員の解任について」と発表されました(甲9)。懲戒処分はありませんでした。解任処分は、大学の立場からW氏に教壇に立つ資格がないと判断されたという点では意義のあるものだと思いますが、「深刻なハラスメント」であり「本学の名誉および信用を著しく傷つけた」と認定したにしては、処分が徹底していないと思いました。

 上述の通り、調査結果には事実関係の掘り下げが不十分と思われる点があったため、8月3日には意見の申入れ(甲68)を行い、

① わたしは違う教員が指導教員となることを望んでいたにもかかわらず、W氏はわたしに対して「他の教師たちはみんなお前の入学に反対していた」と虚偽の発言をして自ら指導教員となり、わたしにはW氏の指導のもとにつくほかないと思わせて逃げ場を失わせたこと

② わたしがまだ入学する前段階から、W氏は自分の授業に強制的に参加させ、わたしの研究対象としている作家や心理学者等を「死ね」などと言って一方的にこき下ろし、授業内で「それらを敬愛するものにはバカしかいない」などと発言し、明らかにわたしを侮辱した発言をして自尊心を傷つけ、精神的に追い込んだこと

③ W氏はわたしに対し上記のような支配的行為を継続して行い優越的地位を築いたうえで、2017年4月、研究指導を口実にわたしを呼びつけたうえで食事に誘い、「俺の女にしてやる」として性的な支配の対象として扱ったこと

 といった本質的な問題に関しては考慮されていないということを指摘し、W氏のセクハラは決して一時的な問題ではなく、長期にわたってハラスメント行為をくりかえし、支配・被支配関係を構築してきたことに起因すると主張しました。

 また、授業内で特定の人物について教員が「死ね」という言葉を発したり、学生に対して「人間以下」と不当な発言をして傷つけたりすることがまっとうな指導のあり方であるとは思えず、これを「批評・評価の域を超えるものということはできない」として許容することは、今後も同じような問題行為を行う教員を許すものであり、大学の認識の甘さに危機感を覚えるということや、コースや大学全体の体質にも関係するためW氏の過去の被害についても明らかにする必要性を述べました。

 8日に島田氏から回答がありましたが、「今回のW氏の解任処分については、これまでの本学における同種の事案における前例や、他大学、社会一般の事例と比較しても、非常に重い処分であると認識しております」とのことでした。

 また、

「W氏の行為が、A様を支配関係に置くことを目的として行われたものであるとのご主張については、調査委員会および査問委員会においても、慎重に審議、検討を行いましたが、W氏はそのような意図を明確に否定しており、W氏にそのような意図があったことを裏付ける客観的な証拠があるわけでもなかったことから、事実として認定することはできませんでした。」 

 とのことで、驚くべきことに、加害側に意図があったかどうかを「審議、検討」していたのです。その時点で、委員会のハラスメントについての認識がまったく間違っていることがわかりました。

 ドメスティックバイオレンスや虐待についても、臨床心理士の信田さよ子氏が「暴力という定義はふるわれる側、被害を受ける側に立ってはじめて可能になるのだ。ふるう側はみずからの行為を暴力であると定義づけることはほとんどない」(信田さよ子、シャナ・キャンベル、上岡陽江『被害と加害をとらえなおす』春秋社、2019年、16頁)と述べているように、加害者の「意図」だけでは問題を捉えられないことは常識になっています(ちなみに甲69では早稲田大学自身がそのことを認めています)。早稲田大学のハラスメントに関する調査方法には、そもそもの姿勢として問題があるのではないでしょうか。

 ハラスメントにおいて加害者の「つもり」がどうだったかは関係ありません。どういう行動があり、それが被害者にどういう影響を及ぼしたか、ということを丁寧に検証する必要があります。「意識的であるか無意識的かであるかを問わず」ということはハラスメントにおいて重要な点であり、早稲田大学のリーフレット(甲45)にも繰り返し述べられていますが、早稲田大学には自分で書いておきながら、その認識がないのでしょうか。

 加えて、

「A様が支持していた特定の作家や思想家等について、「死ね」などの厳しい言葉を使って批判することがあり、これによってA様が人格的に攻撃を受けたように感じたという点については、その種の批判的言動に慣れていなかったA様にショックを与えたという点では適切ではない面があったと存じます。しかし、講義における批判・批評を懲戒処分の対象とすることは、教員の表現の自由や学問の自由を侵害したり、教育研究の現場に萎縮効果を与えたりする可能性もあり、慎重にならざるを得ません。」
大学からの返答

 ということでした。

 この点についてのおかしさはすでに4章で述べたとおりですが、わたしはまるで自分が勝手に「攻撃を受けたように感じた」だけで、「批判的言動に慣れていなかった」わたしが悪かったかのように感じられ、とても落ち込みました。

 W氏もわたしの側に「免疫がなかった」ことを殊更強調しますが、受け取り側の問題とするのは、「こんなことで傷つくのは過敏」「だから傷つくほうが悪い」という悪質な責任逃れの典型的な弁解であり(甲19の60頁)、これも二次加害といえるのではないでしょうか。

 

 

31 調査結果2(2018年8月23日〜9月21日)

  

  わたしの事件の報道が出てからも、同じような被害についての情報が続々と伝わってきて、わたしは問題の根深さを改めて痛感していました。大学におけるハラスメントをこれほどまでに深刻化させたのは、W氏のように権力を利用して学生に勝手気ままに振舞う教員の存在だけではなく、そういう行為を把握していながら我関せずと見て見ぬ振りをし、歪んだ環境を醸成してきた少なからぬ教員・関係者たちの長年にわたる無関心の堆積であると考えられます。 

 学生にとって教員とは将来を左右する力を持った存在であり、教員のわずかな行為や不作為で学生は未来の可能性を奪い去られる恐れがあります。自分はそういう力を持っているのだということを、教壇に立つ全ての人が十分に自覚する必要があります。そのためには教員個人の努力にまかせるのではなく、大学が管理責任を負って教員に対してはたらきかけるしかありません。大学側がしっかりとハラスメントのはびこる環境を正し、今後二度と同じような被害者が出ないように、学生・院生・職員の意向をふまえながら、万全の対策をとる義務があります。

 そういうことも8月3日の申入れにおいて説明しました。

 ヒアリングの際も大学側は「問題自身が大きいので、こちらは1対1ということでは捉えていません」(反訳あり)といっていましたし、他にヒアリングを受けた関係者たちに話を聞いても、聞き取りはかなり丁寧にされたとのことだったので、W氏の調査結果に判然としない気持ちを抱えながらも、他の問題についてはきちんと調査が行われることを期待していました。

 しかしながら、8月23日に島田氏より送られてきた、M氏・I氏・およびその他の諸問題についての最終調査結果(甲10) を開くと、あまりにも多くの問題を含んでおり愕然としました。

 この調査結果については、2018年10月12日 東京新聞 特報部「異様さ目立つ早大セクハラ調査報告」「反省は形だけ?」(甲18の2)にて専門家から問題点が指摘されています。

 お茶の水女子大学准教授(比較政治学・ジェンダー論)の申琪榮教授は、「大学で起きるセクハラは、学生と教員という、一般の職場以上に圧倒的な力関係の差が根底にある。だからこそ、大学の認識や対応、教員の倫理観が重要になるが、この報告書はそれを全く理解していない」と指摘した上で、とくに問題なのは、関係者の主張の食い違いをどう判断するのかという、事実認定のあり方だと述べています。

 たとえば、調査委員会は相談を受けた教授が口止めした点について、「相談した側には口止めを受けたと感じる発言」と認めた一方で、「隠蔽の意図がないにしても、誤解を招く不適切な言動である」などと続いていています。このように、M氏の主張とわたしの主張が食い違い、どちらが正しいとも言い切れない場合、M氏の主張を「仮に主張通りであったとしても」という仮定法で認めたうえで、わたしがそれを「誤解」した可能性を示唆しつつ、M氏の発言は誤解されかねないので不適切とする、という論法が調査報告書では多用されています。これは最終的にM氏を批判しているように見せるだけで、実質的にはM氏の意図を無根拠に信用したうえでわたしがそれを「誤解」したと言っているにすぎません。これではあたかも「(M氏に)悪気はないかも知れず、女性を誤解させた」と教授の側を擁護することになります。

 申教授は、「『不適切な言動でも、厳しい処分にするほどではない』という認識なのだろう。他にも、教授が女性に今後の対応の選択肢を示して尋ねたかどうかについてなど、双方の主張に食い違いがあると、教授の主張を尊重していることが多い。」と指摘しています。面談の際にM氏から「ハラスメント委員会があるよ」などという説明があったのかについては、ヒアリングで聞かれた際にわたしは「全然ないです」と答えたにもかかわらず(反訳あり)、そのような認定には至らず、M氏の主張に鑑み、原告らの意向に添ってコース内対応になったかのようになぜか認定されています。

 調査委員会の事実認定の仕方については、同記事において、角田由紀子弁護士も苦言を呈しており、関係者の証言が食い違う重要な部分で「委員会の把握する資料からは認定できなかった」と結論付けているものの、その根拠となる「資料」が示されていないこと、調査委のメンバーも明らかにされていない点をあげ、「集めた証拠や証言をもとに事実を合理的に判断するのが事実認定だが、この報告書はその判断の過程が分からない。重要なメンバー構成が報告書をまとめた後も明らかにされないのはおかしい」と批判しています。早稲田大学の「用意した資料」とは、一体どういうもので、誰によってつくられたものなのでしょうか。いまだにわかりません。

 また、報告書には、M氏がわたしから相談を受けた際に、「(W氏のしたことは)グレーゾーンだと思った」と認めたともあり、「この程度の認識の教員を野放しにしていた早大の責任は重い。これまでのハラスメント対応の積み重ねをろくに検証せず、教職員の研修もおろそかだったのではないか」と角田氏はみています。

 全体を通して、事実認定の線引きが不明瞭なのですが、特に、T氏と、わたしの同級生である██さん(Hさん)の位置付けは恣意的です。

 調査結果ではわたしの主張を教授側が否定、または食い違いがあればそれだけで事実の認定を断念する傾向があります。にもかかわらず、T氏の発言については、わたしの主張を一切引用することなくそれ単体で、なぜか「動機」や「印象」にかんする推測を交えて「信頼できる」ことの確認をことさら行っています(Ⅰの2)。このような信頼性の論証が有効なのであれば、██さんの発言などについても、それが「信頼できる」か否かを丁寧に判断すべきはずです。反対にわたしがT氏の供述に異論を述べたならば、その時点で他と同様に事実認定を断念すべきはずなのに、不可解にもこの部分に関してわたしの主張は一切考慮されていません。

 この項(Ⅰの2)全体が、奇妙に慎重で冗長な記述をもって認定をおこなっているのは、「申立人(=わたし)が当初からW氏を公に訴えるつもりだったわけではなく、指導教員の変更などの比較的穏便な処置を望んでいた」という印象をはじめのうちに固めておくことが調査委員会にとってはきわめて重要だったからのように思えます。そして、調査結果の末尾(21頁)では、「大ごとにしたくない」という希望をわたしがもっていたことが留保なしに認定されてしまっています。

 そのように「信頼できる」T氏の供述と対照的に、██さんの発言は、大学側に有利な証言は客観的な傍証として扱っているのに(たとえば甲10のⅠ 1−3)、当事者側に立った発言の場合は「当事者」として、客観性が認められていません(たとえば甲10のⅠ 1―4)。とりわけ3−3において、██さんとM氏の面談において双方の認識が食い違ったことにたいし、「██の証言以外に裏付けるものはな」いがために「事実を認定することはできない」というのは、この調査報告における証言ないし供述というものの位置づけを根底から揺さぶる判断です。この基準に従うならば、前述の通り何の傍証もなく「動機」と「印象」の推測から「信頼できる」と判断されたT氏の供述の妥当性にも疑問符がつくことになります。

 ちなみに、T氏本人にあとで確認したところ、「Aさんの場合、W氏による被害だけというよりも、その後の対応の悪さを通じて傷を化膿させてしまったのであり、29日の時点でそう発言していたとしても、その後、どのように感情が変わっていったかをその都度その都度確認すべき」ということをヒアリングの際に言っていたと聞きましたが、調査結果ではそのコメントは完全に無視されています。

 さらに、これも東京新聞が指摘するように、報告書の体裁も異様でした。全ページに全面を使って左下から右上へ、わたしの名前が透かしのように入っており、わたしは目にするたびに苦痛でした。申教授は「女性にとってはまさに二重三重の苦しみ。自分が間違ったことをしたかのように感じられ、読むのもつらくなる。萎縮効果を狙ったのではないか」と推測しています。ちなみにわたしのあとに苦情申立てを行った方の調査結果には、名前の透かしがいれられていません。特に必要ではなかったということです。

 

甲18の2 東京新聞(2018.10.12)より

 

 申教授は「女性が何のために申し立てをしたのかわからない」「つまり、大学側は調査をしたという格好を見せただけで、最初から結論ありきだったのではないか。組織防衛に徹した印象を受ける」と批判していますが、この調査結果をうけて、わたしはいったいなんのためのヒアリングだったのだろうと落ち込みました。

 9月3日には、「早稲田大学リスク管理およびコンプライアンス推進委員会の調査結果に対する意見と申入れ(その1)」(甲11)、17日には申入れ(その2)を送り(甲12)、調査結果や調査方法の問題点を指摘しました。

 しかしながら、申入れに対してはほとんど実質的な回答が得られないまま、9月21日、大学のHPにて、「調査結果および本学の対応について」(甲14)という記事が発表されました。

 M氏に関しては「隠ぺいの事実は認められなかったが、申立人からの相談時や指導教員変更に関するやり取り等において、口止めをされているとの誤解を招くような発言をするなど配慮の欠ける対応や不適切な対応があった」と指摘されるのみで、「一定程度の職務を果たしている」とされていました。

 I氏に関しては、「元教授による申立人へのハラスメント行為等を酒席で第三者に話している女性教員に対して、「考えたうえで話しているのであればよいが、そうでないならば気を付けたほうがいい」との趣旨の助言をした。」ことについて、「不適切な行為であるとはいえない」と書かれていました。

 ちなみに、このときの女性教員(T氏)の言動について、報告書はことさらに「被害者にとっての二次被害を引き起こす可能性」などと非難めいた書き方をしていますが、わたし自身は、T氏はW氏のハラスメント行為に関して学生たちに注意を呼びかけていたと解釈しています。T氏は早稲田でのセクハラ問題についてメディアでも発言していましたから、わざわざ悪しざまに書かれたのだろうと思っています。

 わたし自身は言うまでもなく、多くの関係者がヒアリングには時間を割きました。ですが、そのヒアリングが大学側に都合のいいようにねじ曲げられてしまい、現場の力が及ばない本部で最終決定された報告書が作成されたように思われます。

   

 これをもって大学の調査はすべて終了となってしまいました。

 

 

32 公益通報(2018年4月〜10月10日)

   

 ハラスメントについての大学とのやりとりだけでなく、公益通報の負担もわたしは背負わされていました。

 ハラスメント防止室での面談、および直訴・その後の面談の際に、現代文芸コースにおける一連の問題のひとつとして、I氏の授業怠慢についても報告しました。しかしながらその度に、授業運営に関する事項については、別途、公益通報窓口より通報してほしいということを言われました。ハラスメント防止室ですでにその内容は伝えただけでなく、直訴・面談の際にも説明しているのに、改めて通報しなくてはいけない必要性がわかりませんでした。また、授業をしないというのは学生に対するネグレクトであり、ネグレクトはハラスメントに当たるのだから防止室で扱うべきということも訴えたのですが、頑として「公益通報窓口」へ行くようにしか言われませんでした。授業運営については本来大学が管理すべきことなのに、どうしてわたしがこんなに動かなくてはならないのだろうと気分が重くふさぎました。そのため、5月30日、大学が主体的に調査するのではなく学生に何度も負担を強いていることの是非について、佐藤総務部長にメールで問い合わせました。

 31日、返信がありました。

「通報者の保護およびプライバシー保護の観点から、ご本人による通報窓口へのご相談、通報をお伝えした次第ですが、A様のご了解をいただければ、当方から公益通報窓口への連絡を取らせていただきます。」

 とのことだったので、了承の旨を伝えました。

 しかし、6月7日にきた公益通報窓口からのメールを確認すると、すでに訴えた内容は伝わっておらず、改めてわたしが「不正行為等通報窓口」の専用フォームより通報を行わなければならないことになっていました。また、わたしは匿名でいたかったのですが、そのメールには、

「匿名者および学外者からの公益通報については、「公益通報者等の保護等に関する規程」の規定に従い、原則として、調査結果の通知はされないこと、および公益通報 者としては保護されないことを、あらかじめご了解いただきたく存じます。」

 という記載があったため、不可解に思い、9日佐藤総務部長に問い合わせのメールを送りましたが、佐藤氏から返信がくることはありませんでした。わたしは個人情報を入力するのが不安でしたが、匿名では保護されないのならしかたないと思い、専用フォームに情報を記入して通報を行いました。

 6月19日、通報は受理され、公益通報対応委員会事務局よりメールで通知がきました。しかし、担当者の名前が記されていないことが気にかかりましたし、通知書の内容は、すでにわたしが提出した証拠以外にも、I氏の休講の事実を特定できる資料を求め、証言者を明らかにするように要求するものでした。

 引っかかりをおぼえたわたしは、①もうすでに直訴や面会にて詳細を話しているのだから、本来ならその段階で大学が独自に調査すべきであるということ、②証言を行った学生の情報を聞き出そうとするのは不適切であり、調査協力者の保護が守られていないこと、③受講生達に匿名でアンケートをとるなどして、実際に授業運営がどのようになされていたかを調査するのはわたしではなく大学のやるべき仕事ではないか、ということをメールで指摘しました。それに対して、公益通報対応委員会事務局より「言葉足らずで配慮が行き届きませんでした」と謝罪のメールが返ってきました。

 6月22日、わたしは証拠書類5件を提出しました。25日には証拠受領の報告メールが返ってきました。

 また、19日の通知書を知人に見せて相談した際に、どうして通報内容を他言しないよう書かれているのだろうとひっかかったため、再び公益通報対応委員会にメールを送り、他言していけない理由を説明してほしいと聞きました。しかし、27日に返ってきたメールによると、「通常、通報内容が他に漏れることは通報者の特定につながりかねないため、通報者保護の観点から、どの通報者の方への文書にも一律に付記しているもので、他意はありません。また、あくまでお願いであって、強制力のあるものでもありません。」とのことでした。また、今後の調査方法・調査期間にも尋ねたのですが、「お答えしかねます」とのことでした。

 その後、どれだけ待っていても、早稲田大学からは一向に公益通報に関して連絡がありませんでした。8月25日、わたしは「その後何の音沙汰もありませんが調査はどうなっているのでしょうか?調査にかかる期間は明らかにできないということで了承いたしましたが、もうすでに2ヶ月経っています。何らかの報告をしていただくことが望ましいです。」とメールを送りました。 28日に返ってきたメールは、

A様からの公益通報については、本学の「公益通報者等の保護等に関する規程」
に基づき、被通報者に対する聴聞を含む公益通報対応委員会が必要と判断した調査
が終了しました。
 調査の結果、公益通報対応委員会は、被通報者および授業の実施箇所長に対して、
是正および再発防止のために必要な措置を講じることを勧告することとしました。

 というだけのものでした。

 調査の内容が通報者のわたしにも明らかにされていないことに引っかかりをおぼえたため、9月18日、①公益通報対応委員会の調査結果 ②「是正および再発防止のために必要な措置」の具体的な内容 ③被通報者に対する処分の有無。処分があった場合はその内容などを明らかにし、公表することを求める内容証明を送りました。

 しかしながら、10月10日に返ってきたメールでは、「9月21日付けの大学のWebサイトにてすでに公表している」というような形式的な回答がなされただけで、実質的な回答は得られませんでした。わざわざ個人情報を伝えたのに、何の意味もありませんでした。

 結局、いまにいたるまで、I氏の度重なる休講・遅刻によって損なわれた授業については何の補償もされていません。教員が規定の回数分授業をしていなかったというのは契約違反だと思いますが、現在の早稲田大学では、きちんとその契約を履行しない教員に対して、学生側がとれる手段は何もないということなのだと思います。

 わたしはここまで負担を背負って問い合わせ続けたのに、自分のやったことがまったく意味がなかったことのように思え、虚しくなりました。

   

   

33 その後のやり取り・裁判(2018年6月〜2019年6月)

  

 わたしはこういった不毛なやりとりによって疲弊していきました。その上、加害者たちとのやりとりがまだ続いていました。

 2018年6月25日 W氏の代理人より、「謝罪したい」と連絡がありました。これに対して、弁護士から、以下のような書面を送りました。

 この書面によりますと、「事実の経過・事案の違法不当性」「直接謝罪すべきこと」「謝罪が遅れたこと」の問題性等全てについて認めており、謝罪したいと記されています。

 しかし、報道等による限り、W氏の発言は事実を率直に認めるものではなく、「過度の求愛」などという表現を用いて、W氏が被害女性に投げかけた言葉をはじめ事実関係を曖昧なものにしようとしています。また、「過度の求愛」などと述べていわば一時の感情表現の誤りというレベルの問題としてお考えのようですが、事ここに至る経緯を見れば、被害女性が大学院に入る際に、その意に反してW氏が指導教官となったうえ、「他の教員が反対したのに俺が入れてやった」と女性に申し向け、さらにその後の振る舞いを通じて、被害女性を精神的に支配しようとした経過もあるほか、身体的な接触も断続的に行われており、まさに「優越的地位、指導上の地位、職務上の地位、継続的関係を利用して、相手の意思に反し」(早大のハラスメント防止委員会のリーフレット)て行われた悪質なセクハラ行為と認識しています。この事実関係について曖昧にしたままの謝罪では意味はないと考えています。

 また、被害女性が知る範囲でも、W氏によるパワハラ行為は日常茶飯事であり、また、セクハラに関する噂も伝わってきていましたが、今回の報道をきっかけに、過去のセクハラ行為についての情報も寄せられています。被害女性は、W氏のセクハラをきっかけに最終的には大学院を中退することを余儀なくされ、学び成長する場を奪われてしまいましたが、同じような被害にあった学生、院生が相当数にのぼるのではないかと思われます。W氏は教員として、学生、院生を一個の人格として尊重し、学びを通じてその成長を保障するという考えをしっかり持っておられたのか、そして大学という特異な権力関係が支配する空間で、自分本位の言動がいかに学生、院生の精神と学業・進路を大きく傷つけることについてどれほど思いを致しておられたのか、はなはだ疑問であり、教育者としてのモラルや資質が根本的に問われる事態であるように考えます。その責任は被害女性個人に対する謝罪だけで済むような問題ではすでになく、公的な責任が問われているものと考えます。この点について、どのようにお考えでしょうか。

 こうした点について、真摯に受け止め、お答えいただけることが、協議の前提と考えています。

 それからだいぶ遅れて 9月20日 W氏より謝罪文(甲27)が届きました。

 しかしながら、「当夜の言動を猛省した」「昨年4月20日のこと、大変申し訳なく思っております」とかいてあり、W氏は2018年4月20日に「俺の女にしてやる」といった事実しか問題だと思っていないようでした。こちらから送った書面は検討されていないように思えました。もしかしたら読んでさえいないかもしれない、と感じました。東京新聞の取材に対する当時の代理人の応答(甲18の1)も、同じような認識に基づくものでした。

 それでは謝罪の意味がないと思い、10月8日の連絡で再度指摘しました(甲70)。

 以前、2つの点を問い合わせさせていただきました。

 第1は、「過度の求愛」などといういわば一時の感情表現の誤りというレベルの問題ではなく、「優越的地位、指導上の地位、職務上の地位、継続的関係を利用して、相手の意思に反し」て行われた悪質なセクハラ行為と認識しているかどうかという点です。報道を見る限りそのような認識はうかがえませんし、そして今回の謝罪文も、昨年4月20日のこと及びそれ以降のことについて反省を述べておられることからしても、それ以前からの継続的な振る舞いについては問題と考えておられないように見えます(第1点)。

 第2は、他にも同様の被害者が多く存在していること、多くの学生・院生が受けた被害の点です。他の被害者の存在は大学の調査でも確認されており、こうした事態への反省はあるのでしょうか(第2点)。
 
 また、今回謝罪するということですが、上記のような本人が心身に深い痛手を負ったこと、そして夢を持ってのぞんだ大学院を去らざるを得なかったこと等々、本人が被った多大の損害についてどのようにお考えなのでしょうか(第3点)。

 返答がなかったため、12月には通知催告書を送付しました(甲71)。

 2019年1月7日はW氏の現在の代理人より回答があり(甲72)、

「ご指摘のハラスメント、パワーハラスメントとして記載されている事項につきましては、ほとんどが事実無根の事柄、A様の誤解によるものと思われます」 「裁判において、Wの言動にハラスメント、パワーハラスメントと判断される事実が存在するならば裁判の場において謝罪し、しかるべき慰謝料の支払いをするのが相当だと考えます」

 と、謝罪文のときから態度が一転しており、がっかりしました。

    *

 一方、大学の調査が終了してからも、M氏からは何の謝罪もありませんでした。

 2018年12月19日、M氏に対しても、通知催告書を送付し(甲73)、①事実を率直に認め、自らの誤った行為について謝罪すること ②わたしの蒙った被害を慰謝するに足る措置を講ずることを求めましたが、M氏は応じず、やりとりは半年以上、3往復にわたりました。

   2月8日 M氏より回答書(乙ロ11の1)

   2月26日 M氏に再通知書を送る(甲74)

   3月13日 M氏より回答書2(乙ロ11の2)

   5月14日 M氏に通知書3を送る(甲75)

   7月16日 M氏より通知書(乙ロ11の3)

  いずれの回答書でも、M氏は自らの行為を正当化するばかりでした。そこには、「3つの提案」(17章参照)をしたなどという、真っ赤な嘘さえかかれていました。わたしは信頼して被害内容を打ち明けた相談相手——あろうことかフェミニズムを語っているような人物が——自分の保身のためにこれほど嘘をつくのだということにダメージを受けました。

 M氏は、6月4日に██さんからの再抗議があったという事実や、██さんに対して「僕からいってW先生が謝ると思う?」「Aさんの側にも悪い点があったのは事実」などといった発言をし、他の教員に業務的な報告さえしていなかった(そのことはあとの5月11日H氏のメール(28章)であきらかになった通りです)という、自分に都合の悪いことにはろくに触れないまま、指導教員変更手続きの際にわたしが「ありがとうございます」などと送ったメールをやたらと引用して、当時のわたしが「満足していることは明らか」などと決めつけていました。

 また回答書では、面談時やそのあとの食事はリラックスした雰囲気で、和やかな会話がなされたことが強調され、それがM氏が二次被害を生じさせる発言をしなかったことの証拠のように書かれています。が、セクハラや二次被害発言を受けた被害者が、そのことを受け止めかねて、ほほえんでしまったり、にこやかに流す対応をすることはよくあることです。このことは何の証明にもなっていません。ましてや、当時のわたしはM氏に頼るしかほかない状況でした。すがるような思いで頼っていた学生側の心情を推し量る気はまったくないのだなと感じました。

 しかも、相談後にM氏の自主ゼミに参加したことさえも、回答書の中では利用されていました。わたしは海外文学が好きだったため、アーサー・ミラーの戯曲について取り扱うというのをきいて、純粋に文学的好奇心に突き動かされてゼミに参加したのに、そのことを何度も回答書のなかで引き合いに出して、セクハラについての相談がうまくいったことの証のように使われているのですが、それとこれとはまったく別というふうにしかいえません。わたしの文学への純粋な思いを悪用されたようで、卑怯だと思いました。

 加えて、回答書のなかでは、わたしの業績を根拠に、わたしが「被害者のように見えなかったこと」が印象づけられているように感じました。わたしの出版した詩集の栞文・帯文が豪華だったということが、いったい本件ハラスメントと何の関係があるのでしょう? わたしがTAの仕事を休まずにきちんと行ったことも、ハラスメント被害にあったあとも予定どおり詩集を出版したことも、優れた修士論文を書いたことも、ただ、わたしが努力した結果にすぎません。わたしが最悪の精神状態で歯を食いしばってやったことを、「ダメージを受けていなかった」「被害がなかった」ことの証拠として利用されたことは、とても悔しく、許しがたいことでした。

 おまけに、M氏は、わたしがどれほど苦しんでいたかを知ろうともせずに「A氏が退学したことと、通知人(M氏)の本件ハラスメント言動への対応に因果関係はないと思料します」と決めつけ、「ミスリーディングを誘うプレジデントオンラインに利用されたのではないかと思料します」などと、まるで陰謀論のような読みを展開していました。M氏をはじめ、早稲田大学の窓口も頼りにならなかったため、メディアという外部を頼って発言したわけなのに、そこにわたし自身の意志がまったくないとでもいうのでしょうか。プレジデントオンラインの記事は、わたしのいいたいことがかなり尊重して書いてあります。それがわたしの意志ではなかったというのはテクスチュアル・ハラスメント——テキストに対して性差別を行うこと。「女性にはこんな論理的な文章は書けない」などと決めつけること——でもあると思います。

 わたしはM氏の回答書を読むたびに落ち込み、自分を責めました。食事のときに笑わなければよかった、自主ゼミなんかいかなければよかった、先生方へのメールに「ありがとうございます」なんて書かなければよかった、と思ってしまいました。「ありがとうございます」なんてちょっとした挨拶のようなものなのに、いまだに誰かにお礼を言う段になると、あとで利用されてしまうのではないかと疑心暗鬼になり、言い澱みます。そんなの異常なことだと思います。

 W氏もM氏も、こちらの言葉を真摯に受けとめるところがなく、自分のやったことにしっかり向かい合う姿勢も感じられませんでした。ハラスメントとは何か、二次被害とは何か、ということを学んだ様子は微塵も感じられませんでした。それどころか、保身のためにわたしの当時の言動を勝手な解釈で利用し、攻撃してきました。「退学はAの語学の単位不足なのに、ハラスメントのせいにした」という物語に拘泥し、わたしが修論を頑張って書き上げたことまでも、逆手に取られてしまいました。わたしは、彼らから届く言葉を読むたびにダメージを受け、次第に、日常的な日本語を読むことにさえ忌避感をおぼえるようになっていきました。読むこと、書くことは、それまでわたしの生きがいのようなものでしたが、ただ苦痛を感じるばかりで、まったくできなくなっていきました。

 わたしは決して闘う意欲に満ちて裁判を始めたのではありません。このときは精神的に瀕死のような状態で、できればこの件から遠ざかって静かに暮らしたいという気持ちも強かったです。

 ですが、こんな理不尽なことばかりの事件をこのままにしておけば、わたしが感じた苦痛やわたしという人間そのものがなかったことのように打ち消され、否定されていく、ということは強く感じていました。それでは、また同じことが誰かの身に起こってしまうかもしれません。せめてそれを阻止したい、という気持ちが、遠ざかって静かにしていたいという気持ちをわずかに上回りました。

 

 2019年6月20日 訴状を提出しました。

  

    

34 さらなる被害(2019年8月)

   

 とりわけ2019年8月に出された『映画芸術』(乙イ)には深い損害を被りました。

 わたしがこのインタビューの存在を知ったのは、数ヶ月後でした。友人が教えてくれたのですが、わたしは一切読むことができず、内容を知りたくもなく、弁護士に先に確認してもらいました。

 裁判がはじまってから、証拠として提出されたため、仕方なく読みましたが、客観的取材が皆無で、Wの言い分だけが書き連ねられた文書を読むことはこの上なく苦痛でした。二次被害そのものでした。準備書面1でもかきましたが、これはW氏のためのプロパガンダだと思いました。

 大学の調査報告書ではW氏のセクハラが複数認められています。ですが、調査報告書は一般の人はまず読みません。それに対して、映画や文学など芸術分野に関わる人が広く目にする可能性の高い雑誌に、W氏の言い分だけが記載されたことに、はかりしれないダメージを受けました。

① 被害者の存在の軽視

 まず、あの謝罪文でまがりなりにも示されていた反省の態度はなんだったんだろうと、裏切られたような思いになりました。W氏の謝罪文に対してこちらが重ねて問いかけたことには答えず、雑誌のインタビューの問いには気前よく丁寧に答えていること自体が、わたしという存在を軽んじているということです。セクハラ当時はもちろん、それに対する反省の弁を述べた後でも、W氏はわたしを自分と等しく人権をもった相手として尊重してはいないようでした。

② 中立を装っていて悪質

インタビュアーは、わたしが詩集を献本したこともある詩人の稲川方人氏でした。稲川氏は現代詩の分野では知名度がたいへん高く、評価された著書が数多く、多くの読者を持っています。そういう人物がインタビュアーとして、一見中立を装いながらも、W氏を「自らの正当性をいたずらに主張するような人ではない」「Wさんが紳士的な人だということは多分大学側もわれわれも知っている」「マスメディアの虚構によってWさんの人格が作られている」「作られた人格なんだということは強調するべきだ」と褒め称えつつ擁護していることに衝撃を受けました。

③ 嘘が書かれているのに反論できない

インタビュアーは「出来事の事実、正否についての判断に介入しない」「一方の当事者の話を聞くに際しての評価が、ともするともう一方の当事者を非難するという反作用に荷担するという危うさを認識しながらお話を聞く」と言ってはいますが、実際には、W氏が自分の都合のいいように語っていて、そこにはわたしには明らかにウソだとわかることがいくつもありました。それに対して、わたしはいったいどこで反論すればいいのでしょう。文学業界で持っている力の差を利用してW氏は事実をねじ曲げようとしていると感じました。

④ 勝手な推論と印象づけ

しかも、W氏の言にいっさい疑念を差し挟まないインタビュアーは、事実の記憶についても「Aさんにとっても追認なんだろう」「他学部の件から遡及的に思い出された可能性はある」などと、わたしのことなのに勝手に想像して決めつけています。これが高名な詩人のやることだろうかとわたしは絶望し、こういう見方が詩人のあいだに広まったら(それはありそうなことに思えました)、新人の詩人にすぎないわたしに対して、先入観をもって接してくる人がどれくらいいるのだろうかと不安になり、まだ業界に入ったばかりだったのに、これから先ずっとそういう先入観と戦わなければいけないのだろうかと、途方に暮れました。

⑤ 謝罪文の無意味化

プレジデントでも、大学の調査でも、謝罪文でも、W氏は「俺の女」発言を本心からの言葉であったことを前提にして反省なり言い訳なりを述べていたにもかかわらず、時間が後になるに従って、この裁判では「親しみをこめた冗句」と表現し、映画芸術でも「調子に乗って、相手が学生であることを束の間忘れました」という軽い表現に変えています。あの謝罪文は一体何だったのでしょう。記憶を捏造でもしているのでしょうか。自分のやったことに向き合うどころか、逃げているとしか思えない態度であり、謝罪文を無意味化する行いです。わたしは、またしても裏切られた思いでした。

⑥ 中退の原因の矮小化

わたしの中退がハラスメントが原因ではなく、語学の単位の問題かのように矮小化されていることも気になりました。本陳述書の25・26章ですでに述べましたが、これは事実ではありません。語学の単位がとれなかったのは、学業の不振ではなく、出席できなかったためであって、それはW氏のセクハラ被害を受けて大学に行けなくなったからです。W氏がセクハラをしなかったなら、わたしは大学に通い続けられたし、語学の授業にも出席できました。「語学をとれていればすんだ話」(乙イ1の89頁)、「語学を取ればよかっただけ」(同89頁)というのは、W氏の責任回避です。

⑦ 論点のすり替え

指導教員決定の経緯にかんして、W氏は「純然たる誤解です」と強く断定していますが、わたしも、希望通りの教員につけないこともあるという面接時のアナウンスは聞いています。そこに誤解はありません。もしも、希望していたH氏は人数的に無理だから同様に創作をみてくれる別の教員につくことになったのだとしたら、落胆しつつも納得していたと思います。わたしが問うているのは、なぜわざわざ批評家のW氏が名乗りでて指導教員になったのか、ということです。しかも他の先生方と相談もなしに、面接の途中でわたしに聴講にくるよう告げました。客観的にも妥当性のないその事態に至った経緯を説明してもらいたいと繰り返し願っているのであって、論点をずらしてはぐらかすのはいいかげんやめていただきたいと思いました。

 W氏はわたしから「じかに文句を言われたことがない」ことが「もっとも残念な点」と話し、「僕は、文句を言われたくらいで、その人の『将来』を奪うなどという卑劣なまねは断じてしません」と述べていますが、そもそもハラスメントとは、職場や学校などの協働・指導教育関係から起こる権力関係——「ノー」と言ったり回避できない関係——から生じるものであるという大前提(甲20、29頁)を、W氏は知ることもなく、解任されてからもなんら学ぶことをしていないことに呆れました。

 このような加害者による行為は、わたし以外にも、ハラスメントを受けた学生にとっては、声をあげれば将来のキャリアを潰されかねないという恐怖心を抱かせることになり、告発の意志を挫けさせることにつながります。こうした点で、この記事自体が、二次被害を再生産するという点で、はなはだ悪質だと思いました。

   

   

   

第8 損害