35 損害

 わたしにとって文学は、単なる趣味や研究対象ではありませんでした。本件には関係ありませんから記しませんが、これまでの人生にはそれなりの困難があり、生きづらく感じるなかでようやく手にした唯一のよりどころが文学でした。現実がどれだけわたしにとって苦しいものであっても、詩や小説を読んだり書いたりしている間は自由を感じることができました。わたしにとって文学とは心の安息地でした。創作の言葉があればわたしはこの現実を生きていけると思い、だからこそ文学で身を立てられるようになろうと願って大学院に進みました。

 大学院の先生方は、わたしにとって大切な〈文学〉を担っている、敬愛すべき存在のはずでした。これほど俗悪で、差別的で、自らの保身のためには弱者を踏みつけにし、平気でウソをつく人たちだったと知り、心の底から失望しています。セクハラの過程も、その相談の顛末も、その後のやりとりや裁判を通じても、文学に携わる教員たちの不誠実で卑怯な言葉に触れるたび、わたしがよりどころにしていた〈文学〉とは何だったのか、根源的に裏切られたような思いになりました。こんな振る舞いをする人たちが重んじられている〈文学〉など、わたしは信じることができません。W氏やM氏やI氏らの言動は、わたしが大切に思っていた〈文学〉を汚しました。今のわたしは、〈文学〉に対して失った信頼を、自分の力で再び構築しなおしている最中です。

 現実的には、告発後、時間も体力気力もそちらに費やすことになって、自分が主宰していた同人誌の活動、読書会や勉強会ができなくなりました。2017年度には毎月詩誌を発行するなど意欲的に作品発表をしていましたが、告発してからは1冊も発行できていません。以前は、他の人が企画した会にも積極的に出かけていたのですが、それもできていません。また、文学関係のイベントには、関係者に出くわすかもしれないという恐怖が先立ち、行くことができなくなりました。もともとわたしは文学についての知見を得ることに貪欲で、興味のあるテーマなら必ず足を運んでいたのに、今はすべて断念しています。他大学への聴講などもよく行っていましたが、いまはまったくしていません。W氏やその関係の著者の名前を目にすることも苦痛になり、本屋にさえ行けなくなりました。セクハラがわたしから学習の場と機会を奪ったというのは、大学でのことだけに限りません。

 それでも創作活動がわたし自身の支えでしたから、歯を食いしばって書くことを続け、2018年には第2作品集を出版しました。ですが、完成した本を前にして、献本先を考えようにも、わたしは文学者として誰を信頼していいかまったくわからなくなっていて、ほとんど献本を行いませんでした。第一詩集を出版した際は100人近くに献本しましたし、本屋への営業なども自ら積極的に行っていましたが、二作目のときには、わたしはもはやほとんど誰のことも信じることができない精神状態に陥っていました。その後、本を読んだ編集者から原稿の依頼がくることもあり、根気よく働きかけてもらったのですが、わたしはすでに文学に希望を感じられなくなっていて、書きかけていた作品を完成させることもついにできませんでした。セクハラにさえ合っていなければ第2作品集以降も休むことなく書き続け、積極的に仕事を引き受けていたと思います。

 セクハラはその瞬間だけの被害では終わりません。長く深く被害者の心身を蝕みます。尊敬すべき対象から性的に扱われたという体験、その後の教員たち・大学の不誠実な対応を通して、文学および文学に携わる人間への疑念と不信、言葉というものに対する絶望感が深まり、わたしは次第に読むことも書くこともできなくなっていきました。親しい人だけの詩の教室にはそれまで皆勤だったのに、そこにすら行けない日が2年近く続きました。

 大学院を中退することになり、読むことも書くこともできなくなったわたしにも、人生はあります。創作で身を立てることができないなら、出版関係を避けて就労するしかありません。そう考えて福祉関係の仕事に就いたのですが、そこで男性職員から思ってもみない距離の詰め方をされるという出来事がありました。それ自体は職場の方がきわめて迅速に、適切に対応してくださって事なきを得たのですが、そのときわたしの中にはM氏の「君に隙があった」という言葉が甦ってきて、すべてわたしのせいなのだろうか、この職場ではなくてもまた同じことが起きるのだろうか、二次被害を受けて責め続けられるのだろうか、早稲田大学と行ったような果てしないやりとりをまた繰り返すことになるのではないだろうか、という考えが頭から離れなくなってしまいました。結局、その職場のせいではないのですが、わたしの中に植えつけられたハラスメントの恐怖のために仕事を続けられなくなり、祖父母の介護が必要になったことをきっかけに実家に戻りました。以来、仕事に出ることができていません。W氏のような年格好の男性に接近されることにも生理的な恐怖と嫌悪を覚えます。

 現在のわたしは収入ゼロです。またハラスメントに合うのではないかという恐怖のために就労できず、こんな状態がいつまで続くのか、不安と焦燥にかられています。同年代の人たちがキャリアを積み、私生活も充実させていっている姿を見ると、そこから遠く、孤立しているように感じ、わたしはいったいどこで間違ってしまったのだろうという気持ちになります。

 裁判の過程では、わたしが長年の思いを込めて修論を書いたこと、必死の思いで詩を書き続けて詩集を作ったことなどが、まるで被害がたいしたことではなかった証拠のようにもちだされたことに絶望させられました。文学に携わる者が、わたしの文学への純粋な熱意を逆手にとって言い訳に利用するなんて、よくもそんなことができるな、と思います。汚らわしいです。また、被告たちは、わたしが中退したことをわかりやすい問題としたいのか、語学の単位など些末なことをことさらに取り上げてセクハラの結果ではないと反論しています。が、わたしにとって中退というのは派生したことの1つにすぎず、あくまでもハラスメントそのものが根本的なダメージです。加害者がハラスメントそのものに向き合わず、大学がハラスメントを放置した責任に向き合わず、目くらましのように派生した問題にすぎないことについて言葉を費やすのに延々とつきあわされるのは、苦痛以外の何ものでもありません。

 そのように、被告側から送られてくる書面は、わたしにとってセカンドレイプのようなものでした。裁判が進むにつれ、書面が届くこと自体に恐怖を抱くようになり、郵便受けに封筒があるとそれだけで心が塞ぎ、触ることも開けることもできないまま時間ばかりが経つようになりました。勇気を振り絞って確認しても、わたしが純粋な文学への思いでしたことがねじまげられ、利用され、裏切られ、ウソの言葉が並んでいます。しかも、わたしが必死でハラスメントについて勉強し、資料を探し、送ったこちらからの書面を真摯に読んでいるとはとても思えない文言ばかりです。なぜ加害者はハラスメントについて学ぼうとしないのでしょう。反論するなら、せめて同じ知識を持ってしてほしいとさえ思います。徒労感と絶望を重ねるような日々に鬱状態になり、今もカウンセリングや心療内科への受診を必要としています。

 たら・ればを考えるのは虚しいことですが、W氏からのセクハラを相談したとき、もしも指導教員変更と同時にすぐ大学の相談窓口へ行くよう勧められていたら、そして窓口対応から調査へとスムーズに運び、結果としてW氏に対して適切な処分が為されるのを即座に見ることができていたら、わたしの傷はこれほどまでに深くならなかったと思います。文学や大学に対してここまで絶望することにはならなかったでしょう。裁判を起こす必要もなかったかもしれません。M氏を始めとする教員たち、そして大学がやったのは、悪質ドライバーによって交通事故にあい大ケガを負った被害者に「それくらい大丈夫でしょ」と言って放置しつつドライバーには愛想笑いすること、ようやく自力で病院にたどり着いた被害者を追い返したりとても治療とは言えない杜撰な対応を繰り返したりするようなことです。それは職務怠慢であって法律に触れることではない、と主張されるのかもしれませんが、わたしの傷を修復不可能になるほど深くしたことに間違いありません。損害を大きくすることに加担したのだから、それを償おうという姿勢をみせていただきたいです。

 長い陳述書となりましたが、〈文学〉を奪われたわたしが、これ以上踏みにじられ、否定されることに抵抗するためには、こうしてわたし自身の言葉を尽くすしかありませんでした。これ以上、わたしの言葉が蔑ろにされないことを願っています。


* 大学のハラスメントを看過しない会は、寄付を原資として運営しています。資料の公開にあたっての編集作業もボランティアで行っています。ご支援、よろしくお願いいたします。

 
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