本年2月22日、深沢レナさんが原告となっている裁判の第二審(控訴審)判決が下されます。
一審の判決文(原判決)は、セクシュアル・ハラスメントの基本的な構造についての認識を欠くと同時に、そこで被害者が強いられる苦痛に関しても不十分な理解しか示しませんでした。
原告は判決を不服とし、控訴審で「控訴理由書」と「控訴理由補充書」を提出しました。概括すれば、原告は以下2点の事実の認定を求めていることになります。
① 被告W氏によるハラスメントは“たった一度”の加害行為などではなく、社会的地位や関係性を利用して段階的に被害者を囲い込んでいく「エントラップメント型」のセクシュアル・ハラスメントであったこと。
② 被告W氏の一連の行為、ならびに大学当局の不適切な対応が、原告(第二審では控訴人)を精神的に追いつめ、退学にまで追いやり、学習・研究の機会を奪ったこと。
他方、被控訴人であるW氏および早稲田大学からは、それぞれ答弁書や準備書面が出され、原告の主張に反論するかたちになっています。
一審の地裁判決以降の経緯は、以下の通りです。
2023年 4月6日 第一審・東京地裁判決 4月20日 原告が東京高裁に控訴状を提出 6月9日 原告が控訴理由書を提出 10月16日 早稲田大学が控訴答弁書を提出(準備書面は10月10日付) 10月18日 原告が控訴理由補充書を提出 10月26日 W氏が答弁書を提出 同日 結審 2024年 2月22日 控訴審・東京高裁判決(予定)
W氏の答弁書ならびに早稲田大学の答弁書に書かれた主張をまとめると以下のようになります。
【1】W氏側の主張
答弁書そのものは、3ページに満たないもので、弁護士が一審での主張を繰り返しているものです。そこに2点の陳述書が付され(「乙イ第7号証」と「乙イ第8号証」)、新たに被控訴人の主張を立証するために提出されています。
要点は以下の通りです。
A)被控訴人側は、原告の控訴が棄却されることを求め、訴訟費用が一審・二審ともに原告の負担となることを要求している。
B)元学部生の証言に依拠して、被控訴人のゼミには「権威的な圧力や暴力的な支配は存在しなかった」(=W氏のふるまいはハラスメントではない)と主張する(乙イ第7号証)。
C)授業中の、村上春樹氏や河合隼雄氏への「死ね!」といった暴言は、あくまでも「テクスト論」的学問に立脚した批評的行為であって、ハラスメントではないと主張する(乙イ第7号証)。
D)「不良枠」という語は、学生を貶めるような語句ではなく、むしろ特別に期待をかけている、伸びる可能性のある学生をさすものであったと主張する(乙イ第8号証)。
【2】早稲田大学側の主張
もう一方の被控訴人である早稲田大学の「準備書面」は、全部で36ページある長いものですが、原告の控訴理由書に反論しながら、基本的に第一審の判決内容を支持しています。
要点は以下の通りです。
E)早稲田大学は、原告の控訴を棄却し、訴訟費用も原告の負担となるよう要求している。
F)個々の事案の解釈や法的判断に関して、原判決(一審判決)の判断は不当ではない、と主張している。
つまり、W氏によるハラスメント行為があったこと自体は認めており、それに対する大学の責任と過失も一定程度まで認めており、М主任による法的義務違反も一部までは認めている一方で、それらを超える原告の主張(一審で棄却された主張)については、二審でも棄却されるべき、と主張しているわけです。「早稲田大学は、W氏の主張に賛同しているわけではない」と一線は引いているものの、基本的に、「原判決に誤りはない」「原判決の認定している以上の不法行為はない」という立場を強調しています。
重要な点を具体的に示すと、
・大学院入試のプロセス自体は不法行為ではなかった、と主張している。
(入試の異常性については、原告が強く主張していたにもかかわらず、原判決ではなぜか一切踏み込まれず、言及が回避されています。)
・教員と学生の間の「支配従属関係」があったとは認められない、と主張している。
・W氏/М主任/I氏の行為の一部や、早稲田ハラスメント相談室および早稲田調査委員会の対応については法的責任がないとする。
・原告の退学の理由は、W氏のハラスメントだとはいえない、と主張する。
となります。
【3】看過しない会としての受け止め
W氏・早稲田大学の両者ともに、新しい反論は特に出てきていませんし、それに対するこちら側からの反論は、控訴理由書・控訴理由補充書で十分であると思われます。留意すべきは、W氏側から陳述書が新たに提出されていることです。
「乙イ第7号証」は、W氏の元学部ゼミ生(文化構想学部文化構想学科)である、OBのn氏が作成した文書です(A4で4頁)。n氏は、学部1年次からW氏の授業を受け、3年次以降の2年間はW氏ゼミに所属した人物であり、この文書はn氏が主体となって、「同級生数名に事実確認等添削の協力を依頼し作成したもの」とされています。なお、n氏は原告が大学院に聴講し始める前に卒業した世代であり、両者に直接の面識はありません。
「乙イ第8号証」は、W氏の近畿大学文芸学部在職時代を知るk氏(近畿大学文芸学部教授)作成による文書です(A41枚)。この文書はもっぱら、「不良枠」という語の意味と、過去の実例1件についてのみ証言するもので、今回のハラスメント問題については何も意見を表明していません。k氏も、原告とは何の面識もありません。
被害者と何の面識もない人たちから、ハラスメント被害についての証言が出てくるということ自体おかしなことですが、大学の調査だけでなく、昨年には原判決でもハラスメントの事実が認定されているにもかかわらず、いまだにこういった陳述書が提出されるということは、わたしたちがずっと主張してきた通り、W氏のハラスメントが長年許されてきたのは、周囲にW氏の言動を擁護する人物たちがいたという構造的問題の証左でしかありません。
なお、n氏の主張の内容は、W氏のゼミには自由で活発な空気があり、「一度教室を出ると和気藹々とした雰囲気を持」ち、「教授と学生たち、そして学生同士の間でも活き活きとしたキャッチボールが交わされていて、そこに権威的な圧力や暴力的な支配は存在し得な」かった、と証言するものです。また、参照文献として挙げられているのは、W氏の著書や『映画芸術』のインタビュー記事などであり、ほぼ、W氏の発言と、自身の実体験のみを根拠にした証言となっています。
こういった主張については、原告が陳述書ですでに述べた通りですが、ある学生にとって「良い先生」が、他の学生にとっても「良い先生」であるとは限りません。たまたまW氏と波長があって、そのとき学びたいことが学べた学生にとっては「良い先生」となり、感謝されることも当然考えられますが、その学生個人の経験は、W氏が公平な教員であったことの証拠にはなりません。
会としては、これ以上、彼らの陳述書に対して言うことは特にありません。