以下の文章は、現在進行中の早稲田大学・W氏との裁判にて、裁判所より原告の意見を提出する機会を与えられ、2021年4月初旬に提出した陳述書です。

 

 それから裁判では、ここで主張した内容をもとに早稲田大学との対話が進められています。(※ 同年12月、和解打ち切りとなりました)。当時の状況からはいくらか変化した点もありますが、その後もわたしたちのもとに寄せられた被害相談や、2021年7月1日に早稲田大学の助教が強制わいせつ容疑で逮捕された事件などをふまえ、いまいちど早稲田大学の体質を広く問いかける必要があると判断し、こちらの文書を公開することにしました。

 

 その他にも早稲田大学では立て続けに深刻なハラスメントが生じています(※資料はこちら)。そのことをいったいなぜだと考えているのか、過去の被害をどのように分析しているのか、大学から実質的な回答はまだ聞けていません。わたしたちは引き続き、大学に対し本当の意味での再発防止を訴えかけていきます。

 

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 意見陳述

              

              

 この度はわたしの意見を提出する機会をありがとうございます。

  

 わたしの求めていることは、大学や教員・当事者たちがハラスメントへの認識を改め、おかしてしまった過ちについてはその行動の本質を理解したうえで誠実に謝罪し、再発防止に最善を尽くしていただきたいということです。「認識を変える」ということは抽象的に聞こえるかもしれません。でも、抽象的な次元と具体的な次元は別々のものなどではなく、あくまで地続きであるとわたしは考えています。

 


 文献によれば、セクハラ対策に成功している企業は組織のトップが率先してハラスメント対策に取り組み、組織内のハラスメント撲滅をはっきり宣言しているところだといいます(*白河桃子『ハラスメントの境界線』、177頁)。それは大学でも変わらないはずです。早稲田大学を代表して来られている職員・弁護士のみなさまも含め、組織の側の方一人一人が、ハラスメントについて正確に理解し、一つ一つきちんと対応することなしに、大学全体のハラスメント撲滅はありえないのではないでしょうか。

 

 わたしは今までのやりとりのなかで、不透明な調査体制の改善、教職員に対する研修強化、被害者の窓口となる相談方法の見直しなどを再三訴えてきました。そういった仕組みを形作るのは観念としての組織ではなく、あくまで一人一人の実体をもった人間です。組織側の職員や弁護士といった方々が、学生や弱い立場の者の声を蔑ろにすることに無自覚であれば、大学全体として他者の人権を踏みにじる土壌が形成されてしまうことが容易に推測されます。もし、ハラスメントをなくしたいとみなさまが思われているのであれば、すぐ目の前にいる一被害者としてのわたしを、一人の独立した人格として尊重する態度をとっていただきたいと思います。

 

 前回の弁論準備は、和解を視野に入れてという話が前提のはずでしたが、早稲田大学の弁護士の方々のふるまいは、わたしには解せないものでした。法廷でのならいということなのかも知れませんが、裁判官の方々やW氏の弁護士には丁寧に接するのに、わたしには会釈すらありませんでした。わたしが何か言っても笑って受け流され、わたしの質問にはまともに答えてはくださらないように見えました。原告はわたしのはずなのに、早稲田大学はわたしを対話の相手と見なしていないように感じました。もしもそんなつもりはなかったとおっしゃられるなら、普段から個人の女性、しかも何の肩書きもない若い女性を、無意識のうちに軽んじる言動をとっておられることに無自覚なのではないか。少なくともわたしにはそう見えました。待合室で待ってくれていたわたしの同伴者の方々に対しても、とても和解を望まれているとは信じがたい態度だったと聞いています。そうしたことからすると、和解どころか、まるでわたしたちを威圧するために、大勢でいらしたように見えてしまいます。ですが、そもそもの原因が、W氏の行為と大学の側にあることを、今一度思い起こしてほしいと思います。

 


 わたしは、早稲田大学という組織を代表する方々が意識しているかどうかに関わらず、軽んじられがちな対象、無視しても差し支えないと考えられがちな相手、まさにそういう小さな者としてここに来ています。見えなくても存在しているのだとわかってもらうために、踏みつけにされれば痛いのだと示すためにここに来ています。わたしの人権は大学におけるハラスメントによって踏みにじられましたが、それはみなさま一人一人の人権と同じくらい尊いものだったはずだと伝えるために、この場に来て存在しています。喧嘩をしに来ているのではありません。

 

 
 わたしは自分の被害をきっかけに、関係者たちが大学におけるハラスメントへの認識を改め、学生たちの学ぶ権利が不当に侵害されないような教育環境を、早稲田大学に率先して作っていってほしいと望んでいます。だからこそ、わたしは協力者の方々と共に、ハラスメントの心理やメカニズム、他大学の取り組みなどを調べて資料として提出してきました。けれども、返ってきた書類を何度読んでみても、みなさんがどのような大学作りを目指されているのか、その具体的な展望がまったく見えてこず、わたしの主張が伝わっている手応えがなかったため、直接こうやって足を運んで対話をしに来ているのです。

 


 個人が組織を相手に話をするということは簡単なことではありません。裁判所に来ること自体、かなり負担を伴うことです。みなさんは、この場所に足を運ぶことにも、書類を作成することにも、法廷のルールにも慣れているかもしれません。でも、わたしにとっては何もかもはじめての体験です。毎回毎回、「今日は何が起こるんだろう」「もしW氏や他の教員・関係者と鉢合わせてしまったらどうしよう」という不安を抱えながらきています。終わった後は必ず頭が痛くなります。本来なら親族に付き添ってもらいたいところですが、わたしの家には重い病気の祖父母がいるため、家族が容易に家を離れることはできません。協力者の方々が代わって付き添いにきてくれていますが、彼らは親族でも職員でもないためこの部屋に入ることができません。

 


 ハラスメントとは、地位の高さ、権限の大きさ、人数の多さなどによってもたらされる「権力」の濫用です。弁護士と二人きりで、ハラスメントの加害者側である早稲田大学とW氏の弁護士の方々と直接対峙するということは、わたしにとっては被害の環境を再現することでもあります。わたしはセクハラ被害を受けた直後に相談した主任にも、退学後に相談した大学のハラスメント防止室にも、その後設置された調査委員会にも、自分の意見が十分聞き入れられることのないまま、何の補償もされることのないまま、一方的に「終了」とされてしまいました。だからこそ裁判所に助けを求めにきているわけですが、もしかしたらそれまでのすべての対応と同じように、この裁判でも問題が十分に検証されないままさっさと片付けられてしまうのではないか、わたしという人間が取るに足らない存在として扱われてしまうのではないか、という不安に常につきまとわれています。その心理的負担は重く、実際のところ裁判がはじまってからわたしは心療内科やカウンセリングに通わなければならなくなってしまいました。しかし、それでもわたしは自分の考えることを確実に伝える必要があると思うから、この場に来ています。

 

 みなさんは、ハラスメントについての文献をどのくらい読まれましたか? わたしの出した様々な資料の元をあたって、ハラスメントが起こるメカニズムなどについて調べられましたか? わたしの提出した文献をきちんと読まれていれば、人数差というものがどれほどの心理的圧迫を被害者に与えうるのかご存知のはずですし、そうであれば被害者であるわたしと和解をしようという場に、前回のように大勢で部屋に入ってくるということは避けられたと思います。

 

 W氏は「反省」していると言います。でもセクハラについての文献を読めば、W氏の言い分はセクハラ加害者によくみられる言い訳そのものであることがすぐにわかるはずです。〇〇氏・△△氏の発言が典型的な二次被害発言そのものであることがすぐにわかるはずです。早稲田大学のハラスメント防止室のリーフレットにさえ書かれているようなことですから、少し調べればご自身の主張が矛盾していることがすぐにわかるはずです。

 


 ここにいらしている早稲田大学のみなさまは、いったいどのような大学を目指しておられるのでしょうか? みなさまがハラスメントをなくすことを望まれているのなら、とにかくまず、ハラスメントについて正確に知ってください。何がハラスメントなのか知らなければ、実際に被害が生じても気づくことができません。どうやってハラスメントが起こるのか、そのメカニズムを学ばなければ再発防止はできません。起こった被害を形式的に処理して終わらせてしまうのではなく、そこから最大限に学んで未来に役立ててください。なぜわたしの被害が生じたのか、なぜ過去から同じような被害が続いてきてしまっているのか、なぜわたしの被害のあとも早稲田大学ではハラスメントの事件が相次いでいるのか、ハラスメントの文献を真剣に読んで研究し、丁寧に分析してください。実際に被害が起こってしまったらどのように対応するのが最善なのか、我が身にも起こりうることとして考えてみてください。自分が小柄な女性だったらどう感じるか、みなさんのお子さんや大切な人が同じような被害にあったらどうしてあげたいか、想像力を働かせてこの件に関わってみてください。

 

 わたしは夢を抱いて大学院を受験しました。憧れの小説家のもとで創作を学びたかったからです。しかし受験してみると、わたしが探求したい方向を全否定する教員に「俺が入れてやったんだ」という虚偽の情報を伝えられ、希望していた創作ではなく批評のゼミに配置されることを仕方なく受け入れました。そこで「バカ」「人間以下」といった彼の罵詈雑言や不適切な言動に一年半笑って耐え抜いたあげく、「俺の女」と所有物扱いされ、尊厳を踏みにじられることとなりました。その後、同級生と共に他の教員に助けを求めたにもかかわらず、その場しのぎの対処がなされただけで、わたしと同級生の声は無視され、一方的に「解決済み」とされてしまいました。わたしは学ぶ機会を奪われ、人間としての尊厳を奪われ、声を奪われました。恐怖や深い失望などから「学校をやめたい」「ここから逃げたい」という気持ちにもかられました。でも、その一方で、せめて書くことだけは奪われたくありませんでした。すでに修士論文にはとりかかっていましたし、それを無事に仕上げて公平に審査してもらうことは、わたしにとって何よりも重要なことでした。しかし、傷つけられた痛みを抱えながら、傷つけた人々のいる場に身を起き続けて、論文を書くということは、簡単なことではありません。それは屈辱的でもありましたし、その道を選ぶのは苦渋の選択でした。わたしはカウンセリングや病院に通いながらも、なんとか論文を書き上げ、口頭試問を受けたのち、退学して被害を訴えました。ところが今度は、退学は本人の「自由意志」だったんだろう、語学の成績が悪くて単位が取れなかっただけだろう、などといった理屈で被害を矮小化されたら、みなさんならどういう気持ちになりますか? 長い間必死に苦しみに耐えたのに、セクハラをうけた後すぐに退学するのが「合理的」だろう、などと言われたらどのように感じますか? これらの被害者非難のセリフが、二次加害として、被害者の傷をいまだに広げ続けていることを、理解できないのでしょうか? 

 

 教員という本来信頼すべき立場の人間からハラスメントを受け、尊厳を踏みにじられた被害者は、生きていく上での安全感・安心感や、他者への基本的信頼感などを失います。それだけでなく、ハラスメントの被害を告発することを選べば、あらゆるものを失うことになります。みなさんも、自分の属している組織の中で、一方的に暴言や性暴力やいじめを受け、それを告発したらどうなるか、ちょっと想像してみてください——それまであった人間関係、仕事の人脈、追っていた夢、将来の計画、あらゆるものが崩れ去ってしまいます。

 


 わたしがこの一件で失ったものはどうやっても返ってはきません。それでも、自分の被害がきっかけとなって、当事者たちが再発防止のために最善を尽くし、加害者が二度と同じことをしないと確信できたとき、自分の苦しみは無駄じゃなかったと思えるようになるかもしれません。あるいは、わたしという個人を、一人の人格を持った人間として尊重しなおしてもらえれば、踏みにじられた自尊心を多少なりとも取り戻すことができるかもしれません。しかし残念ながら、今のところそういった地平に達しているとは到底言えません。

 

 現段階で、わたしの主張に対するW氏からの実質的な回答は、証拠として提出された『映画芸術』という雑誌でのロングインタビューのみとなっています(※2)。なぜW氏は、この件に関してまったくの部外者であるインタビュアーに対しては言葉を尽くして丁寧に答えているのにもかかわらず、わたしの提出した意見に対しては直接の回答をしないのでしょうか。「お前の意見は答えるに値しない」「俺の主張は既にここに全部書いてあるから読んどけ」ということなのでしょうか。それは、わたしのことを「人間以下」と呼び、「俺の女」としてわたしを自分の所有物のように扱っていたときの傲慢な態度と何ら変わっていないのではないでしょうか。

 


 既に指摘した通り、このインタビューには誤った情報も多々含まれています。文学業界というのは狭い業界です。間違った情報を含んだまま、雑誌という媒体で世間に出回ることとなれば、新人の書き手であるわたしにとっては周囲の人からの信頼を失う死活問題となります。自分の持つ権力に無自覚なまま、わたしの知らない間に、問題を孕んだインタビューを世に出しておきながら、「反省している」と言われても、それは何に対する「反省」なのか、わたしには理解できません。

 

 早稲田大学の反論には、「違法とまではいえない」という文言ばかり目立ちます。法による裁きの場ですから違法かどうかが大事だということはわかりますが、早稲田大学の反論からは、大学としてハラスメントについてはこう考え、こういう理念に基づいてこういうところを目指してこのように対処するというビジョンがまったく見えません。みなさまが「大学は違法でさえなければ何をしてもいい」と考えておられるわけではないとは思いますが、違法であるかどうかばかりに囚われれば、誰が見てもあからさまに違法であるような深刻な被害が生じるまで大学は気づかず、被害者を救済することもできず、ただ事後的に加害者を処分して終了、ということの繰り返しになってしまいます。事実、早稲田大学では深刻なハラスメントの事件が立て続けに告発されているように見えます。ハラスメントに関して大学として目指すところは何か、その実現のために具体的にはどうするのか、今回の事件に対する反省はそこにどのように活かされるのか、是非それらの点についてのお答えをおうかがいしたいと思います。

 


 わたしはわたしの一件が、W氏単独による「一時的な感情の過ち」といったレベルの話ではなく、何年もの時間をかけてセクハラが許容されてしまう土壌が作られてしまった構造的問題だという事実を説明するために、他の被害者・関係者の方々の証言も提出しました。彼らもわたしと同様、報復の恐れや、個人情報が流布される危険性、仕事や人間関係に亀裂が入るかもしれないという不安を抱えながら、それでも証言を提供してくださいました。彼らはわたしに協力したところで何のメリットもありません。ただ同じ被害が繰り返されないでほしいという純粋な目的のためにみなさん善意で手を貸してくださっています。そういった貴重な証言を出したにもかかわらず、早稲田大学からはそれらを踏まえた回答をいただいておりません。早稲田大学のみなさんは、リスクを背負って声を上げてくれたわたしの同級生の証言に対しても、「公平性」が担保されていないといって切り捨てる一方で、教員側の言い分を一方的に採用し続けています。大学の対応や処分について被害者当人であるわたしが意見を述べることに対してすら、「過大要求」だとか「越権行為」といった言葉を書かれています。つまり「被害者は黙ってろ」というのが早稲田大学全体の認識ということなのでしょうか? 

 


 いままでのみなさんの言動は、お互いを対等な存在として尊重する姿勢に欠け、被害者の傷をさらに広げるものでした。にもかかわらず、その認識は余りに希薄のように思います。授業の実態とまったくかけ離れたシラバスを引用して、わたしの中退は「単に語学の能力不足のせいだった」と躍起になって証明することに、いったい何の意味があるのでしょうか? あなたが同じ被害にあった挙句、成績表を晒されたら、どのように感じますか? 具体的な和解条項の話の前に、こうした点をまず考えていただきたいと思います。 

 

 わたしは不毛な書類のやりとりをするために提訴したのではありません。対話がしたいのです。わたしがこうして対話をのぞむのは、自分のように学生が学ぶ権利を奪われることのない大学づくりを実践していただきたいからです。おかしいと思うことがなくならないかぎり、わたしは声を上げ続けます。わたしの声が無視され続けられるのであれば、こちらは声を上げることをやめません。けれど、わたしの件をきっかけに当事者たちがわたしと丁寧に対話をし、早稲田大学がハラスメント撲滅のために率先して動いてくだされば、成功例として発信することも可能だと思っています。あらゆる場所でハラスメントが問題となっている今現在、早稲田大学という大きな大学が変われば、その社会的影響は非常に大きなものとなり得るでしょう。それを実現するために必要なのは、もっと実質的で有意義な対話なのではないでしょうか。

 

 そのためにはまず、被害者が加害者と安心して対話のできる環境や雰囲気をつくってください。それは何ら抽象的なことではありません。挨拶をする、会釈をする、口調を柔らかくする、同伴者を女性にする、わたしの質問に鼻で笑ったりせずわかるように説明する、話を遮らず最後まで耳を傾ける、こちらの要求をすぐさま却下せず慎重に検討する、等々。何のバックアップもないたった一人の個人でも、安全に、対等に話ができると思える場をつくってください。仲良くしてもらう必要はありません。でも、わたしやわたしの協力者の方々を取るに足らない存在として軽視しないでください。声の重さは肩書きとは関係ありません。提出した意見、資料、証言、それらに一つとして無駄なものはないと思っています。それら個々人の声を真摯に受け止め、それに対してどう感じたのか、どう考えたのか、正面から答えてみてください。理解できないといって切り捨てる前に、自分の身にも起き得ることとして、想像力を持って考えてみてください。対話というのはお互いを対等な人間として尊重することから生まれます。わたしたちはあなた方と同様、それぞれ一つの人格を持った人間です。対等な他者として扱い、配慮のある態度をとってください。

 

 わたしからすれば、そのような姿勢で話合いに臨んでいただくことが、実りある対話のための具体的な第一歩だと考えています。

 

 

 

 

 

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※ 1 公開にあたり、一部名前表記を変更しています。

※ 2 その後、裁判所からの指示によりW氏は回答を提出したものの、『映画芸術』で述べた主張を繰り返している。