2021年10月1日、第7回弁論準備にむけて、Aさんは友人・知人らによる陳述書を追加提出しました。それら陳述書の一つは、詩人の川口晴美さんによるものでした。創作者かつ教員として長年創作を教えてきた川口さんからみる指導とアカハラの違いや、フェミニズムとの向き合い方、ハラスメント事件の第三者としてAさんのそばにいた方の視点からみえていたもの、被害者を支援する上での心得などを伺いました。

  

川口晴美さんプロフィール
 
1962年、福井県小浜市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。在学中に詩人・鈴木志郎康の指導をうけて詩を書き始め、1985年に最初の詩集『水姫』を出版。OLとして7年余り勤めたのち、社会人向けのカルチャー講座や、いくつかの大学で創作の授業を受け持つ。他に『やわらかい檻』『ガールフレンド』『ボーイハント』『半島の地図』『Tiger is here.』など著書多数。2021年10月には『やがて魔女の森になる』を刊行。

 

 

「フェミニズム嫌いです」とか言ってすみませんでした

 

——わたしと先生とはもう6、7年の付き合いになりますね。もともとはわたしが大学を出てから、川口先生がやってらっしゃる社会人向けの詩の講座にいったところからですが、その頃から詩のこと以外でもいろいろと相談にのっていただいていました。

 

川口 帰り道を歩きながらよくおしゃべりして。

 

——よくしゃべりましたね。まだお会いして間もない頃、先生に向かって、わたし「フェミニズム嫌いなんです」ってほざいてましたよね(笑)。

 

川口 (笑)。

 

——そう言われたとき、正直どう思われました?

 

川口 そうだなあ。わたし自身、大学でフェミニズムを勉強したとかではまったくなく、社会に出て会社で働いて生活するうちに「これはいくらなんでもおかしい、ひどい、しんどすぎるじゃないか」って、実感として引っ掛かることがたくさんあったのが先だった。社会にまだフェミニズムがどうこうっていう空気感はなく、ジェンダーという言葉は誰も使ってないし、セクハラという言い方さえ一般的じゃなかった頃。そもそも、フェミニストって単語が〝ドアを開けてあげたり椅子を引いてあげたり女性に優しく接する男性〟くらいの意味合いで使われてましたからね。そんななかで本を読んだりして、「これはフェミニズムの問題なんだな」ってだんだん思うようになっていったんだけど、勉強して理解してフェミニストになるというより、この社会で女性として生きて普通に考えていけばそりゃフェミニストになるでしょ、って思っていて。

 

↑ 当時、最も衝撃を受けたのは『男はみんな女が嫌い』(1991ジョーン・スミス/鈴木晶訳筑摩書房)だと思う。原題は『Misogynies』だけど研究書ではなく、いろんな実際の事件や映画をミソジニーという視点で読み解いた本。ミソジニーなんて言葉、わたしは聞いたこともなかった(帯にも「女性嫌悪」と書かれていました)。それまでわたしは、たとえば痴漢のような性犯罪はいわゆる〝女好き〟だからやってしまうのだと思わされていたのだけど、そうじゃない、女を嫌悪し蔑視し軽んじる感覚が深く根付いてるからこそやるんだ、って初めて腑に落ちた。それを根付かせているのが社会だってことも。(川口)

 

川口 だからね、若い女の子が「フェミニズムが嫌いなんです」と言うとしたら、それはこの社会で理不尽な目にあったり不平等に愕然としたりする経験がまだあまりないからかな、ってまずは思います。そんな経験、本当はしなくてすむならその方がいい。そういう複雑さもあって、ああこのひとはまだフェミニズムの考え方が必要ではないところで生きられているんだな、でも残念ながらそのうち必要になるかもしれないよ、みたいに思いつつ、黙ってにっこり聞いてたかも。だって、その段階で、いやフェミニズムというのはねって理屈で説明しても実感的にピンとこないとかえって反発があるだろうし。そのときは、それ以上突っ込んで話したりはしなかったよね。

 

——そうですね。だからわたしは先生がフェミニストだと知らずにいて、その後もずっと関わっていくなかで、「あれ、先生ってフェミニストだったんだ」と気づいて、「わたしはなんて失礼なことを言ってしまったんだろう」と(笑)。

 

川口 いやあ、わたしは別にフェミニストとして活動しているわけでもなく、「普通に生きてるとフェミニストになるよね」ってことで自然に生きてるだけだから。失礼なことを言われたとは思わなかったし、思想を否定されたとさえ感じなかったよ。

 

——ああ。たぶんわたしも、いまセクハラの裁判やってても、自分がフェミニストであるという自覚は全然なくって、やるべきことをやってるとしか思ってないです。

 

川口 そうそう。それですね。

 

——フェミニズムであろうがアナキズムであろうがヴィーガニズムであろうが、カテゴライズはどうでもよくて、ただ目の前にあるものをただしているという感じ。

 

川口 「だって平等なほうがいいでしょ?」っていうあたりまえのことしか思ってないつもりです。

 

 

 

フェミニストを名乗れない——劣位に置かれていることを認めたくない

 

——わたしのように「自分はフェミニストではないけど」と前置きしてしまうことに対して、「男に忖度している」といったふうに否定的に捉えられているのをよく目にするんですが、もしかしたらそういうところもあるかもしれないけど、でも必ずしもそれだけではなくて。

 長い間、そういう自分の中のフェミニズムへの複雑な感情はいったいなんなんだろう、という問いを持ち続けていたんですが、最近「ポストフェミニスト」の存在を知って、わたしはこれだったんだなと腑に落ちました。

 


↑ 高橋幸『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』(晃洋書房 、2020年)
【ポストフェミニスト/ポストフェミニズム(ポスフェミ)】
 社会において、自分が「女性」であるという理由で不利な扱いを受けないこと(ジェンダー中立的な待遇)を当然視しており、現状それが実現されているという認識を持っているゆえに、フェミニズムはもはや必要ないと主張する立場。(※参考「フェミニズム離れ」する若い女子が抱いている違和感の正体

 

——わたしがフェミニズムを受け入れられなかったことの理由は、まあ多々あるんですけど、大きな理由のひとつとしてはおそらく、自分が弱者だということを受け入れたくなくて、「勝手に被害者扱いしないでよ」っていう怒りが根底にあったからなんですよね。

 わたしは高校は女子校出身で、女子校にいると「自分たちが世界の中心」「わたしたち最強」みたいな自信にみちあふれていたんです。たいていの男子校より偏差値の高い学校だったので、男女差があるということを実感としてもあまり感じなかったし、男に負けたくなかったというよりは、そもそも前提として性差別があること自体を認めていなかった。みんな痴漢になんかしょっちゅうあってたけど笑ってネタにしていた。そうやって笑って矮小化することで、自分たちの「弱さ」を無効化してたんだと思う。でも、被害者になることになることから逃げ続けたことのツケはあとから回ってきました。

 

川口 なるほどね。自分が劣位に置かれるということを認めるのが嫌っていう気持ち?

 

——うん。それがすごくおっきかったんです。だから人前で弱音が吐けなかった。

 

川口 そっか。それは辛かったね。

 

——2017年にWから「俺の女」といわれたときの強烈な拒否感ってなんだったんだろうといまでもよく思うんですけど、一人の男の独りよがりな言動によって、自分がコントロール不可能な立場に置かれてしまったという、その無力さに対する屈辱感も大きかったと思います。

 それまで電車やサークルやバイト先で性暴力にはしょっちゅうあってましたけど、教員から直接されたことは一度もなかった。わたしにとって、学問や創作の場だけは、「女」ではなく、一人の「人間」として扱われるはずの不可侵領域だったんですよね。安全な場所だった。

 にもかかわらず、その場所で、文学者で指導教員という立場の人間からセクハラを受けて、自分が「女」であるという現実を突きつけられた。普段わたしは自分が女だという自意識もあまりないんですが、相手がわたしを「女」とみなしたら、わたしの意図とは関係なく性的対象として扱われてしまう。「ああ、どこまでいってもわたしは女であることから自由になれないんだ」と、逆に自分の性を突きつけられた感じでした。

 そして相手は生殺与奪権を持っているわけで、わたしは逆うことができない。わたしが人生かけて挑んでた夢を、相手のクソくだらない欲望で壊される、その現実が悔しくてたまらなかった。単純に「俺の女」とかいわれてまじキモかった、というだけでなく、自分の最も大切にしていたものを、ここまで誰かに踏みにじられたことはなかったです。

 

 

世代間の違い——分断された女性たち

 

川口 なるほどなあ。わたしも地方の伝統的な男女差別みたいなものは空気のように吸って生きていたけれど、最初に当たる問題が違うとその先もだいぶ違ってくる、と改めてわかった。

 

——先生が最初にあたった問題はなんだったんですか?

 

川口 就職活動です。それまでも、サークルでどこかへ出かけるとき「女子はおにぎり作ってきてね」と言われるとか、痴漢とかはあったけど、大学で求人票を眺めたときの違和感と絶望感はすごかった。「4大卒女子はどしゃぶり」っていわれた年だったんだよね、均等法はまだ影も形もなくて。男子学生には、特に理系だと企業のほうから会社案内が山のように送られてきていたらしいのに、女子はまったくそういうことがなかった。もともと卒業したら結婚、あるいは家事手伝い、という女子学生も少なくはない時代だったけど、わたしは働かないと生活できないし奨学金も返さなきゃならないから必死でした。で、就職課の掲示板を見つめるわけですけれど、数少ない女子への求人票にはけっこうな割合で「女子は浪人・留年不可」とか「女子は自宅外通勤不可」と書いてあって。えっどういうこと? って思うじゃないですか。わたしは地方出身で一人暮らしをしていたから「自宅外通勤不可」って書いてあると門前払いなわけ。仕方なくその文言のない求人票を選んで片っ端から受けて……あのね、わたしは奨学金ほしさに頑張っていい成績を取ってたのね。だから、書類は通るだろうと思って出すんだけど、いやあ落ちる落ちる。役員面接までいったある会社で、目の前でわたしの書類を見ながら「こんなに成績がいいときもちわるいね」って軽く笑われたときは、もちろん落ちたんだけど、わたしは頑張らないほうがよかったってことだろうか、って呆然とした。

 

——はっ!? 「きもちわるい」とか面接で面接官が言うんですか? 燃やしてやりひどすぎる。

 

川口 結果的に2社だけ受かって、女子も働かせる気満々の気配があった会社に入りました。

 あ、なぜ「4大卒女子はどしゃぶり」かというと、短大卒の女子の就職率はこの年もよかったんです。2歳分若いから。

 

——いや、そこ? なんで?

 

川口 お給料がそれだけ抑えられるし、男子社員の社内結婚の相手候補としてもよかったんでしょう。4大出のなまいきな女に比べて御しやすい、みたいなイメージもあったかもね。「女子は浪人・留年不可」というのは、そのぶん年くっているということもあって敬遠されたのだろうし。「女子は自宅外通勤不可」は、企業の建前としては「我が社は女子社員には一人暮らしできるほどのお給料を出せませんから」なんだけど、本音は明らかに「女が一人暮らしなんてふしだらだ」だったからね。どっちにしろ腹立つ(笑)。そういう時代。就職活動の面接で、「結婚後も勤め続ける女子社員の方はいらっしゃいますか?」とこちらが質問するのも定番だった。そうすると、たいてい机の向こうで「えー、どうだったっけ?」「いや、いませんねえ」みたいな会話を人事の面接官がするの。

 

——「ふしだら」……。なんかもうSFみたいだな。

 

川口 「寿退社」という言葉がまだ生きてたからね。わたしが最終的に就職した会社は、めずらしく「いますよ」と人事の若手男子社員が即答したんだけど、それでも出産して働き続ける女子社員はいなかった。そういうことが、社会への入口でどんどん見えてきて。えええ……って思って。この社会ってなに?って。わたしにとって、自分が劣位に置かれる存在だという感覚は、そういう社会の現実として迫ってきたんです。会社に入れば女子社員は制服で、お茶室の掃除当番は女子だけでまわして時間外労働にもつけられないし、もちろんセクハラもあった。男女同一賃金だったのは入社時だけで、女子のお給料はほぼ横ばいだから差が開いていくばかり。わたし、会社でそのエグい折れ線グラフを見ながら、こんなに収入に差があるんだから男が女に奢る慣習はある意味当然なんじゃないの!?って、歪んだ気持ちになったよ。

 

——ああ、じゃあ先生の頃は、外からみても明らかに男女で差別されていた感じだったんですね。わたしたちの世代だと、ぱっと見その差別がわかりにくくなってますよね。

 

川口 そうね。当時はそれが差別だと気づかず、当然のことだったから隠しもしなかったんだと思う。雇用機会均等法が成立してからやっと、そうだよね、あれはやっぱり差別だったよね、とはっきりしたんだけど。均等法施行後は、求人で「女子は〇〇、男子は〇〇」みたいな書き方はしなくなったし、総合職・事務職というようにコースで分けられるようになった。表面的に整えられたから、差別の実態が見えにくくなった、というのはあるんだろうね。とはいえ、それはやっちゃだめ、という建前がちゃんとできたのは大事だと思ったよ。

 

【男女雇用機会均等法】
 1985年に制定、1986年に施行された。企業の事業主が募集・採用や配置・昇進・福利厚生、定年・退職・解雇にあたり、性別を理由にした差別を禁止することなどを定めている。それまで男女別で行われていた雇用管理を改めるために「総合職・一般職(事務職)」と採用コースが分けられるようになったが、導入された当時は「男性並みに働きたい総合職」と「結婚相手を見つけて寿退社を目指す一般職」といった対立構図で揶揄されることもあった。
 (※上野千鶴子・田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』(大和書房、2020年)参照) 

  

——でも実質がどうなったかっていうと……

 

川口 うん。すぐには変わらない。

 

——表面上、その差別がみえにくくなったせいで、「こんなの不公平です」というのが言いにくくなってる気がします。

 

川口 それはあるかもしれない。「機会均等なんだから、もっと頑張ればいいだけでしょ」という話になっていくのは辛いよね。

 

——「文句言ってる暇があったら自分磨けば?」みたいな空気感がありますからね。わたし世代の女性は、そういうネオリベ(新自由主義)社会を生き抜くための生存戦略として、「フェミ苦手女子」を演じざるをえなかったのかもしれないな、とも思うんです。ただ、そうやって自分が耐えてると、「弱い人」に対して冷ややかになるし、女性のなかでも溝が広がってしまって、本来連帯できるところが分断されてしまってもったいないなと感じます。

 

【女性の分断】
 社会学者の上野千鶴子は、「総合職と一般職で女を分断し、その後はさらに正規雇用と非正規雇用で分断し、結局のところ、2015年に施行された女性活躍推進法も含めて、「雇用の男女平等」は女を男並みに働かせて使い倒すためのものだったと思う」と述べている。
 ※ これもやっぱり上野千鶴子・田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』(大和書房、2020年)参照。
↑良い本。

 

※ ネオリベ(新自由主義)についてはこちらの記事をどうぞ

 

 

 

被害を被害として受け止める——言語化して誰かに投げかける

 

——わたしの大学時代はちょうど就職氷河期まっただなかだったんですが、比較的女子の方がゆるくマイペースに生きていて、男子の方が就活でアイデンティティ・クライシスに陥っているのを見てたから、余計に「女でよかった」と思ってました。男の人生って生きづらそうだな、女の方が自由でいいわ、って。

 とはいえ、わたしたちの世代は、アメリカドラマの『Sex and the City』(以下、SATC)の主役4人みたいに、NYの街を背景に、高級ファッションに身を包んで軽々と男を乗り換えていく「自立して輝いてる女性たち」みたいに人生謳歌する感じではなかったな。SATCの現代版(あるいは貧乏版)と言われている『GIRLS』というドラマがあるんですけど、そっちの方が近かった。なんか脱力感があるんですよね。まさに「ゆとり・さとり世代」って感じで。

 

↑ 『SATC』(1998〜)、わたしは好きでした。〝愛され〟が至上命題のように謳われる日本と違って恋愛においても自分のファッションや考えを譲らない彼女たちの姿勢が小気味よく、性的な話題も含め、そんなこと言っちゃっていいんだ!? という解放感でげらげら笑いながら見ているうちに、いくつかのエピソードで泣きました。恋愛ばっかりしてるドラマなのに最後に残るのはシスターフッドで、「男なんて人生のスパイスよ」というセリフは名言だなあと心に刻んでいます。スパイスはあれば楽しく、ないと寂しい、でも主食でもなければ主人公でもない。人生は「わたし」のもので魂の伴侶は女友達。(川口)
↑ 『GIRLS /ガールズ』(2012〜)は、NYにすむ女子4人を描いているという点では『SATC』と同じだが、ミレニアル世代(1980年~2000年代生まれ)の彼女らは、みんな貧乏で怠惰でこじらせ系、全然キラキラしていない。『SATC』では決して崩れることのなかった“女同士の友情”も『GIRLS』では確かなものとして描かれない。去っていったキャラクターは戻らないし、カタルシスも訪れない。リアルなあるあるに「イタタタ…」と目を覆いつつも、鋭い皮肉のこもったセリフについニヤニヤしてしまう。自由奔放なジェッサが、性病にかかることについて「All adventurous women do(冒険家な女性はみんなそう)」と言い放ったセリフはタトゥーに彫る人が続出するほど支持された。(A)

  

——未来に特に期待もしてないし、「悪いことがおこるのが当たり前」みたいなシラけた空気の中で生きてきたので、嫌なことにあってもネタにするだけで、社会に向けて声を上げるという方向にならなかった。でも、いまになって、たとえば性的同意についてメディアでとりあげられたりするようになってはじめて、10年以上前のことを「あれって性暴力だったんだね」と友人と思い出したりするんです。

 

川口 それは根が深いね。

  

【性的同意】
 すべての性的な行為において確認されるべき同意。2020年に慶應大学の学生団体が『性的同意ハンドブック慶應』を作って話題になった。詳しい記事はこちら(東洋経済「慶大生が「性的同意」ハンドブックを作った理由」)
 ※このハンドブックは誰でもダウンロードできる。→こちらから
 

――被害者の立場に止まり続けるのは精神的にもよくないというか、無力感が強くなって、自分の人生をコントロールできなくなることはよくないと思うんですけど、まず被害を被害として受け止めることの重要性っていうのは、今回の件に限らず、それをしないとのちにずっと残るということを身に染みて学びました。

 

川口 そうだね。さっきの女子校の話のときに言っていた「自由で強くありたい」「わたしは負けてない」という自意識の持ち方は決して間違ってないと思うのね。でも、それが被害を受けたときに被害者であることを受け入れるのを難しくする、というのが聞いててよくわかった。被害者になるというよりは「不当なことをされた」と認識するということだよね。だから、悲しみとか無力感ではなくて、怒りと抗議に還元できると、なんとか一歩が踏み出せるのかな。

 

——ただ、わたしそういうときタイムラグが出ちゃうんですよ。不当なことをされても、その時に怒りがわかなくって、笑っちゃって、しばらくしてから「やっぱりもやもやするな」と思って、友達とかにはなして、「それひどくない?」っていってもらえると、「あ、怒っていいんだ」ってなるんです。

 

川口 当事者だとタイムラグ発生するよ。わたしも自分自身のことだと、なかなかうまくわからないこといっぱいあったもん。

 

——先生でもそうなんだ。

 

川口 他の人のことだと見えやすいんだよ。だから、「ん?」って引っ掛かることがあったら、なるべく誰かに言うのが大事かな、って思う。

 

——そうですね。

 

川口 その誰かが間違うことだってあるんだけど、話せば、その出来事とか事象が自分の中から外に出るじゃない? 言語化することでそれをたどり直して、もう一度ちょっと客観的に考えて受けとめられる。自分の中だけで消化しようとしないで、できれば誰かに投げかけてみるのはいいんじゃないかな。投げかけた相手から返ってくることが必ずしも正解と限らないとはいえ、話す習慣をもつのは役に立つと思う。気持ちのケアにもなるよ。

 

 

 

→その2 被害の当時を振り返って